見出し画像

高田大介「星見たちの密書 エディシオン・クリティーク」#005

#004へ / #001へ / TOPページへ 

4章 僧院の鳩舎塔

 いわつきさま

 この手紙はさすがに出発日には間に合いませんね。帰国してからお手に渡ることになるのでしょう。
 先日来ずっと道連れになっているギィがレティシアと電話で喧嘩していました。
むつまじ過ぎるとげん」と言いますが、横から見ているとこつけいなものです。僕らのいさかいも傍目にはばかばかしいものに見えるんでしょうね。
 見たところギィの方が尻にかれているような具合ですが、敷かれ系の同輩としてなにかと意見を求められて困っています。
 いろいろと思うところはあるんですけど、何をアドバイスしても自分の出方が真摯というよりそくな浅知恵という感じが自覚されて、もやっとしますね。真理にもそんな部分が見透かされていたのかもしれません。
 こっちの二人は放っておけば勝手に仲直りしていそうなんですけど、僕たちはどうでしょうか。
 やっぱり言いすぎたことは謝らなければいけないかなって思いますが、あまり下手に出るのも件の姑息療法というやつで、僕にも僕なりのくつたくがあったことが伝えられたなら、それはよかったのかもしれません。
 なんにしろ不景気な顔で会いたくないので、せめても気持ちの整理のために思いの丈を開陳しています。もっともこんな駄弁も笑覧頂くのはお目にかかった後になるでしょう。 しゆ 拝

「……判ったよ。そういうことで構わない」
 ギィが低い声でそう呟きながら部屋にはいってきた。
 物判りの良さそうな文言に反して、その口調にはきっぱりとした拒絶のニュアンスが籠もっていた。電話を取ってからバルコンに出ていたギィは明らかにレティシアと口論に及んでいた。
 ふだんはじようぜつで早口のギィだが、諍いじしではむしろ口調がゆっくりになるようだった。人に言い聞かせるような落ち着いた物言いになるのだが、それがかえってレティシアを苛立たせていたことだろう。彼女は彼女で口が達者で責め立てるに当たってはいつでもいつせいといった具合になるのが常だが、室内で所在なげにしていた修理には電話口の向こうの声は聞こえなかった。ただギィの怒気をはらみつつも冷静な返答が切れぎれに聞こえるばかりだったが、何度か同じ言葉を繰り返している。レティシアに取り合ってもらえず話を聞いていないと判断した点について丁寧に……というかしつように繰り返しているのだ。ギィとしては発言の正当性に自信があるのだろうが、こういう場面ではそれは逆効果だ。おそらくレティシアの憤りの炎にあたら油を注ぐばかり——そういえば彼女の母のマルゴもこういう話振りが目立つたちだ。教職者の職業病だろうか、いささかけんずくで所謂いわゆる「上から」の指摘を重ねていくので、それでは先方のかんの虫を刺激するばかりだったはずだ。
 こうしたおうしゆうは何度か目にしていたが、だいたいレティシアがげつこうして捲し立てるのを、かたやギィの方はなだめるように、しかしちくいちはんばくしにかかり、そうして話は平行線になるのである。おかはちもくというか、どちらも悪手を指しているのは明らかだと思われるのだが、口論のフランス語ともなると修理には難しいし、そもそも口を挟むいとまもない。まして電話口でともなると双方に諫め口が届くいわれもない。
 他人の口論というものはどうしても愚かに見えるものだが、他山の石としてもって自らの玉をおさめるにくはない。修理からのせめてもの忠言は「それではレティシアのふんまんを助長するばかりだ」ということぐらいしかないが、翻って自分をかえりみてみれば似たようなことをしてはいないか。修理と真理との諍いはもうちょっと冷え冷えと互いに押し黙っていんけんになることが多いが、本質は同じようなものかもしれない。じっさい来仏直前に二人は久しぶりにきつめの諍いを繰り広げており、間の悪いことに和解の機会のないまま修理は機上の人となり、泣き別れに継戦状態が続いているという有り様だ。こちらからの様子うかがいの手紙は彼女のもとには届いていない。他所様に範を垂れる資格もありはすまい。
 ギィは「判ったって言ってるだろ」と言って電話を切って、狭いソファの修理の隣にどさりと腰を落とした。明らかに判ってはいないし、判ってもらえてもいなそうだ。

 ソファの前ではテレビが点いていて、ISPプロバイダの配信するスポーツニュースが流れていた。2016年の夏の番組構成はリオデジャネイロ五輪にほぼ占有されており、フランスでは気を吐いていたのは柔道と馬術とフェンシングだった。修理はもともとスポーツにはあまり関心のなかった上に、嵯峨野家もドアノー家も居間のテレビがいつも点いているという家庭ではなかったので、ずっと流しっぱなしのテレビはどちらかというと新鮮だった。これは家主であるギィの従兄弟のジャン=ピエールの習慣だった。
 このアパルトマンの所在地はジロンド川河口に近い西の都ボルドーである。ギィと修理は流れながれてアキテーヌ地方の行政中心地ボルドーまで南下していた。
 ジャン=ピエールはボルドー大に通う学生で、大都市ボルドーの南、環状線の外に手狭なアパートを借りていた。その辺りが大学の最寄りで、専攻はワイン醸造学エノロジーだそうだ。大学の学部学科にそういうのがあるのは初めて聞いた。さすがに酒どころだ。修理はボルドーといえばワインのことぐらいしか思い浮かばなかったものだが、そんな一観光客の浅薄な印象に違わず、ジャン=ピエールは実家が上流にガロンヌ川を遡った葡萄畑経営農家だったのだ。葡萄畑といっても独立系の老舗ではなく、海外資本のきもりの契約農家だそうだ。ギィに言わせると「伯父の立派な近代農園は中国資本に支配されている」のだそうだ。
 彼の実家はたいしたおしきだそうだが、アパートの方は学生暮らしらしい天窓しかない最上階のだった。そこに数日間の宿を借りる算段がついたのはエルモーボワ教授の家でとの攻城戦を経て、ギィの「療養」のためにさらに数日のお邪魔をしている間のことだった。こちらにはベッドはないけど構わないのかというジャン=ピエールの言葉に、ギィと修理はながに寝かせてもらえるならば雨露が凌げるだけよしとの判断に立った。エルモーボワ邸での滞在が四日目におよび、そろそろ出て行かないとフロランスの持て成しも笑顔ばかりという訳にはいかなくなる、そんなタイミングだったのだ。そして天候は下り坂になる見込みだった。
 ギィはルノーを手放していなければ車中泊も可能だったのにと嘆いていた。じっさいオートバイというものは雨風に弱く、その日の宿の算段もなく走り出したら出先で二進につち三進さつちもいかなくなる。中西部の気候は割に安定しているが、その代わりに雨模様となれば不安定な天候が続くことになる。西岸海洋性気候の天気予報は非情である。雨が降ると言っていたらまずは実際に降る。車中泊でもそれなりに辛い日々にはなるだろう。
 あとは長椅子からあぶれ、下のラグの上にジャン=ピエールの寝袋で寝るのがどちらになるかの勝負を待つだけとなった。ジャン=ピエールはアルピニストで、その寝袋は山中に命を永らえるための高機能最小構成の品であり、実際に潜り込んだらあとはファラオのミイラみたいなポーズでじっと寝ているしかないようなタイトで簡素なものだった。ちなみにこのあとトゥール郊外でドアノー家一行と合流するまでの四、五日の間、ギィと修理はその日ごとになにか勝負ごとをして「ファラオ式」に甘んじる犠牲者を決めることにしたのだが、初日に種目として選んだのはジャン=ピエールの部屋にあったチェスだった。これは心得の乏しい修理に不利な種目だったはずだが、あにはからんや勝ったのは修理で初回の「ファラオ式」の刑はギィに下った。
 修理がチェスをろくに指したことがない、実物の駒を持った対人戦は初めてだというのを、ギィは噓だとなじった。もっとも修理の言葉は事実で、彼には将棋の心得があったばかりで、あとはチェスは駒の動かし方と基本的なルールを知っていただけであり、せいぜい詰め将棋プロブレムを解いたことがあったぐらいだ。キャスリングの手続きも案内でなかったし、歩兵ポーンの初手は二マス進めることすら知らなかったのだが、遊び駒を無くして飛車角ルーク・ビシヨツプの移動域を封じ込めるという将棋の方針が図に当たった。発想としては角換わり腰掛け銀である。修理の王に迫ったギィは攻めが切れ、駒損を重ねて中盤で投げるはめになった。その晩のギィは数学徒に完全情報ゼロサムゲームで挑むのは鬼門と見て、翌日の種目を慎重に選ばなくてはとファラオ姿で反省しきりだった。たしかに修理の大学の学友はほぼ全員将棋が強かったし、知的ゲームとなると「やりこみ系」のばかりだった。

ここから先は

23,858字 / 1画像

《読んで楽しむ、つながる》小説好きのためのコミュニティ! 月額800円で、人気作家の作品&インタビューや対談、エッセイが読み放題。作家の素…

「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!