ピアニスト・藤田真央エッセイ #50〈ビシュコフとの最強タッグ――チェコ・フィル日韓ツアー〉
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「夢は口に出せば叶う」
ありがちなフレーズではあるが、私もこの言葉には大いに頷きたい。もっとも「横浜DeNAベイスターズの監督になりたい」や「チャーハン専門店を出したい」といったような無理難題、欲深な願いは叶うはずないが、ここ数年、「あの指揮者・あのオーケストラといつか共演したい」という憧憬は徐々に実現しつつある。
2023年10月にアジアツアーで共演した楽団——チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ハーゲン・カルテット——はまさにティーンエイジャーの私の憧れそのものだった。
初めてチェコ・フィルの実演に触れた日は、2019年秋に遡る。その頃先生探しの旅に出かけていた私は、現在の師であるキリル・ゲルシュタインにアポイントを取り、ウィーンでレッスンをして貰う運びとなった。なぜその地に呼ばれたかというと、キリルがウィーン楽友協会にてチェコ・フィルとの共演を控えていたのだ。指揮は音楽監督のセミヨン・ビシュコフ、そして演目はチャイコフスキー《ピアノ協奏曲第1番》《第2番》だという。レッスン前日に行われたその公演に、もちろん私も出かけた。初めて訪れた楽友協会の煌びやかな装飾にため息をつき、チェコ・フィル独特のしなやかで豊潤な音色に息を呑んだ。三階席の後ろで大柄なオーストリア人に囲まれながら、固い木の椅子に縮こまって耳をそば立てていた当時の私は、いつかこの楽団と、そしてこの不思議な指揮姿のマエストロと共演したいと心の中で願った。
その日から約4年が経ち、早くも宿望を遂げることとなった。
初共演の曲に選ばれたのは、ドヴォルザーク《ピアノ協奏曲ト短調》だ。大作曲家の残した唯一のピアノ協奏曲であるのに、このナンバーはあまりにも演奏機会に恵まれない。しかし、彼ゆかりの地チェコが誇る楽団にとってはこの曲は当然十八番で、団員は作品を知り尽くしているようだ。加えて、多くの人々がこのオーケストラの奏でるドヴォルザーク作品に真正性を求めるのはいうまでもないだろう。これには周到な準備が必要だと考え、私は本番の半年以上前から練習に取り組み始めた。
楽譜を開いてみてあら驚き。この上なく美しいハーモニーやメロディーだが、なんとも弾きにくい。私の頭と指に染み付いたクラシック音楽の固定観念を裏切る、変わった和声進行や複雑なリズムと内声が覚え辛いのだ。さらに、ヴィオラ弾きであるドヴォルザークの指定したフィンガリングは、僭越ながら非現実的だと思われた。譜読みは人一倍早いと自負している私だが、これには相当な時間がかかりそうだ。
この作品をよく調べてみると、ドヴォルザークが書き上げた原典版の他に、チェコのピアニスト:ヴィレーム・クルツによる改訂版があることを知った。早速手に取ったその楽譜は、原典版と改訂版が同ページに二段譜として書かれた逸品で、私はすぐに気に入った。二つの版が一覧できるため比較検討しやすいし、どちらを弾くかは奏者に委ねられている。クルツはピアニストが弾きやすいように改訂し得ただけではなく、ヴィルトゥーゾで華麗な仕上がりに昇華させてもいた。夏のフェスティバルシーズンでも私は常にこの楽譜を持ち歩き、暇さえあれば練習していたが、最後の追い込み時期まで完全な暗譜に達することはなかった。だが久しぶりに譜読みに苦労した作品を、伝統あるチェコ・フィル、そして大ベテラン指揮者セミヨン・ビシュコフと演奏できる光栄な機会を待ちわびてもいた。
韓国での公演は2019年以来の約4年ぶりだ。その時は、終演後の会食会場が楽しみにしていた韓国料理店……ではなく何故かイタリアン料理店だったという悲しい思い出がある。一泊二日の短い滞在だったため、残念ながら現地料理を全く食べずに韓国を去ってしまった。素晴らしい食文化に触れず帰国するなどあるまじきことで、この出来事を4年間引きずって過ごしてきた。今回こそ韓国料理に舌鼓を打ちたいものだと期待を抱きつつ、いざ飛行機に乗り込む。
10月24日、ソウルアーツセンターにて朝10時からゲネプロが始まった。なんとその夜にはもう本番が控えている。普段の公演であれば少なくとも一日目:リハーサル、二日目午前中:ゲネプロ、夜:本番となる流れだが、この日は一度きりのゲネプロで初対面の楽団と息を合わせなければならない。
ここでこっそり今回のアジアツアーのカラクリを説明しよう。通常、オーケストラ楽団はソリストと楽団の本拠地で定期演奏会を催し、同じプログラムを引っ提げてツアーを行う。ただ稀に、ツアー中に別のソリストにバトンタッチする場合があるのだ。今回チェコ・フィルは定期演奏会ではサー・アンドラーシュ・シフがソリストだったが、アジアツアーでは私がその任を引き継ぐことになった。つまり団員と指揮者はリハーサルやゲネプロはもちろん、本番まで経験しており、音楽はすでに完成していると言えよう。そんな中私は、一度きりのリハーサルで彼らの水準に追いつくことを求められる。瞬時に彼らの音楽の特色をつかみ、それに溶け込むような音作りに励む。彼らが築いてきた音楽を崩さない程度に私の味を出しつつ、譲歩する部分もなければならない。そうとなれば一度しかないゲネプロを大切にしたい——はずだった。
私は前もってオーケストラ・スコアを読み込み、複数の音源も聴いていたが、実際にステージ上で聞こえてくる音は予想とまるで違った。拍を数えるために頼りにしていた木管の旋律が後ろのどでかい金管にかき消されたり、ユニークな弦の音色に気を取られピアノのリズムが崩れたり、ボロボロだ。ビシュコフの作り出す巨大な音楽にただ流されるがままで、私の持ち味を全く出せずにリハーサルはいつの間にか終了。団員は呆れ顔で散り散りになり、私は恥ずかしさのあまり楽屋に逃げ込んでしまった。これは韓国料理どころではない、打ちのめされた私はひたすら細かく楽譜を読み、練習を繰り返した。一フレーズずつ、一小節ずつ、何度も丁寧にさらい続け、ゲネプロ後から約6時間、ほぼ休まず我ながら驚異的な集中度で練習した。ふと気がつけば開演時刻の19時半を迎えようとしていた。一抹の不安は未だに残されているが、良い練習ができたという手応えがあった。
自室で着替え、己を奮い立たせて舞台裏へ向かう。すると既にステージ袖に控えていたビシュコフが私をジロリと見て問いかけた——「君はなぜここにいるんだ」。唖然として、その場に立ち尽くした。ゲネで醜い演奏をした私はもうお呼びではないとのことだろうか。落胆して黙り込む私に彼はもう一度「君はなぜ今ここにいるんだ」と強い口調で続けた。だが負けるわけにはいかない。私は残された全身の力を振り絞って「あなたとドヴォルザークのピアノ協奏曲を弾くために来たのです!」と答えた。すると彼は「コンチェルトの前に序曲があるんだよ。まだ楽屋で練習してなさい」と返したのだった。マエストロが私を嗾けたのかと思ったが、彼は単に、序曲の存在を忘れて出番の随分前から武者震いする若者に声を掛けただけだった。そういう意味かと私は内心ほっとしながら、すぐさま楽屋へ引っ込んだ。序曲が終わり、気を取り直して再び舞台袖へ赴く。するとビシュコフは今度は「君がミスするたびに僕は君の衣装のボタンを外していくよ」と冗談を言った。その時の私は彼の言葉をジョークと捉える余裕がなく、ステージ上で裸になってしまうなんてまっぴらだ、と集中度を高めた。
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