透明ランナー|『LOVE LIFE』――人と人との分かりあえなさ、深田晃司が描き続ける“孤独”
映画『LOVE LIFE』が2022年9月9日(金)から公開されています。本作の深田晃司(ふかだ こうじ、1980-)監督は、第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した『淵に立つ』(2016)をはじめ、人間の心に根ざす孤独を見つめる映画を作り続けてきました。
本作の主人公は30代の女性、妙子(木村文乃)。再婚した夫・二郎(永山絢斗)、息子の敬太(嶋田鉄太)と3人で暮らしています。団地の部屋のベランダからは中央にある公園が⼀望でき、向かいの棟には⼆郎の両親(田口トモロヲ、神野三鈴)が住んでいます。結婚して1年が経とうとするある日、夫婦をある出来事が襲います。悲しみに沈む妙⼦の前に⼀⼈の男が現れます。失踪した前の夫であり、敬太の父親であるパク(砂田アトム)でした。数年ぶりの思わぬ再会を機に、妙子はろう者であるパクの身辺の世話をするようになります。妙子、二郎、パクの3人は奇妙な関係の下で新たな生活を送ることになります。
先日WEB別冊文藝春秋とnoteとのコラボレーションで「#ミステリー小説が好き」という企画が行われました。ハッシュタグ「#ミステリー小説が好き」に寄せられた書評を、WEB別冊文藝春秋編集部・文藝春秋社内の編集者が読み、良かった記事をピックアップして紹介するというものです。
この企画の中で繰り返し語られていたのが、「書評はどうしても本のあらすじか自分語りのどちらかになってしまう」という話でした。
映画評も同じです。世の映画評はほとんどがあらすじか自分語りです。しかしそれでは映画であることの意味が半減してしまいます。映画が他の芸術と異なる点、それはショットの集積によるモンタージュです。複数の映像の断片を組み合わせてひとつの連続したシーンを表現することこそが映画に許された特権なのです。そこでこの記事では、「ショットに込められた意味」という点から『LOVE LIFE』を見ていきたいと思います。
『LOVE LIFE』と「高さ」
結論から述べると、この映画で最も重要なシーン、それは妙子とパクがベランダでシーツをかぶってふざけているのを二郎が見つけ、二郎が急いで階段を降り、早歩きでその場に向かう場面(「シーン★」)です。何気なく見過ごしてしまう場面ですが、ここは3つの場面と呼応する、和歌の掛詞のように美しく計算されたシーンです。
本作の撮影監督は山本英夫(やまもと ひでお、1960-)。30代で北野武の『HANA-BI』(1998)に抜擢され、日本アカデミー賞優秀撮影賞を6回受賞する、日本を代表する撮影監督です。彼が中途半端な考えでショットを選択するはずがありません。すべてのショットには意図が込められており、それを楽しむのが映画の醍醐味のひとつです。
①歩き方
二郎は「シーン★」で団地の外階段を「降り」ますが、全く同じ外階段を「昇って」いく場面があります。妙子がパクを連れて妙子の部屋に入る緊張感のあるシーンです。妙子は背筋を伸ばしてシャキシャキと歩き、パクはその半歩後ろを申し訳なさそうにヒョコヒョコとついていきます。
ここで山本は上空からの俯瞰ショットの長回しを選択しました。普通ではあり得ないカメラ位置です。上空から妙子とパク2人の歩き方、全身をどのように動かしているかを長時間画面に収めることで、鑑賞者は必然的にそこから何かを読み取ろうとします。
私はかつて映画『ジョーカー』(トッド・フィリップス、2019)について「アーサー・フレックは4度走る」というレビューを書きました。ホアキン・フェニックスの「走り方」の変化に着目した記事です。歩く・走るという全身を動かす行為は表情だけの演技に比べて俳優に要求される水準が著しく高く、それだけ観る側にも覚悟が要求されます。
私はここの歩き方をかなり時間をかけて練り込んでいるなと感じましたが、鑑賞後にパンフレットを読むとパク役の砂田アトムが歩き方に言及しており、我が意を得たりという感じでした。「シーン★」は「昇る」「降りる」の関係でこの場面と対になるように設計されています。
②手持ちのバックショット
私は山本が生半可なショットを構築するはずがないと信頼していますが、そんな中でも違和感が訪れるシーンがありました。オフィスで勤務中の妙子が「手話の方が来ています。韓国の方みたいで」という声を聞き、パクだと直感して小走りでその場に向かう場面です。ここで山本はそれまで一度も使っていない手持ちカメラのバックショットを選択します。
手持ちは人物の動揺や興奮を伝えるために頻繁に使われるテクニックですが、あまりに安易で大丈夫だろうかと一瞬思いました。しかしこの違和感は15分後に解決されます。「シーン★」でふたたび手持ちのバックショットが使われるのです。
二郎は妙子と元夫パクとの関係性に不安と疑念を抱いており、その予感が現実のものとなった瞬間です。このとき二郎の心拍数と血圧は経験したことがないほどの値になっていたことでしょう。そのことが画面を通じて鑑賞者にダイレクトに伝わります。妙子と二郎、それぞれの感情が高ぶるシーンが、ここでしか使われない手持ちカメラという選択により対応関係をもって描かれます。この鮮やかさにはやられました。
③団地映画
サブカル好きの方であれば「団地映画」というジャンルをご存じだと思います。団地は日本の原風景であり、家父長制的で均質的な家族空間を象徴するものとして、映画に限らず(特にアニメで)よく描かれます。2012年には『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(「団地団」:大山顕、佐藤大、速水健朗、キネマ旬報社)という本も出たほどです。
映画にとって何より重要なのはファーストショットですが、深田が本作のファーストショットに選択したのは団地のベランダでした。まさに団地映画史に連なる作品であり、「団地映画」でツイート検索すると独自の団地映画論を考察している人が数多く見つかります。
このシーンは深田の前作『本気のしるし 劇場版』(2020)と接続するファンサービス的な目配せもありますが(森崎ウィンも出ていますしね)、私は違う意味を読み取りました。
妙子は上空のベランダから公園にいる若者たちに呼びかけます。二郎の父へのサプライズパーティーに備え、二郎の後輩たちと打ち合わせをしている場面です。彼らは二郎の後輩かつ二郎の父の部下であり、貴重な休日に呼び出されてわざわざ参加しています。団地のベランダと地平の公園という物理的な高低差は職場での上下関係をそのまま表現しています。この団地の「上」と「下」という表現は「シーン★」における激しい上下動と呼応し、高低差の感覚を観る者に呼び起こします。
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