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今村翔吾「海を破る者」#025

六郎たち日ノ本軍は、圧倒的な兵力を誇る蒙古軍と睨み合いに。
――その時、船をも呑み込む暴風雨が吹き荒れた。

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 日ノ本軍の奇襲は成功に終わった。どの船からも火矢を徹底的に浴びせ、多くのもう船を焼き払った。正確な数こそ不明であるが、その数は三十を優に超すであろう。半焼のものも含めれば百にも迫るほどである。
 日ノ本軍は当初から敵船団の前でかじを切り、一撃を与えるのが目的であった。当然だが船というものはさきより、側面を敵に向けたほうが、より多くが一斉に攻撃することが出来る。そうして敵眼前を横切りつつ、大きな弧を描くようにして退却する。
 蒙古軍からすれば、敵が眼前を過ぎ去るや否や、すぐに新手が現れて攻撃を仕掛け、また通り過ぎていくのだ。さらに島の近くのほうが波の揺れが大きく、弓で応戦しようにもかなり狙いが付けづらい。まさに一方的な戦であった。
 日ノ本軍の被害は微々たるもので、船のそうを誤って敵船団の群れに突っ込んでしまった一そうを除き、全ての船が無事に帰還することが出来た。
 船に乗っていた者のうち、死人は十二、怪我人も三、四十ほどだったという。こう家としてはわずか三人が怪我をしただけであった。
 にんたちは戦果を歓び、さらに気勢を上げる。しかし、ろくろうはその中に身を置くことがどうしても出来なかった。
 御家人たちは「たった十二人」と歓喜するが、己は「十二人も」と考えてしまう。十二の一生が消滅したのだ。
 ましてや蒙古軍のことなど誰も考えはしない。数十、数百の命が眼前で吹き飛んだ。いや、己たちが吹き飛ばしたのだ。
 日ノ本をおびやかす敵ではないかと言われれば確かにそうだ。お主の伯父の命を奪ったかたきではないかと言われれば、なおさらうなずくほかない。
 戦なのだから仕方が無い。戦はそのようなものだ。そう己に何度言い聞かせたとしても、雲が掛かったように気が晴れない。
 彼らにも故郷があり、愛する人がおり、嬉しいことがあれば笑い、哀しいことがあれば涙することを、
 ——知ってしまった。
 もし知らねば、きっと己も御家人たちと無邪気に喜んでいただろう。しかし、今更忘れることは出来ない。それはれいはんと過ごした日々を消し去ることと同じである。
 とはいえ、己一人がそう思っていたとしても、蒙古軍が攻めて来ることは変わらないのだ。ここで退けることが後の数千、数万の命を救うことを信じて。蒙古の勢いをくじくことで、名も知らぬ国の人々が救われることを信じて。戦うほかはない。
「それでよいか」
 星がまたたいている。二人も見上げているかもしれない夜天に向け、六郎は吐息混じりにそっとつぶやいた。

 翌日の二十八日、蒙古軍が攻めて来ることはなかった。それだけではない。ふつぎようよりたかしまから離れようとする動きを見せたのである。頑強な抵抗にへきえきしたのか、別の地点からの上陸を模索しているのだろう。
 しかし、その動きもすぐに収まった。この辺りは潮の流れが激しいのに加え、この日は空こそ晴れていたが風が強く、海域から抜けることが極めて難しいのだ。
 風の影響を受けるのは日ノ本軍とて同様である。前日のようにこちらから攻め掛かることも出来ず、結局昼過ぎにはにらみ合うかつこうに戻った。
 一夜明けて二十九日、やはり蒙古軍は攻めては来ない。この日はまた不可思議な動きが見てとれた。蒙古軍が居並ぶ自船同士を、太い荒縄で繫ぎ始めたのである。内陸に所領を持つ、船に通じていない御家人たちはその様子に揃って首をひねる。たけざきすえながなども、
「あれは何をしている」
 と、げんそうに尋ねて来た。
「いわゆるれんかんけいだ」
 六郎は即座に答えた。大陸の三国時代、せきへきの戦いにおいてが取ったとされる策である。船を荒縄で繫いで安定させることで、波による揺れを著しく軽減することが出来る。
 魏の場合は海戦に慣れぬ兵たちが船酔いに対して講じた策であったというが、蒙古軍が行った理由は別だろう。
 二日前の戦いにおいて、潮の流れが速い鷹島の近くにいた蒙古軍は、弓での応射に酷く苦労していた。日ノ本軍が次に襲撃してくる前に揺れを抑え、返り討ちにしようともくんでいるのだ。
「しかし、あれで動けるのか?」
 季長は不思議そうに目を細める。
「いや、動けぬ。しばし動かぬつもりだ」
 六郎は首を横に振った。
 縄で船を繫いでしまえば当然ながら動けない。蒙古軍から攻める時は縄を切る必要があり、攻撃が終わればまた縄を張り直す。かなり手間取ることは間違いなく、持ち合わせた縄の数にも限りがあるだろう。
 これがこちらの油断を誘うための策ということも有り得るものの、しばらく攻めて来ないと見るのが普通だろう。
「悠長に構えおって……められたものだ」
 季長はを覗かせて吐き捨てた。
 つのみやさだつな率いるろく軍六万が、援軍としてこちらに向かっている最中である。蒙古軍も日ノ本が援軍を送ってくることは容易に想像出来るはずだ。時を掛けるほど不利になると解りながら、悠長に守りを固める敵陣を、季長はそのように取った訳だ。
「いや……」
 六郎は鷹島の向こうにただよう雲を見上げ、
「感じているのだろう」
 と、言葉を継いだ。
 迫るような空の低さ、鉛を溶かしたような海の暗さ、駆けていくようなき雲の流れ、磯の香りを多く含んだ風の匂い、うつすら灰掛かった宙の色。全てが物語っている。
 昨日からその気配は感じており、己よりもさらに海に詳しいじんすけに意見を求めようとした。甚助も此方こちらを探していたらしい。顔を合わすなり、
「これは来ますな」
 と、深刻な面持ちで言った。
 一夜明けた今日、その兆候は強まる一方で確信した。間違いない。明後日、いや早ければ明日にでもやってくる。
 ——わき
 である。秋から冬に掛け、毎年のごとくやってくるそれは、野を切り裂くように分けて突き進むことからそう名付けられた。その威力はまちまちであるが、弱いものでも木々を倒さんばかりに揺らし、強いものとなれば家屋さえも難なく吹き飛ばす。
 海への影響はさらに著しく、船を呑み込まんばかりの大波を起こすのも珍しいことではない。野分が迫っている旨を告げると、
まことか」
 と、季長は身を乗り出した。
「ああ、間違いない」
 六郎はあごを引く。蒙古軍の中にも天を見るにけている者がいるのだろう。海が荒れることを見越して、船を荒縄で繫ぐことにしたのではなかろうか。
「だが……奴らは野分を甘く見ている。いや、知らぬかもしれぬ」
 海に浮かぶ細やかな白い泡を見ながら、六郎はさらに言葉を継いだ。
 かつてに大陸の商人が停泊していた時、野分が迫って来たことがある。商人は天候が荒れることには気付いていたが、大して対策を講じる様子が無かった。市を任せているしようろう、そこに甚助が加わって備えを厚くするように促したものの、商人は笑って取り合おうとしなかった。
 二人が困り果てて報告してきたことで、六郎も水居津に向かった。つたない漢語を駆使して懸命に説得し、商人は渋々ながら六郎の言う通りに船に荒縄をいくすじも張り巡らせて陸に固定した。
 翌日、予想通り野分がおそったが、おかげで商船は大きな破損もなく事なきを得た。商人はこれまで嵐には幾度となく遭遇してきたが、これほど強いものは朝鮮で一度経験したのみだという。日ノ本ではこの程度は珍しくないと伝えると、顔面をそうはくにさせていた。
 これに六郎は興味を抱き、異国からの商人が来る度に嵐について尋ねた。するとどうも日ノ本が最も野分の影響を受ける国らしいことがわかった。
 何と呼ぶかはともかく、大陸、朝鮮にも野分は確かに来ている。が、その威力、頻度ともに、日ノ本の比ではないようなのだ。これらのことから、蒙古軍の方が野分に対して、
 ——甘く見ているのではないか。
 と、六郎は考えた。己ならば、船同士を結んだ程度で乗り切れるとは思わない。まだ野分が来ていない内に船団を散らし、荒縄を陸と繫ぐことに使うはずなのだ。
 六郎は本陣へと向かうと、明日にでも野分が到来すること、蒙古軍の備えが甘いことを、ちん西ぜい東方奉行おおともよりやすに告げた。
「やはりそうか」
 大友は顔に喜色を浮かべて膝を打った。大友も海を全く知らぬ訳ではないし、他の御家人の中にもそう言う者がちらほら出ていたらしい。ただ己がそう言うのならば、間違いないと確信したという。当初は白い目で見られていた河野家だが、これまでの戦いを経て、これほどまでに評価されるようになっている。
「明日は仕掛けられぬな」
 野分に乗じて攻めるということだ。大友は念の為といったように訊いた。
「はい。我らも呑み込まれてしまいます。今すぐ乗り切る備えをしなければなりませぬ」
 船の構造、操舵の技術といった問題ではない。野分はもはやじんの及ばぬ力である。念を入れ過ぎるということなく備え、ただひたすらにえるほかにはない。
「やはりそうか。では、野分が去ってからだな」
 大友は自らに言い聞かせるように数度頷いた。
 こちらは野分の被害を最小限に抑え、去った後に蒙古軍に総攻撃を仕掛ける。定石である。何ら判断としては間違えてはいない。が、六郎は心の何処かで、
 ——別の。
 答えを求めている自分に気がついていた。揚々とする大友の顔を見つめながら、ぎゅっと袴を握りしめる。
 間もなく水軍に向けて触れが出た。湾の中の島陰に移ること。互いに適度な距離を取ること。船と陸を荒縄で数か所結ぶこと。ありったけのいかりを下ろすこと。さらに船に荷を積んできつすいせんを高くすること。全て六郎が進言した通りである。昼過ぎには移動を終え、日暮れまでにはそれら全ての作業を終えた。こちらの動きも察知しているだろうが、蒙古軍はやはり大きく動くということは無かった。
 空もまだ穏やかである。いわしが並んだような美しい雲が天に延び、焼けるような西日を受けて艶のあるしやくどう色に染まっている。しかし、これもまた野分が来る前兆である。

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