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〈タワマン文学〉の旗手・麻布競馬場待望の第2作『令和元年の人生ゲーム』。発売直後から「他人ごととは思えない!」と悲鳴のような反響が続々と…… 4月、やる気に満ちた新入生の皆さまの応援企画として、第1話〈意識の高い慶應ビジコンサークル篇〉を期間限定で全文無料公開いたします! これを読めば5月病も怖くない……はずです。 『令和元年の人生ゲーム』 第1話 平成28年 2016年の春。徳島の公立高校を卒業し、上京して慶応義塾大学商学部に通い始めた僕は、ビジコン運営サークル「イ
青吾の脳裏に、ゆうべのちいさなパブがよぎる。あのカウンター席で、出口重彦が浦誠治に酒を飲ませている光景が浮かんだ。口元にウイスキーか何かが入ったグラスを押しつけ、気さくなそぶりでがっちりと肩を抱えて逃がさない。ふたりの顔は「おじかだより」で見た写真と同じモノクロで、カウンターの向こうにいるレイカの姿は全体にモザイクがかかってぼやけている。青吾と最も関係の深い人間の顔だけがわからないなんておかしな話だ。 「口封じに殺された可能性もあるってことですか?」 刑事ドラマみたいに現
読んでいるうちに、ぷーんと香ばしいパンの香りが漂ってくる……そんな〝美味しい〟ミステリーが誕生した。 『謎の香りはパン屋から』は、第23回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作。著者の土屋うさぎさんは、26歳の漫画アシスタント兼漫画家だ。ギャグ漫画や百合漫画を主戦場にしているが、あるきっかけで小説を書き始めたという。 「ここ数年、漫画家のおぎぬまX先生のアシスタントをしているのですが、先生が2年前に『このミス』大賞に応募していたんです。漫画家でも小説書いていいのか!
第5章(承前) 御庭番は、将軍直属の密偵または調査員である。全国へ飛んで大名の動静や民情などの探索にあたるが、そもそも幕府機構にこの職を創設したのが吉宗自身ということもあり、吉宗は、かねて彼らと直接口をきくことを好んでいた。 男はそのひとり、遠藤某という者である。もっとも、密偵といっても、 「大坂より、先ほど帰りました」 と切り出した、その声は特別ではない。しゃちほこ張ったような、遠慮したような、小役人そのものの話しかたである。幕臣としての実体は微禄の旗本なのだから当然だ
秋にはいつも楽しみにしている行事がある。それはしょうゆ業界の関係者が集まり、開催される「醤油の日の集い」である。 10月1日は「醤油の日」。昔の日本では、冬に備えるために、秋口に農作物の貯蔵や加工を行なっていた。さらにしょうゆ造りのための「もろみ」も、10月に仕込んでいたのだそう。醸造に関するさまざまな由来が秋に縁深く、そのことから10月1日が「醤油の日」と定められたという。その日を記念して行われているのが、「醤油の日の集い」である。ひょんなことからご縁がありご招待をい
第二章 甲子園の英雄1 「結局、甲子園がピークだったってことだろうな」 「よくいますよね。高校時代は輝いてたのに、プロに入って急に色褪せる選手って」 後方から訳知り声が聞こえてきた。 おそらくバックネット裏中段に陣取っている関係者だろう。声を潜めてはいたが、ネット裏前列にいる山縣聡太の耳にははっきりと聞こえていた。部外者が勝手なことを、と内心憤りを覚えたが、反論の言葉は見当たらなかった。山縣はもどかしさとともにグラウンドを見つめた。マウンドでは宮田一翔が苦悶の表情を浮
はじめまして。 はやせ やすひろ 様 出演番組やYouTubeなど、いつも楽しく拝見しております。 今から二〇年ほど前の話になるのですが、私が体験した、とある蔵に纏わる話を聞いて頂きたく、メールにてご連絡差し上げました。 ぜひ一度、ご検討下さいますよう宜しくお願いします。 北野 拓哉 僕が北野さんからメールを受け取ったのはつい先週のことだった。その後、何度かメールのやり取りをする中で、北野さんの小学生時代の体験談
『指先から旅をする』が書籍化しました! 世界中で撮影された公演&オフショット満載でお届けします。 続くスクリャービン《幻想曲》は強弱の変化をとても細かく設定した。フォルテが長く続き、かつ音楽も広く大きな構造をしているため、飽きがきてしまわないようにだ。フォルテ内での音色もよく考えた。ドラマティックな時があれば、ミステリオーゾで騒めいたり、はたまた苦しく嘆くようなキャラクターを出してみたり。様々なニュアンスのフォルテを示しつつ、稀に現れるピアニッシモで差を強調する。早くも客
——祖父は日本初の、ろう理容師です。 デビュー以来三年間筆が進んでいなかった小説家・五森つばめは、作家としての再起をかけて、自身の家族の物語を書くことを決める。つばめの祖父・正一は、大正時代に生まれ、日本で最初に設立された聾学校理髪科を一七歳で卒業し、徳島市近郊で自身の店を営んだ人物だ。聴覚障害を抱えながら、生涯鋏を持ち続けた彼の人生は、果たしてどのようなものであったのか。つばめは、当時の祖父を知る五人の視点から、その実像に迫ろうとする——。 著者の一色さゆりさんは、
『指先から旅をする』が書籍化しました! 世界中で撮影された公演&オフショット満載でお届けします。 11月9日(土) 明朝5時半に起床し、午前8時の飛行機でニューヨークへ向かう。フライト時間は7時間だが、ニューヨークへ到着したのは現地時間午前10時。なんとも不思議な感覚だ。ヨーロッパからアジアへの長距離便をよく利用するので、7時間の旅は比較的楽に感じる。だが関門はそれからだった。 空港にて1時間強の長い列に並び、入国審査を行う。その後荷物を受け取ってホテルへ向かおうと
『指先から旅をする』が書籍化しました! 世界中で撮影された公演&オフショット満載でお届けします。 11月6日(水) 2日間のリハーサルを終え、本番を迎えた。 ピアノから始まる前奏。息を一度吸い、指先以外の全身の力を完全に抜く。上から優しく毛布をかけてあげるように手首を下ろしながら放ったト長調の和音。劇場中に至高のト長調のハーモニーが響き渡った。 ドイツの偉大なピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウスはこう述べている。「私が愛して止まない作品の、この部分を今まで毎日練習
『指先から旅をする』が書籍化しました! 世界中で撮影された公演&オフショット満載でお届けします。 欧米のクラシック音楽界は、9月から新シーズンがスタートし、魅力的な定期演奏会やオペラ公演などで活気に満ちている。私も観客としてベルリン・フィルの公演やベルリン国立歌劇場、ウィーン楽友協会に足を運ぶ一方で、奏者としても様々な国へ訪れた。今シーズンは初めて降り立つ国も多い。 2024年9月13日にプラハ(チェコ)で行ったリサイタルはとりわけ印象に残っている。結論から言うと、
第五話 検診車の中は、見渡すかぎりピンクだった。カーテンも、合皮ばりの椅子も、看護師の制服も。 「三十二番のかた」 ここでは、名前ではなく番号で呼ばれる。受診票の入ったファイルを手渡す際、軽いめまいを覚えた。 二十歳になってから二年に一度かならず市の子宮頸がん検診を受けてきた。いいかげんに慣れよう、と思えば思うほど緊張する。痛くありませんように、と祈るが毎回きっちり痛いし、出血する時もあるから。 待機スペースのカーテンを閉め、スカートをたくしあげて、ショーツを脱いだ。マ
第32回 からいもの思い出 鹿児島市内に住んでいた小学2年生の頃、クラスに奄美大島からMくんという転入生がやってきました。ガッチリとした短躯に浅黒い肌、黒目がちな丸い目の少年でした。彼の家は、僕が当時家族と住んでいたのと同じアパートにありました。そのアパートは一棟が丸ごと父親が勤めていた銀行の社宅で、僕の父親とMくんのお父さんは、会社の同僚でもあったということになります。 実はMくんと特別に仲良くなった記憶はあまり無いのですが、近所のよしみとでもいった感じで、時々一緒