【無料公開中】高田大介〈異邦人の虫眼鏡〉Vol.5「すべての道に名前がある」
道に名前のないところ
アイルランドの、というか世界的なロックバンドのU2に「道に名前のないところ(Where The Streets Have No Name)」という名曲がある。曲の趣旨は「こんな閉塞的な場所から抜け出して、お前とふたり、道に名前のないところまで行こう」といったほどのところだが、前提として欧州ではおよそ人の住むところ、道にはふつう名前があるということを意味する。しかし「お前とふたり」連れ立って行く、その行き先が不毛の荒野などでなく東京だったらどうだろうか―「道に名前のないところ」には違いないけれども詩趣を損なうところ甚だしい。閉塞の度が深まりそうだ。
もちろん東京にも名のある道というものはある。甲州街道とか日光街道といった幹線道路には近世以来の名前がついているが、それらは旧道の名を継承した現国道20号や国道4号(宇都宮から119号)の一種の通称であって住所の表現ではない。また神宮通りとか、蔵前橋通りとか、もっとローカルな史跡に紐付けられた道の名も、道順の指定には用いられても住所の指定には使われない。名のある道は、ほぼ同義反復になってしまうが要するに「有名な道」なのであって、すべての道に名前があるわけではない―いや名前のある道こそ極めて少数派なのであって、大多数の道には名前がない。大通りを一本曲がれば無名の道である。
道には名が必須と考える欧州人には無名の道は慮外なことと思われるだろう。しかしとくに京都や北海道を除けば、日本人の大多数は家が大通り沿いにあるのでもなければ、通常「道に名前のないところ」に住んでいるのである。
通り型と街区型
まず洋の東西で住所の指定の仕方に違いがある。大別すると、道に名前をつける西洋の「通り型」と、区画に町名をつけ丁目番地を振っていく日本の「街区型」の別である。今回の話題はフランスにおける「通り型」住所について、というところなのだが、まずは日本の住所の方から見ておこう。
多く世界では道で場所を指定するのに対して、区画単位に名や番号を割りあてるのは、今日では管見の限り日本が唯一の例となった。日本同様の「街区型」を採用していた韓国は2014年の法改正によって「通り型」に移行したし、中国の「~街」や台湾の「~路・街・巷・弄」というのも、いずれも「通り名」のことだそうだ。(今回の記事では「通り名」は「とおりな」ではなく「とおりめい」と読む)
住所表記の順序
通り型と街区型の別に加えて「住所の表記順序」そのものにも大別があり、日本では郵便番号、都道府県名、市名、町名、丁目、番地、建物名、部屋番号と並べて、厳密に「大から小」の順序になる。政令指定都市なら区名が入るし、郡名や大字・小字がかかずらうこともあるが、大枠としての「大から小」は一貫している。なるほどウェブ上のインタラクティブ・マップでどこかに迫っていく時にも、まずは大範囲から中範囲、そして小範囲にと絞っていくのが好適ではないだろうか。天体観測だってまず小望遠鏡で大範囲を捕まえてから主鏡筒を覗き込むものではないか。最終的にはピンポイントまで持っていくにしても、まずは何かを大まかに探っていくに際して、初めから有効数字の下の桁に注目することは無いのではないか。上の桁から見ていくというのが人情ではないだろうか。
ところがこの「大から小」式の表記順序の採用国はごく少なく、日本、中国(香港を含む)、台湾、韓国、ハンガリー以外の例を寡聞にして知らない。
1)中国 123456(郵便番号) 中華人民共和国〇〇省〇〇町〇〇街〇〇路〇〇号 宛名
2)韓国 03722(郵便番号) 대한민국(国)서울특별시(特別市)서대문구(区)연세로(路)50 延世大学校言語研究教育院 귀중(御中)
3)ハンガリー Kodály Zoltán(宛名) Budapest(都市)Árpád fejedelem útja(通り)82(家番)fszt. 2(1階2号)1036(郵便番号)
これとは反対に「小から大」の順序ならば厳密には「宛名、部屋番号、建物名、家番、通り名、郵便番号、自治体・都市名、国名」などと並ぶことになりそうだが、実際にこの並びに表記する国は調べてみると意外と少ない。英連邦諸国の多くとアイルランド、イスラエル、タイ、フィリピン、フランス、マレーシアなど。どこの国でも住所表記は近代的な郵便制度の成立とともに整備されたのだろうから、旧植民地が宗主国の制度に従っているのは理解できるところだ。シャーロック・ホームズなら、221B Baker Street, NW1, London, UKといった具合である。フランスでも同様なのでこれが世界標準かと勘違いしていたが、「宛名、家番、通り名、以下」と並べる厳密な「小から大」の順序の国は実は大勢を占めない。他の大多数(ドイツなど欧州全域ほか)は原則「小から大」だが「宛名、通り名、家番」と、ここのところだけ上位疇が先に来るのだ。
ちなみにアメリカは大枠、イギリス、フランス同様だが、「宛名、家番、通り名、建物名(アパート番号・部屋番号)、以下」という具合に変なところで入れ違っているように見える。
ところで日本を含む「大から小」派の「世界的例外」である数カ国がいずれも印欧語派に属さないのには、言語類型論的な理由がありそうだ。ハンガリーのマジャール語はフィン・ウゴル語派で非印欧語、周りを印欧諸語に囲まれた飛び地言語である。またヨーロッパの言語としては珍しい、主語配置の義務が弱く、主題を強調する話題卓越性言語の一つでもある。話題卓越性言語というのは、東アジア、東南アジアに多く分布する言語類型であり、日本語や韓国語や中国語もその一つ。
日本にもある通り型
さて、すべての通りに名前があるかという主題に立ち返ろう。
日本は世界的にいろいろ例外となる部分が多いのだが、その日本の中での例外はすでにちょっと触れた京都や札幌、旭川などのケースだ。そちらでは通りの名が住所表記にも道案内にも用いられる。碁盤目状都市、いわゆる条坊制の名残であり、「南北軸の坊」と「東西軸の条」によって直交座標みたいに場所を指定するのである。平安京はかつては「長安の条里制を取り入れた」と説明されてきて、私もそう覚えていたのであるが、最近ではこの「条坊制」という用語で説明し直されているようだ。知らないうちに「条里制」がお払い箱になりつつあるみたいなのだが、条里か条坊か知らないが方形の街を碁盤目に仕切っていく都市計画のイメージに変わりはない。碁盤目状都市なら場所の指定は直交座標で指定するのが簡便になる。北海道では「条」と「丁目」の二軸で住所を指定する。チェスなら「ポーンをd4に」といった具合で、なるほど合理的だ。
ところが京都ではx軸とy軸を指定すれば場所が一意に定まるというような、条理にかなった余所者にも優しい仕様は採用されなかった。縦横の小路の各々にことごとく風雅な名をつけて、その順序を頭に入れておくことを道行く人に要求したのである。いわゆる「丸竹夷二、押御池、姉三六角、蛸錦」というやつで、観光に来る田舎者どもも道の順ぐらいは暗記してくるのが本来である。住所表記は「丸太町通七本松西入ル」というような「ほぼ道案内相当の注記」が町名の前に挿入されるのが常だが、私のようなあずまえびすには解読が困難なように工夫されている。
京都式は欧米人にはよろしおす
ところが欧米人からすると、曲がりなりにも街路表示の住所なのは理解可能だし、丸竹夷二を覚えていなければどこに行ったものかも判らないというのも、そもそも欧州の住所というのはそうしたものだ(範囲から絞っていくのでは駄目で通り名がぴたっと指定できなければいけない)し、「姉三六角、はんなりよろしおす」ということになるのかもしれない。実際、英米人やフランス人が「これはあきまへん」と匙を投げるのは実は東京の住所表記の方である。
ウィキペディアの英語版「House numbering」の項(https://en.wikipedia.org/wiki/House_numbering)には「東京のような巨大で複雑な都市を訪問するものは、しばしば交番のお世話になって道案内をしてもらわねばすまない」と嘆かれているし、フランス語版「Numérotation des immeubles」の項(https://fr.wikipedia.org/wiki/Numérotation_des_immeubles)には「建築物は建った順に番号付けされ、その結果連番をもった建物が必ず隣り合っているとも限らない[中略]道に名前がついていないのも普通だし、そもそも東京人は地理的な目印としては駅とか店とか史跡とかを用いるので、道名はいっかな用いない。東京は先進国世界の中でも正確な住所を特定するのが最も難しい街であり、往々にして東京人でも外国人に道順を説明することなどかなわず、現在地がどこなのか知るために彼ら自身地図を持ちだしている始末である」などと実感のこもった記述で腐されている。
フランスの通り名の種別
かく言うフランスではすべての道に名前がある。もちろん山中や森林の杣道、個人の農地を走る農道などが無名であることはあるが、およそ公道であれば必ず通り名を持つ。
通り名には幾つかの種別があるので都市発達の一般論とともに整理しておこう。
この図はフランス中部の中・小規模都市を示す模式的なもので典型例に過ぎない。もちろんすべての街が同じように発達したわけではないし、すべての街が城下町で門前町であるわけでもないが、これぐらいの図式化は許されるだろう。
ガロ・ロマン時代にガリア地方(とくに中部フランス)に農奴制に立脚する要塞化した自給自足型農場が多く発達した。農地の他に上流階級の邸宅、自由民の家屋、下層階級の集合住宅などを囲み、防護壁を張り巡らせた要塞都市の萌芽である。都市の精神的な中心がAの広場であり、その求心力の源は街の中心に立つ教会である。現在なら市役所もだいたいその辺に建っている。広場から放射状に伸びるのがBのアヴニュであり、重要施設が立ち並び店舗が軒を争う。図では広場が一つのミニマルな街を描いたが、実際の街では広場は複数に及び、それら広場同士を結ぶのもアヴニュと呼ばれがち。並木道になっていることが多いのもアヴニュの特徴の一つだが、これは場合による。
都市の外輪を描くのがCのブールヴァールで、街の外郭の名残りであり実際に現在まで外壁が残っていることも少なくない。都市が中世を通じて第二期発展、第三期発展と拡大していけば、外郭はさらに外に更新されていき、何重ものブールヴァールが形作られることもある。アヴニュは都市外輪でブールヴァールに突き当たり、そこでは門がいったん道を閉ざす。中世の都市は基本的にゲイテッド・コミュニティであった。
放射状に外へ向かうアヴニュに対し、梯子か阿弥陀籤みたいに横を繫いでいくのがDの「通り」であり、英語圏のストリートにあたる。これが最も多い「普通の通り」ということで「通り名」を訊くときにはle nom de la rue ?で一般的に通る。ちなみにフランスで一番多い「通り名」は「教会通り」で全仏に八千弱の教会通りが存在するとのこと。二番目は「教会広場」だそう。構成上、アヴニュとリュは部分的に直交するが、このような発達過程を見ないアメリカなどの近代都市でもアヴェニューとストリートは直角に交わるという性質が保たれており、たとえばマンハッタン島ではアヴェニューは南北に伸び、ストリートは東西に走り、両者は直交する。
さて、アヴニュは都市外輪で外郭に突き当たるが、門を抜けて隣の街、そのまた隣の街へと道は続く。それがEの都市間連絡路であり、リュ、あるいは街道と呼ばれがちである。日光街道があるのは日光ではなく、甲州街道の大部は甲州外にあるのと同様に街道は行き先である「隣街の名」を冠することになる。したがって例えばリュ・ド・モンは、モン市ではなくその隣町に発することになる。その他、図中にはFのような行き止まりや、公園内か墓場の順回路らしきGの小道などが見られる。
概要、以上のような通りの種別を表す語が通り名の基本となり、これに後ろから何かしら語を足していったものが各々の通りの固有名ということになる。通りの種別を表す語には他にも、地形由来(上り、下り、丘など)や施設由来(橋、埠頭など)や建築物の通り抜けのできるところ(パサージュ、トラブールなど)、あるいは庭のバリエーション(ジャルダン、スクワール、クロ、クールなど)、道一般を表す最も抽象度の高い概念(シュマン、ヴォワなど)、ウィキペディア「通り名」の項によればざっと四十種類強を数えるが(本気で数えると三百種を超えるとする調査があるらしい)、主だったものは先にあげたA~Gになる。
もう一つ、見つけると取り敢えず入ってみたくなる小路という種別を紹介しておこう。しばしば他所のお宅に入っていくような雰囲気で気後れしてしまうが、これが実に「公道」なのだ。
家番の振り方
これらの街路に立ち並ぶ家屋建物に家番を振っていくのだが、これにも法則がある。街の中心(大体は市庁舎)に近いところを起点にして順に、例えば街路右岸に奇数、左岸に偶数と決めて順に振っていくのである。偶奇を左右のどちらに振り分けるかは国によって、場合によっては街ごとにさまざまだ。ともかくも番号の若さが中心への近さを意味する。家番を小さい方へと道々を辿っていけば、原則としては市庁舎なり教会なりのある中心街へ近づいていくことになる。
パリ市では街路のセーヌ川に向かう道ならセーヌに近い方を若く、セーヌ川に平行ならばセーヌの流れにそって上流を若く取り、左側に奇数、右側に偶数と振っていく。セーヌ川の中の島はどうするんだと言えば、より大きい北側水路を基準に取るという。もちろんこうした原則はいつでも厳密に守れるものではなく、たとえば凱旋門周りの「リュ・ド・プレスブール」や「リュ・ド・ティルシット」などは完全円形なので独自の番号付けを許されているとのこと。
しかしセーヌ川ってパリ市内を結構自由に蛇行しているし、どっちが近いとか、どっちが上流とか、即座にイメージ出来るだろうか。やはりパリは難しそうだ。
家番の振り方のもう一つの例外は「~埠頭」系の通りのケースで、とうぜん建物の立地が片岸にしかないので、家番が片側のみの偶奇交互になることがある。
それから、決まった家番の間に新建築が割り込めば枝番を割り振るが、例えば5番の2、5番の3、5番の4、という意味で、5 bis, 5 ter, 5 quaterと振っていく。ラテン語がこんなところに生きている。5以下、quinquies, sexies, septies, octies, noniesという具合だが、実例はquaterまでしか見たことがない。
通り名の実際 施設タイプ
通り名は種別の後ろになんからの語を続けて固有名になると述べた。一番多いのは「施設タイプ」で、すでに触れた「教会通り」の他に「水車通り」、「市役所広場」や「お城通り」、「学校通り」といった具合。この辺は頻出ベスト10入りの「通り名」で、フランス中の街々、村々に何千と分布している。
こうした「史跡・施設タイプ」の通り名は、しばしば名付けもとの施設を現地に失っていることもあり、歴史の証言となることがある。例えばトゥールの「鞣し革職人通り」には鞣し革工房は痕跡すら見られず、建っているのはトゥール大学の文学部キャンパスだし、リモージュの「洗濯女通り」には洗濯女の気配はなく、「肉屋街」にはもはや肉屋は残存していない。こちらはわずかに肉屋の店構えの痕跡が残るばかりであったが、界隈の聖アウレリアヌス小聖堂ではキリスト生誕像の幼子イエスが血の滴る生レバーを手にして舐めているという驚きが残されていた。アキテーヌ地方では肉屋が産婦にレバーを贈るというワイルドな伝承があったのである。おそらく妊産婦には鉄分が必要という経験知があったのだろうが、赤ちゃんに生レバーは絵面がえぐい。写真の撮りにくい暗い小聖堂なので既存記事にリンク(http://roch-jaja.nursit.com/spip.php?rubrique251)。
また陶芸で有名なリモージュには、そちら由来の通り名もあまたあるのだが、「陶器通り」には郵便局の本局があり、工房の痕跡はほぼなかった。ただ警察本局のビルと憲兵隊本部のビルの間の高台に、まだ巨大な円筒形の窯が残っているのが遠目にうかがわれる。差しわたし十メートルはある蓋付きのビアマグのような窯が聳え、まだ煙突が突き立っているのだった。
人名タイプ
次に多いのが「人名タイプ」で、最多例の「パスツール通り」が二千五百例、2位の「ヴィクトール・ユゴー通り」が千六百例をいずれも超える。
通り名への登場例で言うと、一番多いのは実はシャルル・ド・ゴール大統領(三千九百三例)なのだが、「アヴニュ・シャルル・ド・ゴール」の使用例が多くて「リュ・シャルル・ド・ゴール」と票が割れてしまった。「シャルル・ド・ゴール広場」も千例を超え、人名系通り名としては人気の上でも最右翼と称して良いだろう。広場に使われがちという事実に人気度の高さを見て取れる。「シャルル・ド・ゴール埠頭」や「シャルル・ド・ゴール環状交差」まであるそうだが、そんなところにまで使うかな。
ド・ゴール、パスツール、ユゴーに次いで人名系通り名での登場例数ベスト10を列挙すれば、『フランス大革命史』で知られる文人政治家ジャン・ジョレス、対ナチ・レジスタンスの指導者ジャン・ムーラン、第三共和制期の首相レオン・ガンベッタ、パリ解放の英雄、将軍ルクレール、第三共和政期の首相で現代的な学校制度の父ジュール・フェリー、第一次大戦期の元帥フォッシュ、第一次大戦期の首相ジョルジュ・クレマンソー、以上が上位十名。この辺の有力人名はリュだけでなくアヴニュに使われがちである。ド・ゴール広場が多いのと同じ理由だ。
これは余談だが行き止まりの「アンパス」については一番使用例が多いのはImpasse Victor Hugo(百六十一例)だそうで、なんとなく理由が分かるような……最後まで行き着かなかった人が多いってことかな。
あと人名系通り名の注目ポイントは画家村や音楽家村が発生しがちだということである。つまり郊外で新規土地開発をして、新たに何十戸を擁する「新興住宅地」が出来たりすると、宅地開発に伴って道路整備を行うわけで、そこで界隈まとめて一遍に道々の名前を付けたりすることになる。そんなとき近年の新興住宅地では全部の通りを画家名で統一したり、音楽家名で統一したり、作家名で統一したりする傾向があるのだ。そこで郊外の新村を地図上で見ると、ここはラファイエット夫人のサロンか、バルビゾン村か何かなのだろうかと怪しまれるような「作家村」や「芸術家村」が誕生することになる。「芸術家村」の芸術家通りの住人に、これら通り名が芸術的影響を与えうるかどうか、見守っていきたい。
西洋古典村はリモージュの人文学教養を支えたか
ところでリモージュの郊外に、「ホメロス通り」、「イーリアス小路」に「オデュッセイア小路」、さらには「プリアモス小路」に「イタケー小路」、「キケロー小路」、「アエネーイス通り」に「農耕詩小路」、「ミケーネ小路」に「テレマコス小路」、こうした通り名がぞろっと並んだ界隈がある。直近のバス停が「ホメロスの子等」と念が入っている。西洋古典愛が凝縮したような凄まじい界隈なのだが、こうした界隈の存在は人文学教養への傾きをこの地に支え得ただろうか。残念ながらリモージュ大学は西洋古典セクションそのものを文学部から失ってしまった。
行き場を失ったアウグストーリトゥム(リモージュの古名)の羅甸学者や希臘学者達は、かくして三々五々他都市に散逸したのである。数年前に西洋古典学専攻の最後の卒業生を見送って地元新聞は「リモージュ最後のラティニスト」と嘆いたが、郊外の西洋古典村は人文主義をリモージュに守り得なかった。通りに名前をつけただけでは駄目なのだな。
植物タイプに抽象タイプ
「人名タイプ」に次いで「植物名タイプ」も多い。「すずらん通り」、「ポプラ通り」、「マロニエ通り」、これは日本の商店街にもありそう。件の新興住宅地で「植物名タイプ」に揃える例も多く、この辺は木や花ばかりだな、という界隈がしばしばある。
「抽象名詞タイプ」も多い。フランスの国是から「自由通り」とか「平等通り」とか「博愛通り」とかいった通りが量産されている。「平和通り」とか「希望通り」とか、この辺も日本の商店街にもありそうだ。「共和国」はどこの街でもほぼ決まって「共和国広場」。ここに集まって市庁舎までデモをするというのがフランス人民の常である。「革命通り」もどこにでもあるが、これまたフランスならでは。
それから興味深いのは「重要な日付タイプ」である。「7月14日通り」は革命記念日、「11月11日通り」は第一次大戦休戦記念日、「5月8日通り」は第二次大戦戦勝記念日、「3月19日通り」はアルジェリア戦争終戦記念日、といった具合である。なるほどという感じはあるが、ナビゲーション・ソフトなどに「11月11日で左に折れてください」などと出し抜けに言われると、とっさに「今日はどうしたらいいの? 曲がっていいの?」と不安になってしまう。
通りの入口や出口には通り名の看板が掲げられているのが常だ。印象的なものを撮ってきた。
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!