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【無料公開中】高田大介〈異邦人の虫眼鏡〉Vol.6「フランス中西部の奇妙な地名」

 8月18日(木)、「図書館の魔女」シリーズの高田大介さんのオンラインイベントが開催されます。
 高田さんは15年前、言語学の徒として渡欧され、現在はパリから250キロの古都トゥール郊外にお住まいです。
 今回のイベントではフランスでの暮らしぶりから、いまご執筆中の小説のこと、フランスの言葉や表現にまつわる発見までたっぷり語っていただきます。

 イベントに先立ち、昨秋から始めていただいた連載エッセイ「異邦人の虫眼鏡」の最新回を全文無料公開いたします。ぜひお楽しみください。

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フランスの基礎自治体

 前回は「通り名オドニムodonyme」について触れたが、今回はフランスの地名トポニムtoponymeを扱ってみよう。すなわちフランスの基礎自治体コミユヌの名前についてである。住所の最後、郵便番号のうしろに明記せねばならない「地名」が、このコミュヌの名前なのだ。
 “55‌ rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris”はフランスの大統領官邸の住所だが、「フォブール・サントノレ通り」というのが通りめいであり、かたや「パリ」がコミュヌの名ということになる。
 この基礎自治体というのは日本で言うと「市町村」にあたる。フランスでは市町村を特に区別しないのだ。市と町と村ではずいぶん規模が異なるような気もするが、たとえば日本の話として市ひとつとっても相互の規模の懸隔は大きい。人口で見て最大の市(横浜:三百八十万)と最小の市(うたない:三千弱)では前者が千倍以上の規模ということになる。
 もっとも最小の市でも人口三千ぐらいはあるというなら、日本の行政区画は人数割りにおいてまずまず合理的に出来ていると見るべきだろう。都市の規模の懸隔ということでいうと、フランスの基礎自治体中最大のものは言わずとしれたパリ市であり人口二百万を抱え、かたや最小のコミュヌとして名高いオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地方のロッシュフルシャRochefourchatの人口は一人である。前者は後者の二百万倍の規模ということになる。
 右は極端な比較例だったが、たとえばリモージュとか、トゥールといった中規模地方都市と、その周縁に散在する衛星町村ともいうべき小町村のいちいちが、基礎自治体として同じ資格ステイタスで住所の表記に並べられているというのは違和感を覚えないではいられない。総合大学があり、大学病院があり、警察本部や裁判所、なんなら刑務所まであり、図書館があり、数々の本屋や電器屋や楽器屋や剃刀かみそり専門店(私は剃刀屋があることを重く見る)などがあるトゥールにたいして、私の住む小村、仮にS村には中学校もなければ(小学校はある)、図書館は子供図書館というほどの規模、書物・服飾ほかの文化商材を欠いた不毛の地である。ろくに店というものが無い。それでも都市トゥール同様、S村にも市役所メリー(便宜上市役所と言っておく)があり、議会がある。これ、市役所と議会があることがコミュヌの定義そのものなのだ。すでに触れたロッシュフルシャにも市長メールがいて(パリ在住だそう)、議会(定員七人)があるのである。これは故郷の土地を、出ていった者たちが共同管理しているとか、そういった事情なんだろうと想像している。

地名の言語学的意義

 ともかくも今回は基礎自治体名、平たく言って「町の名」について取り扱う。こうした純然たる地名トポニムというのは言語学にとってはこうの材料となる。モータリゼーションや都市化が進んで街道網が整備された時代に、改めて付け直された「通り名オドニム」などとは違って、さんせんや古くからある町の名前は、地元の言語の歴史を残しがちなのだ。
 日本でも、北海道にアイヌ語の地名が残っていることは知らないものがない。さつぽろは「サッポロペッ」、たるは「オタオルナイ」、おびひろは「オベリベリ」(帯広出身の旧友の証言。最近では「オペレペㇾケㇷ゜」と再構されているらしいが、現地ネイティブが右のごとく覚えている)。本州でもたつさんないとおなど、アイヌ語源とされる地名は枚挙にいとまがない。多くある「ナイ」で終わる地名には誰もアイヌっぽさを感じるのではないか。そもそも「ナイ」や「ぺッ」、「ベツ」などは川を意味するアイヌ語である。
 さて、地名は「川べり」とか「山すそ」とか、もともとは意味をもって名付けられたものだとしても、それがひとたび固有名として広く認められると、しばしば意味を失う。つまり音声形のような外形だけが保存されるという固定化が起こる。「もともとはこうした理由でこう呼ばれている」という由来の部分が忘れられ、「現に今こう呼ばれている」という理由だけで、特定の音声形(の名残)が保存されることがまま見られる。かくして地名は言語の「生きた化石」となることがある。
 フランス中西部ではさしずめ、西部ケルト系や南部オクシタン系の語彙・文法要素(接辞)などが残存することが頻繁に観察される。
 こうした「生きた化石要素」が通常のフランス語の音韻やていほうにしたがって、調整を経た上で、なんともへんてこな地名が出来上がり、出来上がった以上は維持されていくという喜劇がしばしば見られるのである。

シェール河畔の無神論者 Athée-sur-Cher

 わたしの地元、フランス中西部の古都トゥールの周辺から見ていこう。最初の例は「アテ・スュル・シェールAthée-sur-Cher」である。
「スュル・シェール」は「シェール河畔の」というほどの修飾語だ。行政区域の再編成があったとか、新たに鉄道の駅を開業したとか、そういった場合に自然に想定される市名や駅名が、他地域にも類例の多いものとなる可能性がある。重複を避けるならば、「泉」大津なり、「大和」高田なり、「しもうさ」中山なり、「武蔵」小金井なり、日本では「どこの地域の」を修飾語として加えることが多い。フランスでは同じような場合にメジャーなやり方は「どこの川筋の」を加える方式である。だから「スュル・川名」みたいな修飾語が各地で本来の地名に添えられることになるが、現地ではこの部分は言挙げされない。「スュル・シェール」のような修飾は他所の人に向けて大枠を明示するのが機能であって、にとっては自明である「どこの川筋」であるかに、こと改めて言及する意味はない。
 問題は「アテAthée」である。普通に読めば「無神論者」という意味だ。
 政教分離を国是としながら、基体は歴然とキリスト教国であるフランスにとって「無神論者」というのは、単に特定宗教を信じていないというだけのこととは受け取られない。「無神論者」は、社会習慣アビチユード道徳規範モラルを共有しない、尊重しない、無法者、逸脱者のことを意味する。もちろんインテリ層には積極的に「自分は無神論者である」と標榜する向きがまま見られるが、それも人を見て法を説く類いの話で、誰彼なしに「無神論者」を自称はすまい。それは……なんというか罪深いことなのだ。
 日曜日に教会に行くとか、食事の前にお祈りするとか、子供に公教要理カテキスムを施したり、聖体拝領コミユニオンを受けさせたり……こうした伝統的カトリック教徒の風習をいっさい執り行わなくなっている「消極的でマイルドなクリスチャン」が現在のフランスではむしろ普通であろう。これは日本人の仏教徒と同様で、やっぱり葬式には喪服で参列するし、お彼岸の墓参り(フランスにもお彼岸がある。11月)ぐらいはするけれども、日々念仏なりお題目なり、というかクレドや聖書の文言を唱えていたりはしないのが大多数ではないだろうか。フランスのキリスト教徒で言うと、娘の小学校では聖体拝領を受けた子はクラスに二、三人に留まったと記憶している。結婚式だって、教会で執り行うというよりは市役所に行くのが主要な儀式だ。そういう意味ではいまやフランス人民の半数以上が日本的感覚では無神論者と言っていいのかもしれないが、言葉の上で「無神論者アテ」を自称するのは、日常的には口幅ったいことであって褒められたことではない。
 ところがフランスのそこかしこに「無神論者アテの町」があるという。「無神論者のコミュヌ」である。これはただ事ではないと思って、シェール河岸にある現地「アテ・スュル・シェル」まで見に行ってしまった。

無神論者の聖ロマン教会
シェール河畔の無神論者の市役所

 あらかじめ種明かしをしてしまうと、この地名Athéeというのは「無神論者」に由来するのではなくて、実は「掘っ立て小屋」を意味する「アテAtheis、アティエAthies」を語源としていた。さらに前ガリア時代のAttégiaに遡るという。「小屋」の意味でattegiaとなれば、さらなる語源は明らかだ。ラテン語のテクトゥムtectum、つまり動詞テゲレtegere(覆う)由来の中性名詞と同語源だろう。古典ギリシア語ならステゴーσ-τέγω(覆う)、インド・ヨーロッパ祖語では*(s)teg-という形に再構されている。意味は印欧祖語から一貫して「覆うもの・隠すもの」、つまり日常的には「屋根」である。Athéeは、ごく当たり前のフランス語「トワtoit(屋根)」と語源を等しくする、何でもない言葉だった。toitはほとんど形に変化がない安定した基礎語彙の一つと言ってもよい。
 ところが“tegere 〉 attegia(ラ)〉 attégia(古仏)〉 atheis 〉 Athée(現代フランス語)”と僅かな変遷を辿るうちに、よりによってずいぶん罰当たりな地名に結実してしまったものだ。
 右のごとき事情を知っても、現地で「アテの教会」やら、「アテの市」やら、果ては墓地で「第一次大戦で亡くなったアテの子等慰霊塔」(戦没者慰霊塔のこと)やらを見てきたのだが、やはり一瞬困惑する。ちょっと見にはどうしたって「無神論者の教会」とか「無神論者の市」とか「無神論者の子等慰霊塔」にしか読めないではないか。

「無神論者の市」は毎週木曜に開かれる
フランスのために亡くなった「無神論者の子等慰霊塔」

失われた町 Villeperdue

 トゥール市の南30キロほどに、ヴィルペルデュという名の町がある。「失われた町」という名の町なのだ。キングの小説かシュリーマンのドキュメントのタイトルみたいだ。どんな町なのだろうか、行ってみたら跡形もなかったりするのだろうか。と、わくわくしながらとある土曜日に足を伸ばしてみたら、えらく静かな普通の町だった。二階建ての普通の家みたいな小さな市役所の前のバーでは昼からみんなビールを飲んでいた。どの家でも庭で犬を飼っている節があって、道行くものに愛想よく吠えついていた。特筆すべきは、ヴィルペルデュにはお堀を巡らせた立派なシヤトーがあって、かつては跳ね橋だったと思しき木造の掛け橋の向こうにひかえる表門ポルタイユは、両の隅塔によって左右から見張られており、橋のたもとに立てば幾つもの銃眼クレノーがこちらを向いている。現在も個人が居住しているらしく中には入れなかった。銃眼の向こうで矢をつがえて私を狙っていたわけではないだろうけれども……。

ここから「失われた町」

 この町から何が「失われた」のか、それはいつのことなのか、それには諸説ある。一つは、五、六世紀ごろの話になるが、ローマ帝国が瓦解しつつあった混乱期に、コーカサスから来襲したアラン人など戦闘部族にカロリング朝の屋敷ウイツラじゆうりんされたという説である。近隣ソーミュールのサンフロラン僧院の後ろ盾を得ていたというこの屋敷は、あったとすればなるほど、あのお堀の向こうにちよりつしていたものだろうか。
 もう一つは、トゥール・ポワティエの戦いから敗走の途にあったアラビアのサラセン人によって蹂躙されたという説で、これが本当ならはっきり時代が定まる、八世紀(732年)の話だ。これは民間伝承に語られている話だそうだ。いずれもvilla perditaすなわちラテン語の「失われたウィッラ」という言い方にヴィルペルデュの語源を差し向けているのだが……私見としてはどちらの説も怪しい。

「失われた町」の「失われたウィッラ」(おそらく)の威容

 問題のお堀の城がウィッラ・プルラあるいはプレラVilla Peureraと号していた(982年)という話があり、十世紀末にソーミュールの教区司祭アマルベールの預かりになっていたというのである。アマルベール配下の聖フロラン僧院は当時、地域領主のジェルダン家との間に、徴税権や司法・懲罰権についての争議があった。とくに僧院預かりの農奴の裁判権は僧院の専権とするというような自治に係る取り決めを十世紀末、十一世紀初頭に重ねて取り交わしている。僧院の自治範囲をかくていしようという主旨の一次史料が残っているわけで、そこにPeureraと言及があるなら、こちらの歴史的証言はかなり信頼度が高い。その後、十一世紀ソーミュール大修道院の地券台帳、十三世紀末トゥール大司教区の財産目録などにVilla Perditaという記載が見られるということだ。いずれもいわゆる公文書、時期的にはこの辺りに「失われた町」の起源を探るべきだろう。
 もともとperditaと修飾されていたものがPeureraに変わり、すぐあとにperditaに戻るというのは不自然な経緯と言えよう、よってアラン蛮族蹂躙説もサラセン人蹂躙説も、まことしやかな民間伝承としてひとまず却下。十、十一世紀のどこかでPeureraが、Perditaにすり替わったとするのが本筋だろう。
 流音/r/が弾音をへて歯歯茎有声音/d/に変わる例(あるいはその反対の例)は、一般的に見られる音韻現象である。たとえばアクチュアルな共時的現象としては「俺」を「オデ」って発音したり、「駄目」が「らめ」になったりするでしょう?
 また母音間/r/がなんらの支えも持たずに連続するのは調音コストが高い―平たく言えば発音しづらい。わたしは「外科医/ʃiryrʒiε/」という単語の発音が今もって苦手だ。一般論としても件の音韻変化にも違和感はない。そして、ひとたびPerditaに落ち着いてしまえば、あとは何を失ったのか、それは事後的に捏造された「伝承」が人心に解釈を与えることになるのだ。

寝取られ村 Bourg Cocu

 同じくトゥールの南にある地名で、聞いて驚かれよ「寝取られ村ブール・コキユ」である。基礎自治体ではなく小界隈カルテイエの名であって分類上は通り名に並ぶのだが、田園のただ中の小村がずいぶん人聞きの悪い村名を持っている。

「寝取られ村」の道標

 写真には近隣のLes Quatre Ventsと並んで、ここから先が「寝取られ者の村」と大威張りで(?)明記されている。上の「四つの風」はフランス中にまま見られる地名で、アキテーヌ地方でも幾つか見かけたし、前回のトゥールの通り名でも「四つの風通り」を挙げておいた。問題はやはり「寝取られ村」である。「コキュ」というのは、フランス語の罵倒のなかでもかなり攻撃力の高いもので、おいそれと口に出すものではない。

「寝取られ村」の遠景

 イタリア辺りでもコキュのジェスチュア(人さし指と小指を立てる)はきつめの煽りにあたる。イタリア語の先生から、イタリアの道で後ろから煽り運転をしてくる車にコキュのサインで煽り返してやったら、それから何十キロも執拗に追跡されて血の気が引いたという逸話を聞いたことがある。
 事程左様にコキュという言葉(や仕草)には注意が必要なのだが、地名にはしばしばCocuが登場するのである。例えばマルマンド郡にコキュモンCocumontという町があり、こちらはさしずめ「寝取られ山」である。オート・ガロンヌ県のトゥールーズにはトロワ・コキュTrois-Cocusという界隈カルテイエがあり、「三人の寝取られ男」ということになる。同名のメトロの駅もある。
 さて、これらCocuを名乗る地名についてだが、本当の語源は「寝取られ者cocu」ではなく「カッコウcoucou」に由来するものだ。「カッコウ村」に「カッコウ山」に「三羽のカッコウ」というわけで、まずは一安心してしまう。もともと南仏のオクシタン語圏ではカッコウのことをcocutと呼んでいた。しかし件のコキュモンの住人を意味するはコキュモンテCocumontaisと言うそうだが、ちょっと名乗りづらそうな感が払拭できない。
 参考までに、フランス語講座ではなかなか習わないだろう「コキュ」レベルの「きつめの煽り」をこの際だから幾つかお教えしよう。「フィス・ド・ピュットfils de pute」は英語の「サノバビッチ、サノバホール」相当の罵倒。一生口にしないでいる人もいるだろうが、映画やデモ・暴動の映像などを見ているとよく使われている。“Eh, ce sale fils de pute!”などと使うが、使わないで生きていければその方がいい。「ニク・タ・メールnique ta mère」は英語の「フ××ク・ユア・マザー」相当。「ばか、あほ、まぬけ、のうなし」の類いは枚挙にいとまがないが「コン、ゴゴ、ファダ、デビル」といったところか。
 ところでフランス中に「間抜け」みたいな意味の地名が散在している。ちょっと口さがない記述が続くがごかんじよ頂きたい。だってそういう地名があるんだから仕方がないではないか。

各地の「間抜け村」

 マイエンヌにはたわけ者ばかりが住んでいるというわけではないだろうに、ちょっとどうなの、と言いたくなるような町の名前がいっぱいある。もちろん一見すると変な地名に見えるだけで、由来をたずねればそれなりの事情があって現状に落ち着いた地名だとわかるが、「ぱっと見に変」だということには変わりはない。

・アンドゥイェ Andouillé(マイエンヌ県)
「間抜け」村。九世紀にはAndoliacoという名前の文証が残っており、これはオクシタン語圏やケルト語圏にしばしば残存する-acum / -icumという形の接尾辞の例である。意味は「~の土地、~民の土地」というような一種の形容詞接尾辞で、ラテン語風の語形成の名残。したがって語源のAndoliacoは「アンドゥリウスの土地」といったほどの意味だったのだろう。それが「間抜け」か「ソーセージアンドウイユ」みたいな地名に落ち着いた。

・バロ Ballots(これもマイエンヌ県のシャトー・ゴンティエ郡)
「薄のろども」村。実は歴史の古い町で、ガロ・ロマン時代のラテン名はBarlorciumと言った。十一世紀にはBallortz、十三世紀にはBalozという形に、漸次フランス語化されていくが、その後の変転によって出来上がりは「薄のろ」なる強めの罵倒と同じになってしまった。

・サンプレ Simplé(これまたマイエンヌ県のシャトー・ゴンティエ郡)
「おめでたい奴」村。これは人名由来だそう。

・ボーフー Beaufou(ヴァンデ県)
「おめでたい狂人」村。十二世紀の文証ではBello fagoという形で、これなら「美しいブナ」という普通の地名になりそう(ブナはラテン語ではfagus)。

・フォル Folles(オート・ヴィエンヌ県)
「狂女ども」村。もっともここはラテン語の形により近しいオクシタン語圏の村だから、語源は容易に想像がつく。ラテン語でfoliaは「葉folium」の複数形で「むら」を意味し、右のFollesも「狂人」を意味するfou / folleとは元来関係ない。かたや「狂気folie」の語源は低地ラテン語のfollisであり、英語のfoolなどもここから来る。follisは遡れば古典期ラテン語では「ふいご、風船、胃袋」といった意味で、「空気の詰まった袋」という観念から狂気に結びつける論者もある。しかし地名の方のFollesであるが、語源がfoliaなら、どうしてLを増やしてしまったのだろう。狂気の方に引き寄せられているみたい。

トゥール近郊の一般名詞みたいな地名

 地名の話はしだすと切りがない。とくに以前住んでいたアキテーヌ地方の地名についてはまだ一家言も二家言もあるのだが、これ以上は紙幅が許すまい。今回はトゥール市近郊に話を限って、ちょっと困ってしまう地名に触れて話を終えよう。
 困ってしまう地名というのは、曲がりなりにも自治体の固有名だというのに、なんらの修飾も為されていない剝き出しの一般名詞みたいな顔をした地名が、この辺には幾つもあるのだ。
 たとえば我らがS村には郵便局の本局が無い。週に四日、午前中の二、三時間だけ開くという、暢気な郵便取り扱い支局があるばかりだ。というわけで郵便貯金の管理支店としては隣町の郵便局本局が所轄するのだが、これを引っ越してきたばかりの私は知らなかった。窓口で聞いたものである―
「さいきん引っ越してきたんですけど、管理支店をこっちに変えたいんですが……」
「それはうちではやってませんね。モンに行ってもらわないと」
「山? 山に行かなきゃいけないんですか? どこの山ですか?」
 もうお判りだろうが、隣町はモンMonts「山」という町だったのだ。結局謎は解けて、窓口で私は大笑いされてしまったのだが(後ろに並んでるおばさんまで笑っていた)、「山」なんて名前を町の名前にぽいっと付けとく方がどうかしているんじゃないか。ちなみにモン市の住民のことは山岳民モンタニヤールとでも言うのかと思ったら、じっさいはモントワ、モントワーズと言うそうだ。
 近隣のシェール県にはル・ラックle Lac「湖」という名の川がある。これもまったく意味不明だ。ここはきちんと分けておいてほしい。川に「湖」って名前を付けるなよ、と。先週末にル・ラックで水遊びをしていたんだ、と聞かされたら、よもや川の話をしているとは思うまい。
「川」と言えば、トゥールがあるアンドル・エ・ロワール県に話はもどって、リヴィエールRivière「川」という町がある。もちろん川縁の町なんだが、本当にどうかしていると思う。というかどうにかしてほしい。
「お住まいはどこなんです?」
リヴイエールに住んでますJ’habite à Rivière !」
 なんて言われたら、あなた河童かかわうそかなにかだったんですか、と思ってしまわないだろうか。
「かわ……川にお住まいなんですか?」
「ええ、洪水の時なんか大変なんですけどね」
「……でしょうねぇ!」

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