言語学者、フランスで運転免許を取るーー高田大介「異邦人の虫眼鏡」
「図書館の魔女」著者にして、在仏15年の言語学者、高田大介さん。
古都トゥール郊外の村への引っ越しを決めた高田さんは、
田舎暮らしを始める前に、なんとか日々の「足」を確保せねばと、
現地の自動車学校の門を叩きました。
引越しのタイムリミットが迫る中、免許取得までには
いくつもの「難問」が待ち構えていて……
機動力とドクトリン
機動力の変化は時に戦闘教義そのものを抜本的に変えてしまう。などとしたり顔で言っているのは、最近必要があって両大戦間の欧州各国の動向を調べたりしているからだ。
私は歴史やミリタリーには暗いので、なにか歴史的・軍事的な大所高所からものを捉える必要があるときは、だいたい泥縄式で調べながら書いている。詐欺師みたいなもので、その場だけ取りつくろって知ったような顔をしているだけだ。
機動力が高まればドクトリンが変わってくるなどという事実も、戦史のなかに読み取れる事実としてではなく、生活者の日常的な実感として捉えているばかりである。つまり私の私生活における、機動力とドクトリンの変化のことだ。
学生の頃は何処に行くにも足は自動二輪だった。雨の日も自動二輪で移動するバイク狂で、国道16号の内側は近場という感覚である。GPSかなにかを後頭部に埋め込んで当時の私の行動範囲をモニターしてみたら、ちょっと異常な奴という評価しかあり得ないだろう。東にある家に向かうのに西に向かって走っている、というような移動そのものが自己目的化している生活であった。暴走する猿みたいなものである。
その後「ネクタイを締めて電車に乗る」という芸を覚えて、千葉に住んで群馬に出講するとか、群馬に住んで東京に通勤するとか、通勤快速やら新幹線やら、始発やら終電やらで移動するのが常になり、行動範囲が「線」になってしまった。
さらに、ある日一万㎞ほど移動したのちに、ちょっと一遍に移動しすぎた分の借りを返さなければいけない気になったのか、私はすっかり移動しない日々を送るようになった。移動手段はもっぱら徒歩であり、行動範囲がほぼ「点」になった。思えばよく我慢していたものだ。あまりに移動をしなくなってしまったので、物語などを書いて旅を疑似体験していたのかもしれない。『図書館の魔女』は私が行きたいところを書いていたのかもしれない。いや、行ってこいって言われたら断りたいようなところばっかりだけど。
ともかく徐々に「移動しない猿」に変化しつつあった私は、このほど田舎に引っ越すことになったので機動力を回復する必要に迫られた。というか「機動力があれば田舎に住めるな」というのが元の発想で、引っ越す前にまず移動手段を確保することにしたのだった。
フランスで免許を取る
そこで二〇二〇年、リモージュで自動車の運転免許を取ることにした。今回の話は免許取得までの凸凹体験記というところだ。
履歴を見てもらえば判る通り、私はもともと普通免許を持っていなかった。屋根付き四輪とは縁がなかったのだ。その代わりと言ってはなんだが、自動二輪は大型まで持っていた。過去形なのは失効しているからだ。「限定解除」という過酷な制度があった時代に取得したものなので、もったいないことをしてしまった。
ともかく遠い異国で一念発起、自動車学校に「入学」することにしたのだった。ちなみにこの段階でもまだ行動範囲は点のままである。というのも自宅の真下にあった自動車学校に入学したから。
フランスでの免許取得の大きな流れをまとめてみよう。
(1)滞在許可証と小切手帳を手に自動車学校に登録する。
(2)同時に国家安全保障機関Agence Nationale des Titres Sécurisés(以下ANTS)に登録する。
これはパスポートや、免許証、車両ナンバー登録などに係る「マイナンバー」みたいなものを得るということ。オフィシャルな証明写真を撮る時には、「ANTSに写真データを送信できる証明写真撮影機」を使う。というわけで私の個人データは内務省、外務省、国家警察、陸運局相当の機関などに共有されている。私がなにか大事件を起こして遁走したりしたら、回状がまわってここのデータが公開されるわけ。
(3)授業開始にあたりまずは初回評価 Première évaluationを受ける。
免許を取る前からもう結構乗れるようになっている人もいる(同乗者つき運転許可とか、監督つき運転許可とかの制度があるため)ので、まず現況の運転能力をいきなり試される。これについては後述する。
(4)座学はじまる。
日本の教習所でいう「学科」である。まずは何はともあれ法規、交通安全、救命法ほかを覚えて試験に通らねばならない。
(5)運転はじまる。
「実技」である。
(6)自動車学校外でのコードの試験。
座学と運転が並行して進行する中で、頃合いを見て警察主催の試験を予約して警察署から委託を受けた民間企業などが用意した会場(リモージュでは郵便局内にあった)に受けに行く。試験結果はほぼ翌日にはANTSのアカウントに通知される。
(7)自動車学校外での実技の試験。
実技が形になってきたら、頃合いを見て予約をとり、試験官を同乗させて実技の運転試験を受験する。試験結果は数日後にANTSのアカウントに通知される。
(8)必要書類を揃えてスキャンし、ANTSのアカウント上で運転免許交付願いを出す。
交付を待つ間は(7)の試験結果通知のプリントアウトが免許証相当の効力を持つ。
(9)免許証交付。郵便で届く。
自動車学校入学、そして初回評価
まずはオト・エコールに入学だ。めちゃくちゃ近所のにしたので、ある昼に買い物帰りに寄って、登録手続と必要書類について聞いた。事務員のフランソワーズに「なんで買い物袋を提げているの」と聞かれたので「この上に住んでいるので」と答える。
翌日には書類と小切手を持って登録をすませ、ANTSにも登録してもらって、自宅でアクセスするよう言われる。ついでに座学も受けていくかと聞かれたので、さっそく奥の教室でビデオ教習を受けてみた。
運転練習に先駆け、まずは「初回評価」を予約して受けることになった。評価するのはオト・エコールの教官サブリナだ。具体的には何をするのかと思ったら、いきなり車に乗せられた。運転席である。「はい、エンジンかけて」。ここがポイントだが、フランスのオト・エコールには「教習所場内のコース」は存在しない。全て路上教習である。
私にとっては初めて座る運転席だが、いきなり歩行者も他所の車もいる路上でエンジンをかけさせられる。バイクでなら、セルモーターでも、キックでも、押しがけでも慣れたものだが、四輪のエンジンをかけた経験は皆無である。「いきなりですか」「早く」「はい」というわけで、これは緊張の一瞬だ。
しかもこのオト・エコールは街中にあり、固有の駐車場など持っていない。初体験から、前の公道、ゆるやかな坂道に縦列駐車した教習車のハンドルを握って、バックでの坂道発進、縦列駐車からの脱出というのが私の自動車運転のスタートであった。ちょっと過酷なスタートだと思う。
教習車は日本同様で、屋根の上にオト・エコールとプレートが掲げられており、操作系としては教官席にもペダル類があり、バックミラーの類いが助手席からも見られる仕様。ディーゼル・エンジンのプジョーだった。それから教官席にも方向指示器やハザード・ランプのスイッチがあり、これをサブリナは「うちの馬鹿が迷惑かけて済みません」という他車への合図として使うのである。
ペダルは私がやるから、ハンドルは自分で切るようにと言われ、這う這うのていでなんとか車道に這い出た。このとき「ハンドルを逆に切る contrebraquer」という単語を初めて知った。もうこっちは言われるままにハンドルを右に左にぐるぐるやっているだけで、この操作でこれだけ曲がるというような感覚をゆっくり育てているいとまもない。リモージュの目抜き通りの17時、歩行者も交通量も多い中、クラッチ、アクセル、ブレーキはサブリナに任せたまま、内心で「ひぃ」と悲鳴を上げながら私がハンドルを切る車は、街路を走っていき、「はい、ここ入って」と舗道を乗り越えた先が、学校密集地の駐車場であった。
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