Bar California スイカのソルティドッグ/西山健太郎
第三夜 スイカのソルティドッグ
那珂川の河畔に立ち並ぶ屋台の暖簾が薫風に吹かれ、気持ちよさそうに揺れている。
冬場から春先にかけて屋台の側面に掛けられる風除けのビニールカバーが取り払われ、屋台も夏の装いに様変わりしている。
肩身の狭い感じのおでん鍋とは対照的にガラス製のネタケースの中には、串物や牛タン・サガリといった肉類、トマトやキュウリ、グリーンアスパラやオクラといった野菜類が並び、敷き詰められた板氷が目にも涼しげだ。
肉が焼ける香ばしい香り、七輪から立ちのぼる炭の香り、そして寸胴鍋に沸き立つ豚骨ラーメンのスープの香りが重なり合うように鼻をくすぐり、自ずと空腹感を覚える。
客たちが交わす快活な会話がそれぞれの店のBGMとなり、傾いた日が照らす川面のきらめきがこれから始まる中洲の夜の華やかさと賑やかさを予感させる。
出勤前、中洲からほど近い商業施設・キャナルシティ博多で映画を1本見て、そうした初夏の情景を眺めながら私は店へと向かった。
◇
那珂川沿いのビルの4階にある自分の店に着いて開店の準備をしていると、ほどなくノックの音とともに入口の扉が開いた。
私が住む西新という町の商店街で半世紀以上商売を続けている「山口青果店」の三代目、ヒロ君が果物の入った段ボール箱を抱えて入ってくる。
いつもは店頭で購入した品物は自分で店に持ち込むのだが、今日は大物を仕入れたので配達をお願いしたのだ。
「イーグルスいいっすね! マスターお好きなんですか?」
仕込み時間の定番BGMに即座に反応したヒロ君に、私は笑顔で頷く。
ヒロ君は地元・西新にキャンパスがある私立大学で経済学を学びながら、バンド活動に勤しみ、その活動資金を稼ぐために家族が経営する青果店でアルバイトをしているのだ。
山口青果店はヒロ君の祖父・ノブさんと祖母・チエさん、母親のミキさんの3人で切り盛りしており、ヒロ君の父親は青果店の経営には携わらず不動産関係の仕事に就いている。
「車はどこに停めたんだい?」とヒロ君に尋ねると、「母親に送ってもらいました。自分、このあと須崎町にある仲間の実家の倉庫でバンドの練習やるんで」と朗らかな言葉が返ってくる。
中洲の北側に位置する須崎町にはかつて問屋街が形成されており、立ち並ぶ建物には今もなお往時の雰囲気を感じることができる。
そうした商都・博多の歴史を物語る一角が、今を生きる若者たちの表現と発散の場所になっているのが面白い。
「今年初めてだから味見してみようと思うんだけど、一杯飲んでいかない? このまえ二十歳になったんだろう」
そう声をかけるとヒロ君は「えっ、いいんですか?」と言って目を輝かせた。
私はさっそく、ヒロ君が配達してくれた段ボール箱から直径20センチほどのスイカを取り出した。
スイカは同じツルにいくつもの実が生るが、最初に生る実が一番美味しいというのが、山口青果店の創業者であり今年喜寿を迎える店主・ノブさんの持論だ。
毎年初物のスイカはノブさん自身、スイカの名産地として名高い熊本県の植木まで足を運び、馴染みの農家を何軒か訪ねて仕入れてくる。
包丁を入れ真っ二つにして断面を検めると、驚くほど皮が薄く、果肉がみっちりと詰まっている。さすがと言いたくなるほど素晴らしい上物のスイカだ。
カットしたスイカの果肉をボストンシェイカーに入れ、ペストルと呼ばれるすりこぎ状の器具を使って丁寧に潰し、ウォッカを加える。
ウォッカは、ジン・ラム・テキーラと並ぶ世界の4大スピリッツの一つで、大麦・ライ麦などを原料とし、蒸留された原酒を白樺の炭で複数回ろ過して造られる。ロシアや東欧諸国では11~12世紀頃から飲まれていたとされ、1917年のロシア革命以降、亡命ロシア人によって世界各国で造られるようになり、1950年代のカクテルブームを機に全世界に広まった。
縁に塩をあしらったロックグラスにピンク色に染まった液体を注ぎ込み、「お待たせしました」と一言添えて、ヒロ君のコースターの上にグラスを置いた。
ヒロ君は緊張の面持ちで、おもむろにグラスに口を付けた。
「すごく美味しいです! そのまま食べるよりも香りや甘みが増すんですね!」
ヒロ君が言うように、ベースとなる高アルコール度数のスピリッツが果物の個性を前面に押し出す。これがフルーツカクテルの魅力の一つだ。
特にウォッカは原材料由来の香りや風味の影響が少なく、クリーンな味わいが特徴であるため、果物の香りや味わいを活かしながら、そのインパクトを増幅させることができる。
ソルティドッグやモスコミュールをはじめとするスタンダードカクテル、さらには近年世界的に流行しているエスプレッソマティーニなどのベースに使われ、生産量・消費量ともに群を抜いて、現在世界で最も多く飲まれている蒸留酒だというのも頷ける。
◇
それから2時間後、「Bar California」のカウンターには山口青果店の店主・ノブさんと、この店の常連客で税理士事務所を営む真理さんの姿があった。
「そうなんだ。ヒロ君もお酒が飲める歳になったんだ」
真理さんがノブさんに声をかける。
山口青果店の税務は真理さんの事務所が担っており、ノブさんの一人娘であるミキさんのご主人は「中洲の不動産王」と称される真理さんの父親の片腕的存在なので、両家は親戚に近い関係性にある。
こうした「血縁」でも「地縁」でもなく、いわば「知縁」ともいえる信頼関係に基づいたパートナーシップ、博多ならではの街の活気と商品の品質を守っていく商習慣は、いまだに街の至るところに残っている。
「今度はぜひ一緒に来たいね。孫と一緒にバーに来られるなんて夢みたいだよ」
「ちゃんとお店も手伝っているみたいだし、山口青果店も安泰ね」
「どうだろうね。本人はミュージシャンになりたいみたいだけど」
「これからの時代、能力がある人はいくつもの仕事を掛け持ちするのが当り前よ。ロッカーが営む果物屋さんなんて素敵じゃない」
そうした会話に耳を傾けながら、私はほんのりピンク色に染まった空のロックグラスを二人のコースターから下げ、ノブさんにはバルヴェニー、真理さんにはアードベッグのグラスをサーブした。
冬から春にかけて旬を迎えるイチゴや柑橘類から、これからはスイカ・モモ・ブドウへと季節のバトンが渡されていく。
変わりゆく季節をフルーツカクテルで味わい、自分に合った個性をウイスキーで味わう。
ノブさんと真理さんの粋な飲み口、語り口に触れ、私は窓の外に広がる那珂川の夜景を眺めながら、バーテンダー冥利に尽きる贅沢な時間の流れと空間の妙に酔いしれていた。
第三夜・了
西山健太郎(にしやま・けんたろう)
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