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高田大介新連載!「星見たちの密書 エディシオン・クリティーク」#001

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「図書館の魔女」シリーズの高田大介さんによる待望の新連載がスタート!
フランスの古都トゥールを訪れた
20歳の悩める数学徒・嵯峨野修理。
史学科の大学院生・ギィを相棒に、
ルネッサンス期の謎を解き明かす旅へ。
ハーレーに跨り、いざ出発!


1章 トゥール郊外に座礁する

 いわつきさま

 いんに打ち過ぎはなはだ恐縮です。
 メッセージ開くのが遅れました。今からそちらに返信しても裁判で言う「時機に後れた攻撃防御方法」っていう感じでえないので、こうして手紙を書いています。書簡ならちょっとのタイムラグがあっても当たり前だし、まだしも格好がつくかなと思って。
 こちらはフランス中部のトゥールという街に着きました。僕の拙いフランス語では「トゥールに行く」って言っても「何処のトウールに行くんだって?」と訊き返されてしまうし、「トゥールを経由して」って言っても「順番にパール・トウール何処に寄るんだって?」なんて話がこんがらかってしまうこと一再にとどまりません。こういう誤解が生じるのはフランス人同士にとってもそうみたいで、聞いていると文脈が整うまではみな「トゥールなる街」とかってちょっと言葉を補って処理してるみたい。
 同封の絵葉書はその古都トゥールの名勝、聖ガティアン大聖堂です。
 その前の広場を通りかかった時には辻音楽師がちょっと気の利いたガットギターの弾き語り、ミドルテンポのシャッフル・ビートの裏拍のせいで初めは気が付かなかったんですが、どこかメロディーに覚えがあって、聞けばイエス・キリストがどうとか歌ってる。これは賛美歌か、と思い至ったのが「いつくしみふかき友なるイエスは」でした。
 日本では同じ歌を「星の世界」っていう童謡のかたちで小学校の音楽の授業で歌ったりしますね。「〽かがやく夜空の 星の光よ」ってやつです。真理は歌ったことあったでしょうか。同じ節でも、僕はいつきが海洋少年団で教わってきたっていう、もう一つの文語のバージョンの方が好きでした。「星の」と題されていて、よく似たコンセプトなんだけど「〽月なきみ空に きらめく光」って始まるんですよ。すぎたにだいすいの詩だそうです。ご存じでしたか。こっちだと「仰ぎて眺むる 万里のあなた」っていう一節があって字は違うけど、ここのところがちょっと真理に呼びかけているみたいに聞こえませんか。そこが好きだったんですよね。
 このあとマルゴの家で姉達と会いますけど、父母と合流するのは来週になります。両親はバカンスの間はパリには戻らないつもりみたい。僕はパリなんかそんなに好きじゃないからその方がよかったけど、真理はパリの方がよかったかな。こっちに来たら見てみたいものとかあればあらかじめ教えておいてください。
 別れ際にはお互いすこし感情的になりすぎました。僕の方から謝りたいです。ずっと携帯の電源を切ってしまっていたのはしばらく「遭難」していて充電の余裕がなかったからです。悪意に取らないでもらえるとありがたいんですが……でも多分おこってるんだろうな。ほんとごめんなさい。
 ばたばたしているうちに取り紛れていると、すぐにそちらの出立の日になっちゃいますよね。準備しておかねば。
 取り急ぎ。またお便りします。

しゆ 拝

聖ガティアン大聖堂

 この手紙が投函されるのはもう少し後のこととなる。
 嵯峨野修理はその夜フランス中部のトゥール郊外の県道で、実際「遭難」していた。
 遭難の道連れは今日の夕方に初めて会ったばかりの青年、ギィ・ドリュイエだった。ギィは修理の「義姉の妹」レティシア・ドアノーの恋人で、トゥール大学の史学科の大学院生である——なぜ日本人の嵯峨野修理にフランス人の「義姉」がいるのか、さらにその「妹」とは何のことか、その辺の事情は追いおい触れていこう。後で聞いたことになるが、弱冠二十歳の修理と歳が二つ程しか違わないのに院生だというのは高校卒業後にグラン・ゼコールを経てから飛び級で大学院に直に登録していたからだそうだ。
 成田で旅客機に乗る前に「ギィという男がサン=ピエール・デ・コール駅まで迎えに来る」というメッセージを「義姉の妹」から受け取っていた。レティシアのメッセージによればギィ・ドリュイエの特徴は「短い茶髪の大柄な男で、似合いもしないライダース・ジャケットを着ている」というものだったが、駅のホームに降りたった修理を迎えたのはまさしくそんな風体の若者だ。まだ吊るしで売られていた時の癖が残っているような、着慣れていない風のジャケットをこの夏日に羽織っていたギィ・ドリュイエは、大柄だが、その割にいかつい感じのしない、目の柔和な青年だった。バイクのヘルメットを二つ、、持っていた。
 ホームで先に相手を見とがめたのは修理の方だ。
 観光シーズンに入っていたとはいえ、フランス中西部のこの駅に降りたつ日本人はそう何人もいない。それでもギィがTGVから降りてきた修理を見過ごしたのは、実は修理の手荷物が少なかったからだ。ギィはまず「巨大なスーツケースをごろごろと引っ張っているアジア人」と目星を付けていたのだった。
「すみません、あなたがもしかして……」
 なまりの少ないフランス語で後ろから声をかけてきたのは、ギィほどではないがひょろっと長身で、黒い巻き毛が額に落ちかかり、耳にからまっている「日本人」だった。
 すぐにそれと察したギィは「君がシュリか。俺はギィ」と胸を叩き、「初めまして」と手を差し出した。
 ヴァカンス・シーズンにフランスに観光に来る、特にアジア系の旅行客の風体はちょっと戦闘態勢というか、気合いの入った出で立ちになっていがちなものだが、修理の服装はまるで朝に隣のパン屋にバゲットを買いに来たような格好だった。すその解れたスウェットに、ダンガリーのシャツを引っかけているがこれが皺々しわしわ、下はよれよれのチノパンでひざが出ている。靴はほこりだらけのスエードのモカシンの履き口に、伸びた靴下がずり落ちてわだかまっていた。手荷物は機内に持ち込めるぐらいの旅行鞄一つで、これは確かに遠路、海外旅行に及んだというよりは、むしろ夏休みにちょっと帰省といった雰囲気だ。はじめに見逃したのも無理はない。
「修理です。初めまして」握った手を離したら、ヘルメットの一つを渡された。
 あれ、迎えに来るってバイクで来たの? ちょっと修理の脳裏に不安が過った。
「ギィって言うのはいかにもフランス人っていう感じの名前ですね」
「そうかい? もとはゲルマン系の名前だって聞いているけどな」
「いえ、『ギィ』っていう発音がね」
「子供の頃はからかわれたもんだけどね。クリスマスの歌にあるんだよな。『宿を切れ、柊を切れ』ってはやされてさ。シュリは英米じゃ女の子の名前だよな」
「日本だと男の名前なんですよね。古くからある役職の名前で……えいぜんがかりっていうのかな。物を直す人っていう意味です」
「シュリは修繕レパラシオンって意味なのか。そりゃ……名前としては変わってないか?」
「最近では珍しいかもしれないです。歴史書にはよく出てきますけどね」
「それじゃ俺は笑ってちゃいけないな、これでも史学者の卵なんだ。そうそう、この際、タメ口でいこうぜ」
 気の置けない男だった。割と人見知りをする質の修理が簡単にほだされてしまった。

 フランス語の「遭難ノフラジユ」の語源は「ナーウイス破壊フラギウム」といういいであるが、このほど座礁して動きを止めていたのはオートバイである。道連れにして行き先案内人のギィのハーレー・ダビッドソンは石灰質のさいせきにサイド・スタンドをめり込ませて、中西部の県道の路肩にやけに傾いて危なっかしくすくんでいた。長く伸びる一台のバイクと二人の男の影も、もはや薄く消えかかっていた。もう日暮れだ。
 県道——ルート・デパルトマンタルといっても町々を結ぶ街道はきちんと舗装されてこそいるもののセンターラインを引くことも出来ないほどの幅で、対向車との離合は両車が互いにそれぞれの右の路肩に脱輪して遂行せねばならない。この辺の道にはまれに「道路を譲り合おう」という標語みたいな指示標識が掲げられていることがあるが、これは交通道徳を説いているのではなくて、譲り合わねば擦れ違えないという即物的な事実をべているのだった。
 町と町を結ぶ生活道として必要十分な道路設備は舗装路のみであって、ガードレールも路側帯もありはしない。両の路肩に砕石が埋められているのもたまさかのことに過ぎない。ぼうにはただ森が、田園が、あるいは沼沢が拡がっているばかりだ。ギィがハーレーの火を落としてすぐに修理も気が付いたが、目の届く限りの範囲には街灯はおろか、道端の人家の光のひとつだに存在しない。おりしも時刻は盛夏の二十二時、わつかないより高緯度にあたるフランス中西部の平地の彼方には、すでに沈んだ太陽がまだ辛うじて明るみを保っていたが、それもバイクのヘッドライトが消えるのに折り合わせるようにして、こちらも消灯時間を迎えたかのようにつるとしに暗くなっていく。
 ギィが充電残量も不安になりつつある携帯電話を取り出して現在地を確認していたが、横から覗き込んだ修理も溜め息を吐いた。ナヴィゲーションのアプリケーション・ソフトは道順を示しているが、もう一つの広域道路地図の航空写真画像には一本の道とそれを囲む田園と森が表示されているばかりで、要するに長方形の画面は緑色と土色で埋め尽くされ、その只中にほぼ直線の道が一本表示されているだけ——情報と言えるものが何もないではないか。
 しかもその地図ソフトの航空写真は、リアルタイムに忠実に連動したものかどうかまでは判らないが、日没に応じて夜の風景が映し出されるようになっているらしく、画面の中でもいままさに日が暮れようとしている。
「ギィ、これ縮尺はどれくらいなの?」
 目的地であるドアノー家の別宅、メゾン・ド・カンパーニュまではあと20㎞ぐらいだろうか、本来ならば二、三十分も車を走らせれば到着するところだ。
 修理の質問の趣旨を悟って、ギィが画面を摘むように指を寄せ、より広域の範囲が画面に映し出された。二摘みか三摘みで、来し方の町、行く末の町が画面に入ってきたが……ギィは「12キロ」と呟いた。どちらも遠い。ここからバイクをなげうって歩いてみるとして、進むにせよ、戻るにせよ、三時間ほどの行程か。ずっと平地が続くことを僥倖とすべきだろうか。いや葉月初頭の晴夜で気温も穏やかだったことが幸いか。しかし三時間を敢えて歩きとおしたとして、深夜に辿たどきうる前後二つの町のどちらにも、知り合いがいるでもなければ、開いている商店があるでもない。ひっそりと静まり返ったその町に辿り着くのはいいが、それでなにになるというのか。夜明かしするのが田園の路傍になるのか、田舎町の教会前の石階段になるのか、それだけの差しかない。
「シュリの携帯は?」
「いや、僕の、ずっと充電切れなんだよね、ヘルシンキからこっち」
「Eh ben... c’est la vie…(セ・ラ・ヴィ)」ギィは力なく呟いた。
 人生とは往々にしてそうしたものだよな。「これぞ人生(セ・ラ・ヴィ)」というのはもっと明るい含意とともに聞きたい一言だったのだが。ギィとしても修理の準備の悪さを責めるのは筋違いというものだろう、なにしろ自分の選んだ交通手段が災いして、二十歳そこそことはいうものの曲がりなりにも立派な成人男性が二人、こうしてフランスの田園の只中で立ち往生しているのだ。
 しかしギィはこうした場面で悪びれるということがない。ギィ自身とは今日会ったばかりの関係だが、義姉のセリアやレティシアから話には聞いていて、修理はその人となりについてはだいたい案内だった。ギィは穏健な質で人当たりもよい好青年ではあるが、ちょっと頑固なところがあって、すぐに引き下がって頭を下げてしまう修理とは大違いで、自分が悪いと自覚があってもおいそれとはそれを認めないようだ。そんなわけで頑固者のギィは件の「義姉の妹」レティシアと現在おおげんの最中だった。
 かたや修理は日本を発つ直前に幼馴染みの真理と喧嘩してきており、目下それを一つの屈託とする。そのためギィとは同病相憐れむというか、同気相求めるというか、端なくも想い人の機嫌を損ねてしまった情けない男同士ということで、ほとんど初対面であるにもかかわらず同舟相救う仲となっていた。しかるに乗り合わせた同舟、20年落ちの中古のハーレー・ダビッドソンは敢えなく「座礁」中である。
「連絡はまだ無い?」
 気遣わしそうな修理の問いかけに、ギィは着信履歴をさっと呼び出して頭を振る。
「ランディから掛かってきたら替わってくれよ?」
「判ってるけどさ」
 ランディはベルギー在住のイギリス人でギィにハーレーを売った男だ。そしてこのほどこのハーレーをギィが買ったことがレティシアとの大喧嘩のそもそもの原因だった。ギィは今年のヴァカンスには彼女と二人でバイクでツーリングとしやもうということで、彼の唯一の足だった中古のルノーを売って、この古ハーレーを買う原資に充てていた。こうした浅はかな「野郎のまん主義」を手を打って寿ぐ彼女というのはそうそういるものではない。レティシアは、シュリの迎えに車を出してくれるって約束していたのに、何を考えているのとおかんむりで、ギィの憧れ、「彼女と二人の自由なツーリング」というささやかな夢については取りつく島もなく、ギィの「愚かな判断」を口を極めてあくしていたそうだ。
 売り言葉に買い言葉がさらに重なって、修理には不都合なことに意地になってしまったギィは、友人なり親なりから車を借りてきてもよかったところ——修理としても是非ともそうして欲しかったところだ——これでも平気だと強弁のあげく、遠路はるばる準ターミナル駅のサン=ピエール・デ・コール駅に降りたった日本人を問題のロートル・ハーレーで迎えに行くという厳しめのタスクを強行していたのだった。後部座席にはシーシーバーと称する大きめの背もたれを装備して、スーツケースを固定する荷締めのラチェットベルトまで用意していたが、実際にそこにスーツケースを括りつけて走り回るというのは、不安定なバイクに二人乗りということも考え合わせると、あまり現実的な判断とは言い兼ねる。修理の手荷物が中型の旅行鞄一つだけだったのが不幸中の幸いだった。

 ギィの浪漫主義を一つだけ弁護するなら、修理の目から見ても彼のバイクはなんともクールな……変な言い方だが非常にユニークで美的なものだった。ちょっと変わったバイクだったのだ。
 ギィの説明によるとハーレー・ダビッドソンのイメージは大体三種類ぐらいに大別される。一つは革の重役椅子みたいなシートが二段になった巨大なツーリング・タイプのもので、こくひんの送迎の際に露払いに前を走っているやつだ。また一つは映画『イージー・ライダー』に見るようなワイルドでダーティなチョッパー・タイプ。最後の一つはむしろ短く軽く、コンパクトに作り付けたスポーツ・タイプだそうだ。
 だがギィのハーレーはそのどれとも異なっていた。
 いわば華麗エレガントなノスタルジー系である。一目見て異彩を放っているのが「前脚フロントフオーク」の部分だった。普通のバイクというものは前輪を支持するのに望遠鏡型テレスコピツクという、発条スプリングと油圧ダンパーを内蔵した、二本の「円筒パイプをすり合わせた懸架装置」を持っているものだ。興味の薄い修理からすると、要するに二本の棒に前輪が括りつけられているということになる。
 ところがギィのハーレーの「前脚」は発条が剝き出しだった。車体にリジッドに取り付けられている固定フォークと、車輪の振動を吸収する遊動フォークの二系統が、幾つものリンクアームによって結合され、ヘッドライトのすぐ後ろに大威張りで据え付けられているスプリングのセットで制御されるという構造だった。その名の通りスプリンガーという機構だそうで、一言でいえばバネを見せつけるようなデザインになっている。これにギィは一目ぼれしてしまった。
 修理もこんな機構は初めて見た。それもそのはず、これは20世紀の前半までしか採用されなかった「旧車」に独特の機構であって、自動二輪が高性能化した20世紀後半には忘れ去られた過去の遺物だった。ところが20世紀の終わりに、どうしたことかハーレー・ダビッドソン社はごく一部の車種にこの機構を復興し、これまたごく一部の好事家のすいぜんの的となっていたのだという。
 なるほどギィの美学は理解できる。これで彼女と二人、なだらかなきゆうりようのつづくフランスの田園をひた走るという浪漫主義にもいちまつの見どころがあるだろう。
 だがそれもまともに走ってくれればの話だ。
 ギィの弁によると、この1993年製スプリンガー・ソフテイル1340㏄は前オーナーのランディ・コールマン氏のワン・オーナー車で、いわばコレクション的な意味で所有されていた、要するに未整備新古車みたいなものだった。しかしほぼ新古車とはいえ、20年落ちの「昔のバイク」である。ギィは自分には過ぎた浪漫を追いかけて、ちょっと素人には荷の重いバイクに手を出してしまった形だ。
 このバイクの取り扱いの難しさについては修理もすぐに痛感することになった。初めに「バイクで来たの?」と不安が兆したのは鋭い直感だった。もっと警戒しておくべきだったのかもしれない。しかしバイクで迎えに来たと言われたら、乗ってみるより外に選択はないではないか。
 走り出しはなかなか快適だった。二人乗りというよりバイクに乗せてもらうこと自体が考えてみると初めてだった。意外と視点が高い。ちょっと楽しいかもなとすら思った。

 様子が変わってきたのが、今を去ること二時間ほど前のこと、トゥール市街地を抜け出て高速を降り、目的地は郊外のドアノー家を指して県道D910を南下していたギィと修理の二人は、すでにきな臭い雰囲気を嗅ぎ取っていた。
 手荷物は背もたれの後ろに括りつけ、自身も同じシーシーバーに背中を預けた修理は、ふんぞり返るような格好で後部座席に収まっていた。普通、バイクの二人乗りは後部座席の者が運転者にぴったりくっついて一心同体に体重移動するような乗り方になるものだが、ハーレーの二人乗りはその限りではない。もとよりタイトに体重移動をするような乗り方に向いていないバイクだということもあるが、端的に運転者と同乗者の間に余裕があるのだ。逆に言うと運転者にしがみつくような乗り方になる余地がない。後ろにふんぞり返っていなければ仕様が無いのである。
「後部座席に収まっていた」というのは一種の方便で、実際にはちょっと尻の座りが悪くて「収まり」は率直に言って悪かった。純正シートは後部座席が細く、座面がやや狭めで、尻の肉の薄い修理だから辛うじて両の尻のほっぺが座面に乗りおおせていたのだろう。くわえて突き上げるような振動が特徴のエンジンが、車体フレームにリジッドに固定されているので尻にはかなりの負担が常時かかっている。
 そしてもう一つ懸念があった。ちょっとエンジンの吹け、、が悪いというか、加速時にもたつくような感じがあるのだ。ハーレーは猛スピードで走り回るようなタイプのバイクではないが、ロング・ストローク型のエンジンで低速のトルクが分厚いので、ほんらい加速感はかなりのものになる。うしろから尻をけっ飛ばされるような——ここでも尻に負担があるわけだ——出だしの加速感があるべきところなのだが……なにやら案配がよろしくない。
「なんだかノッキングがひどいねえ!」修理が後ろから大声で言った。
「ノッキング?」ギィも大声で返す。バイクの二人乗りの会話は自然と大声になって、いきおい滑稽なものとなる。
「加速中にぎくしゃく、、、、、してるよね! フランス語で何て言うの?」
ぎくしゃく、、、、、? それは『クリクティ』! 『クリクテする』って言う!」
クリクテ、、、、しすぎじゃないの?」
「うーん!」うめきも、溜め息も大声でやらなきゃいけない。どうしても芝居っ気が出てしまう。
 この手の車種の1340㏄のビッグ・ブロック・エンジンの乗り方は、がつんと加速したら早めにギアを6速まで上げてしまって、そこからは低回転でどこどこ、、、、走るのが乗り味だ。ところがギィは先ほどから妙にシフトダウンして、エンジンを回しぎみにしている。回転数を下げると途端に件の「クリクティ」が始まる。
 そうこうするうちにトップスピードが鈍って100㎞前後の巡航速度が維持できなくなってきた。
 フランスの県道は細いこともままあるというのは先述のとおりだが、そのとき走行中のD910はちょっと様子が違っていて太い都市間連絡街道だった。トゥールを起点に高速道路A10と平行して南下しながら地域のようしようを結んでいく重要幹線道路である。片側二車線の区間が長く続く一種の産業道路であり、大型トラックやトレーラー車といった重量級の車が引っ切りなしに往来する。こうした道ではちんたら走っていたら迷惑だし、それ以前に危なくって仕方がない。
 こんな道でエンジン不調におちいるというのは上手くないなということで、ギィは適当な脇道を見繕ってそちらに逸れた。エンジンの調子をあらためてやろうということで、車速を落とせる「狭いほう」の県道へと分岐してみたのだ。これは誤った判断だった。そこでは後ろからせっつくトラックも、猛スピードで追い抜いていくスポーツカーもいなかったが、ハーレーのクリクテ、、、、とやらはさらに酷さを増し、時には真下から大槌でひっぱたかれたような衝撃が後部座席まで伝わってくる。かなりシフトダウンしているのに、アクセルをやや多めに回してやらなければスピードを保てないようだ。明らかに異常だ。やがて巡航速度は50㎞を切り、くわえて排気パイプの中から激しい破裂音が聞こえ始めてきた。後部ステップに置かれた修理の右足の真下だ。
「これおかしいよ!」首を伸ばして下を覗き込めば排気パイプから火花が噴き出ている。
「判ってる!」
 周りに何もない所だったが、すでに排気パイプからは数秒に一度といった頻度で不自然な爆発音が聞こえている。ギィは道の中央にバイクを止めるとエンジンを切った。修理も後部座席から滑り降り、後ろを押して路肩にハーレーを導いていった。その間にも排気パイプの中で一発の破裂音が響いた。
「調子悪いね。このまま走っていたらまずくないか?」
原動機モトウーが全然まわってない。ひどいよな」
「こんなこと、前にもあった?」ようやく普通の声音で喋れるようになって修理も落ち着きを取り戻しつつあった。
「いや、ないなあ。ランディに電話してみるか」
「なんでも困ったことがあったら相談してね」と請け合っていたギィのバイクの師匠コールマン氏はあいにく不在で留守電が応えたが、こんにちの電話連絡というのはたいていこうしたものだ。留守電が取ってくれるというのに自分で電話を取るものはもういない。あとはせいぜい相手が折り返してくれるのを期待するだけだ。
 その後、このエンジンの不調についてギィと修理は素人考えを並べたてて、原因と対策をせんし始めたが、そこでちょっと気が付いたことがあった。が違う。
 父親がフランス文学の教授であるという事情もあって、フランスに来たのもすでに三回目だ。修理のフランス語はそこそこ達者で実用に供するに足りたが、基本的に机上の学習のうえになるものだった。やはり日常用語や、ある種の専門用語となると目が届いていない。そしてとりわけ自動車用語というか、くるま、、、周りの専門用語がまったく異なっていた。日本では自動車整備に係る用語は実際はほぼ英語準拠で、発音こそ日本語流にアレンジされているものの、ほとんどの術語が英語そのままで日本語化している。英語圏で伝わらないのは「ハンドル」ぐらいのもので、こればかりは英米ではステアリング・ウィールと言う。その他はエンジンにしてもクラッチにしてもブレーキにしても、どれも日本語として通用しているわけだ。ところがフランス語ではそれらがすべて別のフランス語によって言い換えられているが如くなのである。ノッキングという一語をとっても、そのままでは伝わらなかった。一事が万事このとおりなのである。
 今まさしく内燃機関の不調について詮議するにあたって、ギィと修理ではいちいちの技術用語について、フランス語、英語間の擦り合わせをしてやらなければならなかった。そしてその苦労を目の当たりにしたギィには一つの不安が持ち上がっていた。ランディはベルギー在住のイギリス人である。ギィは現状の問題をランディ・コールマンに英語で、、、説明することが出来るのだろうか。
「もしランディが英語圏の用語で車を語るほうだったら……その時は修理が説明を聞いてくれないかな?」
「それは構わないけどさ……」
 修理は車の免許こそ持っていたが、オートバイのことなど不案内だし、家の車の整備のためにオイルで手を汚したためしさえなかった。最後にハンドルを握ったのは教習所の卒業検定の時だ。アウトドア派で愛車の軽四駆の整備まで自分でやっている幼馴染みの真理とは大違い。ここでギィと慣れぬフランス語の自動車用語で意思疎通して、コールマン氏とはこれまた使いつけない英語の技術用語で遣り取りすることになるのは甚だ不安だった。
 この辺で、ギィと修理は最悪に備え始めた。ギィの携帯の乏しい充電残量を無駄には出来ない。ここにタクシーを呼ぶのが最終手段か。ギィは現実的でないと否定的だった。この辺の近場の町に常駐するタクシー屋なんて存在しないというのだ。中西部の小都市、小村ではタクシーというものは個人営業の業者に電話してチャーターするものだという。流しのタクシーなんて30㎞の彼方のトゥールの駅前ロータリーにしかいない。
「タクシーなんて必ず駅前にたむろしているものだと思ってたな」
「日本じゃそうかもしれないし、パリやマルセイユならタクシーなんて何処にでもいるかもしれないけどさ。中部じゃそういうものじゃないんだよ。だいたいアンドル・エ・ロワール県だと鉄道の駅なんか巡礼者のふだしよみたいなもんで、日常的に使っている人すらいないんだよ」
「そうなの? トゥールもサン=ピエール・デ・コールも駅前は賑わっていたみたいだけど……」
「あれはパリやポワチエやボルドーなんかに行く人のためのもんだよ。地元を電車で往来する人なんていないよ」
 最終手段は誰かこの時間にまだ聞こし召していない友人を見つけて、ここまで拾いに来てもらうということになる。その場合、路傍に放置されたハーレーはどこかのバイク屋のトランスポーターで後日ピックアップしに来てもらわねばならない。
 喫緊の問題は土曜の夜の十時に友達が捕まるかどうかだが、あたるを幸い電話しまくったギィの携帯は充電残量をさらに乏しくし、留守電に残したメッセージと、既読のつかないショート・メッセージ・サービスの履歴が積み重なっていくだけに終わっていた。
 ともかく「じたばたしても仕方がない、しばし待ちだ」ということで、ギィと修理は二人、とっぷりと日の暮れた街灯もない中西部の一車線の県道の路肩に座り込んで、ほかに眺めるものもないので満天の星を見上げていた。

 夜天はますます黒々と濃さを増してゆき、星の瞬きもさらに冴え輝きを強めていく。フランス中西部田園の只中に天空は果てしなく広かった。
 東京でもパリやトゥールの市街でも、空は屋内にあっては窓枠によって、あるいは戸外にあってもビルディングの稜線によって、四角く切り取られた額縁の中にあった。いわば空は建物の狭間、隙間に垣間見るものであり、その全貌はいつでも仕切られ覆われ隠されていた。
 だがここではどの方角に振り返っても全天が隠れなく眼前に曝されている。見上げる天のえんがいが東西南北のいずれの端までもふたいでいるのだった。西の空の低いところに研いだ鎌のような細い三日月が掛かっている。
 そして久しぶりに見た……いや生まれて初めて見たのかもしれない、三百六十度の天球にちりばめられた星々は圧倒的な数と輝きで瞬いていた。星座がそれと同定できないほどの数の星、おそらく星座早見盤と見比べても、どの星がどの星座に属しているのか判ぜられないほどだったろう。全天の六等星までゆうに見えていたのではないだろうか。
 辛うじて星座の形が見分けられたのは、その星宿を構成する星々がことごとく際立って明るいものぐらい——北天のやや西に傾いた北斗七星ぐらいのものだった。あとは天頂近くにひときわ明るいのはこと座のα星ヴェガだろう。だがこと座のりんかくすらもが散らばる星の多さに判明でなくなっている。普段はあれほどくっきりと見分けられるはくちょう座の十文字さえ天の川に溶けてしまっているかのようだ。α星のデネブとはくちょうの頭にあたるアルビレオはそれと判ったが、広げた翼端の形を構成する星はどれなのか判らない。
 星の数が多すぎて明るいものでもこれと同定できるのが少ない。特に目立つ一等星、うしかい座のアルクトゥールス、それから南天の低いところにさそり座のアンタレスが、それぞれのはっきりした色味の個性によって判別できたのがせいぜいだった。日本の首都圏で見るよりもさそり、、、が随分低いところにあって、毒針の尾の先、魚釣り星の釣り針の鉤のところが地平線の下だ。
 溜め息が出た。感嘆の溜め息だった。
 ギィが煙草たばこに火を灯した一瞬に目がくらみ、ふたたび夜空の漆黒と星々の輝きに目が慣れるまでしばしあった。
「月なきみ空に きらめく光 嗚呼その星影 希望のすがた……」
「その歌、知ってる」
「最近、思い出したところだったんだ。フランスでは賛美歌だよね、これ」
「Quel ami fidèle et tendre... nous avons en Jésus Christ... 日本でも歌うのか」
「日本では『星の界』って言って、星空のことを歌った歌なんだよね」
「シュリは星が好きなのか? うっとり眺めてたけど」
「好きだったんだな。忘れてたけど、こんなに好きだったなんてさ。東京じゃろくに見えないからね」
「こっちでもパリやトゥールじゃ見えっこないよ。光害ってやつだな」
「パリには世界的に有名な天文台があるよね? なんであんなところにあるのかな。この辺りならだいたいこんな感じなの?」
「さあ、どうなのかな。俺は星なんかろくに見ないからなあ」
「そりゃ、もったいないことだね。僕だったら毎晩でも見上げちゃうかな、こんな星空なら」
「そういえばこの辺にも天文台があるなあ。トクシニーって近くの町に」
「天文台か。わざわざ作ったんだから、やっぱり観測にいい立地だってことだよね」
「暗くて広くて何も無いってだけだろ」
「なんせ地図の航空写真で見ても、目ぼしいものなんかなんもないもんね。この辺はなんの畑なの」
「ヒマワリと菜の花が多いかな。だだっぴろいところはたいがいそうだ。あとは飼料用のトウモロコシ」
「牛とか羊とか、家畜をあんまり見ないね」
「家畜は家の側で飼うもんだよ」
「そうか、人家を離れたところだと大規模農場の商品作物ってことになるんだな」
「そういや、トクシニーの天文台って言えば、なんか観測会っていうのか、やってることもあるな。トゥール辺りのアマチュア天文学者アストロノムが望遠鏡もって集まってくるんだよ。広い休耕地にキャンプ場みたいに集合してさ」
「なるほどね。やっぱり天体観測の聖地なのかな。道理で。こんな圧倒的な星空は久しぶりに見たよ。というか人生で一番かもしれない。プラネタリウムで見るより凄いね」
 ギィが路肩の石灰砕石の上にごろりと横になって、銜え煙草のまま手まくらで夜空を見上げている。紙巻き煙草をすぅと深く吸い込んだ時だけ、煙草の先が明るくなって彼の顔が夜の底に浮かび上がった。修理は胡坐あぐらに両手を支え棒にして天空を見上げていたが、ギィに倣って自分も路側に寝っ転がった。やがてギィが煙草の灰を顔の横に落としながら言った。
「じゃあ、ここで二進も三進も行かなくなったのにも、一ついいことがあったってことだな」
「そうかもね」
「こっちの道に引っ込んだのは失敗したかなあと思ってたんだけどさ」
「どうして?」
「D910に居座ってりゃ、あそこなら一晩中でも引っ切りなしに車が通ってるからさ。ヒッチハイクで誰か隣町まで乗せてくれる人も見つかっただろう」
「でも、あんなトラックのばんばん通り過ぎるようなところの路肩じゃ、こうして座ってても落ち着かないよ」
特別輸送隊コンヴオワ・エクセプシオネルが列になってランプを回して通り過ぎるしな……天体観測には最悪の環境かもしれない」
「なんだい、それ? コンヴォワ?」
「なんだかどでかい物を運ぶ輸送隊がさ、前後にお付きの小車輌を引き連れて移動するんだよ」
「どでかい物って何? そんな大きい物を運ぶの?」
「煙突まるごととか、橋桁とか、でっかいタンクとかさ、車輪が十も二十もあるようなトレーラーで運ぶんだよ。俺、家を丸ごと運んでるのを見たこともあるよ、D910で。ああいうのを見るたびに俺は運ぶ先で作ったほうが簡単なんじゃないのかなって思うけどな」
「家丸ごとって、市街地で引っかかっちゃったりしないのかな。川沿いは道がそんなに広くないところもあるでしょう?」
「だから、そういうところではお付きの車がずうっと先まで行って、道を封鎖するんだよ。俺はモンバゾンのオープンカフェでビール飲んでた時なんだけど、なにかの交通規制が始まったなあと思ってたら、カフェの軒先を家がしずしずと通り抜けていったんでぎょっとしたもんだよ。カフェの客がみんな大笑いしてた」
「そりゃ笑っちゃうかもな」
「みんな動画撮影してたよ」

 しばしの沈黙の後にギィが訊いた。
「シュリのフランス語にはあんまり訛りアクサンが無いけど、どこで習ったんだ? 大学?」
「大学では授業は取ってないよ。父がフランス文学の教授だったんだよ。父は、まあ、当たり前なんだけど、ものすごいフランスかぶれ、、、で、幼い頃から家中にフランスの文物が溢れていたんだよね。フランス人も訪ねてくるしさ」
「セリアの親父さんか」
「そうそう」
「英語も出来るんだろ?」
「こういうイレギュラー処理となると」と横の座礁中のハーレーを指さして「どうやって説明したらいいのか、難しいけど」
「そうだよな。こんな通じないとは知らなかったよ。Ralentiラランテイって英語で何て言うんだ?」
「ラランティ?」
「車が停まってて、原動機モトウーだけ回ってる状態だよ。ニュートラル位置ポワン・モールでさ。ぶるぶるぶる……」
「それは『アイドリング』って言うかな。ポワン・モールっていうのはギアが入っていないってこと? ピストンの死点ポワン・モールとは違うの? つまり……こう、ピストンが上がりきったところのさ……」
 内燃機関のシリンダーとピストンの様子を身振り手振りを交えてなんとか説明すると、ギィがうなずいた。
「それは『上死点ポワン・モール・オー』だな。圧縮上死点」
あらかじめ知ってなきゃ、言われても判んないし、聞いてもぴん、、とこないだろうね。よかった、聞いといて。だってノッキング……クリクティ、、、、、が酷かったでしょう、回転の上死点の付近でつっかかっているってことじゃないの?」
「そう言えばそうか。ランディにそれ説明しなきゃいけないんだな……英語では何て言うのかな」
「デッド・センターって言うかな」
「日本の学生って言うのはみんなフランス語も英語も出来るものなのか?」
「うーん。そんなでもない。僕はちょっと特別かもしれない。母が英文学の講師なんだよね」
「お父さんがフランス語の教授で、お母さんが英語の教授なのか? そりゃ贅沢だな」
「まあ、そうなのかも。家中にフランス語も英語も溢れてるし、なんだか普通のことだと思っていたんだよね」
「日本じゃ英語はみんな学ぶんだろう? すごく有利だったんじゃないか?」
「そうだろうね。中学のころから苦労したことない。恵まれてたんだね。でも教室ではね、ちょっと教室用の発音をするんだよ」
「教室用の発音?」
「母は英文学……イギリス詩が専門で、発音はクィーンズ・イングリッシュで仕込んであったんだけど、その真似をしてると教室で白眼視されるんだよ。現地風って言うか、本場風の発音すると、ちょっと悪目立ちしちゃうんだ。だからね、例えばlittleなんて語を『リトル』って発音するようになるんだよ。『ア・リトル・ウィアード』なんてね」
 ギィは「ア・リトル・ウィアード」には笑った。「たしかにちょっと変だな」と頷きながら言う。
「でも判るよ、こっちでも中学校コレージユなんかだとそんな感じがある。すごく出来る子達はちょっと英語風に発音するんだけど、なんか鼻じらむものがあるんだよな。だからみんなわざとフランス風にアレンジするんだ。フランス風英語フラングレって言ってね」
「ギィもフラングレ党だったの?」
「うーん、俺はどっちかっていうと優等生組だったからなあ。ちょっといきがっても英語風で押し通す派だったな。だいたい高校を出てグラン・ゼコールのに入る頃になると、だいたい周りも皆フラングレからは手を切っているんだよな」
「グラン・ゼコールを目指していたんだ?」
「いや、そんなことないよ。ただ高校の時つるんでいた周りの奴等が……出来るやつはみんな当たり前みたいに準備級に行ったからそういうものなのかなって」
「今は歴史学をやっているって言ってたよね」
「ひとまず歴史地理イストワール・ジエオの教員になろうと思ってるからね。そっちの養成コースでやってるけど、この辺だと代用教員の口もトゥールにしか無いんだよな。高校がもう市街地にしかないからさ。家賃も高いし、トゥールはいやなんだよなあ。ちょっと今迷っててね。郊外の中学校にでも口が見つからないかなって思ってるとこ。レティシアは田舎なんかやだって言うんだけどね。一人で行けって」
「彼女は都会派シタデイヌなんだね。おしゃれだもんね」
「シュリの行っている大学ってのは東京だろ? やっぱり有名なところなんだろう?」
 修理はちょっと考えたが無駄な謙遜はしないでおいた。
「パリ大みたいなもんかな。日本じゃ一番か二番に有名なんじゃないかな?」
 同輩の常々口にするところの「一応、東大です」という文言のニュアンスはフランス語では通用しまい。
「あれ、でも自然科学系に進んだって話だったよな。両親ともに百パーセントサン・プール・サンの文学系なんじゃないか」
 修理は理科一類の二年生、ちょうど所謂「進振り」が決まったところで、三年生からの進学先に理学部数学科を選んだところだった。これは彼の周りの誰もが当然の選択だと受け取った。修理は子供の頃から生え抜きの理系少年と見做されていたからだ。日本ジュニア数学オリンピックで合宿招待選手に選ばれたこともある。だが彼の内心には若干の屈託があったのかもしれない。
「もうちょっと数学をやっていようかって思ってるんだけどね……」
 ちょっと含みのある言い方だったが、ギィは拘泥しなかった。
「数学科か……俺はではまだ理系コースだったんだけど、最後のころは何やってるんだか、さっぱり判らなくなっていたなあ。最後に受けた数学のテストが、俺史上の最低点数だった。十点以下は初めて取ったんだよな」
 フランスのリセの定期試験は二十点満点だったはずだ。なるほど優等生だったらしいギィには五割を切ったのはくつじよくの記憶だったのだろう。
「ギィも理系だったのか。大学から歴史学に転向したってこと?」
「いや、俺は初めから人文科学系だよ。高校からドイツ語もギリシア語もやってたし……」
「それなのに理系コースにいたの?」
「適性や趣味が人文科学系だろうが、自然科学系だろうが、高校の時は勉強する子はみんなシアンティフィクの方に行くもんなんだよ。高校時分から文学系に行くのは勉強する気があんまり無い子だけだ」
「そういうもんなのか」
「ばりばりの文系でも高校修了試験バカロレアの数学で15点ぐらい持ってるもんだよ」
 なるほど考えてみれば日本でも文理の別なく高校二年までは数学も必修だ。修理からすると「ただで点が取れる」ような科目である数学を履修しないなんていままで考えもしないところだったが、幼馴染みの岩槻真理は根っから文系で高校数学の中盤ではずいぶん苦しんでいたらしく、修理に向かって「私の人生に微分積分や、三角関数が何の役に立つというのか」という有り体な不満をよく口にしていた。修理は中高一貫の進学校にいて、高校二年の初めの段階で高校数学は数学Ⅲまでとっくに終わっていたので、微積や三角関数が何の役に立つものなのかとっくり教えて差し上げようとしたのだったが、うるさがられるだけだった。
「僕の幼馴染みもどこかで数学と仲たがいしちゃったみたいで、教えてあげるって言っても断固拒否って感じだったんだよね」
「それが喧嘩してきたっていう彼女なのか?」
「うん、まあ、そういう感じかな」
「何ていう娘?」

「あれ? 日本人だよな、修理の彼女」
「Marieじゃないよ、まり、、。日本にもある名前だよ。すごく普通の名前。しんっていう意味なんだけど」
 ギィは声を立てて笑った。
「修理は修繕レパラシオンで彼女は真理ヴエリテなのか? 神格がちょっと違うんじゃないか?」
「いや、それがね、修理っていうのも『物事のことわりを修める』って読めるんだよね。表意文字イデオグラムひもとくとさ」
「そりゃ、笑ってわるかった、そうだよな、修理修繕ってのは物事の道理が解っていなけりゃ出来ないもんな。そう考えるとシュリもちょっと奥深い名前だったんだな」

 修理が大学二年の夏休みをフランスで過ごすことになったのは別に酔狂のなすところではなかった。
 ひとつにはかねて示し合わせた通り両親と合流する約束だったのだ。それというのも実は彼の両親が今年一年にわたる滞仏の最中だった。大学教員の両親はふたりのサヴァティカル休暇を繰り合わせて四月から渡欧していたのだ。学期中の本拠はパリの大学都市に定めていたが、バカンスの間にはフランスを中心に散らばる友人の実家や親戚縁者の別荘などを転々として過ごすという風に話が固まっていた。
 かたや日本に残されていた修理は今年の四月から「実家の一人暮らし」を始めることになったわけだ。しかしもともと一人っ子の鍵っ子でそこそこの生活力というか、自活力は備えていたとはいえ、過集中型で凝り性の大学生を一人で放っておいたら、まずはだいたい生活がほうらつになり自堕落になる。ちゃんとした食事もろくにとらず栄養補助食品なんぞを服用して数日モニターにかじり付いているあいだに、ドライアイで目をらしたり、口内炎になって炭酸にもだえたりしている。そんな訳で、修理は栄養状態と生活リズムを矯正する必要もあって、親の言いつけのもと、もともと家族同様の付き合いのあった岩槻家にだいたい二日に上げずお邪魔して世話になっていた。つまりそれが幼馴染みの真理の家である。
 真理は私大の文系だったがこちらはこちらで二年次に専攻の割り振りがあって、日本語日本文学コースの研究室に出入りしたり、演劇サークルのけいや小屋代稼ぎに奔走したりしていてなにかと忙しく、岩槻家の両親と一緒にご飯を食べている頻度はむしろ修理の方が高いくらいだった。真理不在の岩槻家で夕飯をご馳走になったり、高校に上がったばかりの真理の妹のの勉強をみたり、なんだったら泊まっていったりして、むしろ修理の方が岩槻家の子供みたいな有り様だったのだが、これは幼少期からだいたいこんな感じだった。
 ともかく実家の一人暮らしも数ヶ月を経過したところで、修理も夏休みには両親と合流して、フランスの地方で一夏をのんびり過ごそうという算段が持ち上がったのも当然の話だ。
 修理はほぼ夏中を滞仏し、それから岩槻家からは真理と佐江の姉妹が夏の後半に遅れて合流するという計画が定まっていた。真理は演劇サークルの夏合宿と演劇フェスの公演、佐江には予備校の夏期講習の予定があり、彼女らは一夏まるまるという訳には行かなかったからだ。

 それから嵯峨野家にとっては、今夏のフランス滞在にはもう一つの再会レユニオンの用件があった。
 遠縁の家族との再会である。一言でいうと修理の父、嵯峨野さんてつ教授にはフランスに先妻マルゴと娘があった。修理自身に腹違いの姉がいたということになる。それが件のセリアであり、その妹のレティシアはマルゴが再婚して出来た娘で、嵯峨野家との血縁は皆無だが、修理にとっては遠縁の義理の姉ということになる。すでに充分ややこしいが、この辺の詳細は後に譲ろう。
 離婚した夫妻というものはそののちたいてんかたき同士みたいになる場合もあれば、穏やかな旧友同士みたいになる場合もあったりして、それは個別の事情によって様々だが、嵯峨野教授と先妻の離婚は典型的な後者、離別そのものが比較的円満なもので、その後も互いが新たに設けた家族同士での交際が続いていたのだった。
 今回は彼らが休暇中に暮らしているトゥール郊外の屋敷に嵯峨野家一同が合流して、一、二週間を中部フランスに遊んで過ごすという約束があった。これが渡仏初日のハードスケジュールが組まれることになった経緯である。
 修理は格安航空券で成田を深夜に離陸して、ヘルシンキのトランジットが数時間、それからフランスの空港に降りたったのが時差があっての結果の昼過ぎだが、既に成田からの体感時間は二十数時間におよんだ。TGVは時刻表通りに一時間も走ればトゥールに到着したけれども、頃はすでに夕方……そして、そこに迎えに来たのがレティシアの依頼で「車を出す」ことになっていたギィだったのだ。修理の初めの直感に反してこのバイクがもし仮につつがなく走ったとしても、蓄積した疲労はすでに並々ならぬものだっただろう。成田を発ってから単純に時刻だけで言っても二十四時間は優に経過しているが、時差を考えるとプラス六時間ほどの間、移動し続けている計算になる。
 唯一の好条件は、線の細い外見にも拘わらず修理には妙に図太いところがあって、旅客機の機内でもTGVの車内でも、ほぼ全行程を寝て過ごしていたことぐらいだ。時差ぼけはなかった。ただ、なにしろ空腹が耐え難かった。

 こうしてフランス中西部の片田舎の路傍に座礁したままのギィと修理は、日の暮れた収穫後の菜の花畑が拡がった田園に、空きっ腹を抱えたままで文字通りの草枕、互いの家族構成の詳細やら、来歴と将来の見込みやらの情報を交換しあっていたのだった。こうして旅の途上にてつともにしたものは、しばしば奇妙な親密感、不思議な連帯感を覚えるものだが、まさしく二人はそうした付き合いの年月を超越した親しみを感じ始めてすらいた。
「面倒に巻き込んじゃって済まなかったなあ。ほんとうならシュリも今ごろはシャワーを浴びてベッドに倒れ込んでいていい時間だよな」
「でも、こんなところでなんだけど、妙に気が落ち着いた感じもするよ。この二十四時間? いやもっとになるのか、なにしろ15000㎞を移動し続けていたんだからさ。ようやく足が止まったというか」
「足を止めるなら今日の宿で止めたいところだったよな。びの言いようもない」
 シュリが「妙に落ち着いた」と言ったのは別段ギィに気を遣ってということではなかった。なんだか意味もなくやみくもに「移動し続けていた」というのが実感だった。こうして——故障したバイクの所為だとはいえ、ひとたび無理やりにでも足を止めて息を吐くタイミングが必要だったのかもしれない。それは今回の来仏の旅程のことばかりには限らない、修理はこれまでずっと全速力で彼の憧れていた学問の世界にまいしんし続けてきたのではなかったか。それが端なくも、途中下車というか、思い掛けない足止めをうことで、あらためて反省されていた。
「もともと急ぐ旅じゃなかったんだしさ。感傷旅行センチメンタル・ジヤーニーみたいなもんで」
 修理が星空を見上げたままぽつりと呟いていた。
「失恋か? そのマリとはもう修復不可能なのか?」
「いや、そんなこともないんだけどね」
 努めて明るく応えたが、修理の眼差しにはやや陰りがあった。
「ドアノー家に着いたらすぐ電話するんだな」
「そうするよ」
「俺もレティシアになんか言われるんだろうなあ。それ見たことか、とかって。癪だなあ」
 修理は含み笑いをかえしただけで、とくにコメントはしないでおいた。

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