Bar California ダイキリ/西山健太郎
第四夜 ダイキリ
「マスター、明日はよろしくな」
山口青果店の店主・ノブさんがお釣りと領収書を手渡しながら、はにかんだような笑みを浮かべた。
「ええ、楽しみにしています」と私は応じ、旬の果物とライム、レモンが入った竹編みの買い物かごを手に取った。
◇
翌日、九州ひいては西日本随一の劇場とも称される「博多座」の前に私は立っていた。
歌舞伎、宝塚歌劇、有名歌手の座長公演……。壁面の大型サイネージに映し出される予告を眺めながら、この劇場の懐の深さにあらためて感じ入っていると、背後から「よっ、お待たせ」という声がかかった。
振り向くと、一目でオーダーメイドとわかる仕立の良いジャケットを羽織り、ピカピカに磨き上げられた革靴を履いたノブさんの姿があった。Tシャツに鉢巻という、いつものいでたちとは打って変わって、まさに「大店の旦那」といった雰囲気が漂っている。
ノブさんと私の共通点の一つがミュージカルの大ファンだということ。数年前、ふとした会話からそのことが分かり、いまでは博多座でのミュージカル公演に連れ立って行くことが慣習となっている。
この日の演目は「レ・ミゼラブル」。今からおよそ200年前、1800年代前半のフランスを舞台に展開される、情熱と快楽、そして悲恋が交錯する不朽の名作だ。
◇
閉幕後、我知らず、ノブさんは「夢やぶれて」、私は「民衆の歌」を口ずさんでいた。
「帰り道に劇中歌を口ずさみたくなるような作品がミュージカルの名作というものよ」
「ですよね」
そんな言葉を交わしながら、ノブさんと私は、劇場の真下にある中洲川端駅から地下鉄に乗り、2駅隣の赤坂駅へと向かった。
赤坂駅の2番出口から徒歩1分。一方通行の狭い通りに面して建つ、御影石の外壁と長い暖簾が目印の「やま祥」は、ノブさんと私が博多座帰りに決まって寄る小さな寿司屋だ。
涼しげな麻の暖簾をくぐって引き戸を開けると、酢の香りが店内に満ちている。
間髪入れず「いらっしゃいませ!」という威勢のいい声がかかる。
間もなく還暦を迎える大将と女将さんで切り盛りしているが、この日はもう一人、カウンターの中に20代半ばと思しき精悍な顔立ちの職人が立っていた。
新橋にある老舗の寿司屋に5年間修業に出ていた若大将が、3か月ほど前、店に戻ってきたという。
私たちは、若大将の前の席に腰を落ち着けた。
大将の前には、いずれも常連客であろう、ゴルフ帰りらしき男性4人連れと60代後半と思われる品の良いご夫婦がいて、会話とともに料理を楽しんでいる。
ノブさんがガラス製のネタケースの中を覗き込みながら、てきぱきと注文を進める。
会話の内容からすると、ノブさんはすでに何度か若大将の料理や寿司を味わったことがあるようだ。
鯛の皮をポン酢で和えた小鉢をつまみにビールで乾杯し、渇いた喉を潤す。
まずはお造りから、真鯛、平目で雲丹を巻いたもの、鰺と烏賊がカウンターのつけ台に並べられる。
日本酒に切り替え、ぬる燗を頼むと錫製の徳利と有田焼のぐい吞みが出てきた。
同じタイミングで、見事な塩梅に焼かれた甘鯛の頭がノブさんと私の前に一皿ずつ並ぶ。
包丁で丁寧に叩いた梅干しと鮫皮でおろした本山葵を和えた、この店の名物「梅わさ」が添えられており、2合徳利があっと言う間に空になった。
甘鯛の皿が空いたところで握りを5~6カンお好みで注文し、鉄火とかんぴょうを1本ずつ巻いてもらって2人で分けて締めにした。
最後に、デザートのメロンがカウンターの上に並ぶ。
贅沢にも1個を1/4ずつ切って供されたメロンにスプーンを入れると果汁が溢れ出て、たちまち甘く優美な香りが店内に立ち昇る。
「やっぱり寿司屋のデザートにはメロンだね」ノブさんが頷きながら言った。
このメロンはノブさんが静岡の指定の農家から仕入れ、山口青果店の専用冷蔵庫で後熟させた一級品。「福岡でメロンといえば、山口青果店」といわれるほど、料亭や割烹、ホテルの飲食部門、そして贈答品として、地元の名店や美食家に愛される逸品なのだ。
満ち足りた気分になり、勘定を済ませて席を立つと3人が店の外まで見送ってくれる。
息子と一緒に仕事ができて嬉しくて仕方がない、といった面持ちの大将と女将さんとは対照的に、若大将のどことなく淋しげな表情が気になった。
◇
その翌週のこと、客足がいったん引いた23時過ぎ、「Bar California」の扉が静かに開いた。
一瞬誰だか見分けがつかなかったが、よく見ると「やま祥」の若大将だった。
ジャケットを羽織っているせいか少し大人びて見えた。
若大将はおしぼりで手を拭きながら「ダイキリをいただけますか?」とオーダーを告げた。
新橋での修業時代に、当時の親方に初めて銀座のバーに連れて行ってもらったときに味わったのがダイキリだったといい、それ以来バーでの1杯目はこのカクテルに決めているという。
私は、シェイカーにラムとライムジュース、砂糖を入れ、バースプーンで念入りに撹拌したのち、氷を加えてシェイクした。
「お待たせしました」と言って、若大将のコースターの上にグラスを載せると、若大将は優美な手つきでグラスを口に運んだ。
「美味しいです! 酸味と甘みのバランスが最高ですね。それに、こんなにまろやかな口当たりのダイキリは初めていただきました」
興奮気味に語る若大将に、私は笑みと会釈で感謝を表した。
一気にグラスの2/3ほどを空けた若大将が突然真剣な面持ちになり、意を決したように口を開いた。
「うちの店は一見のお客さんはほとんどいなくて、やっぱりお客さんとしては大将の料理や握りを味わいたいんですよね。ようやく板場に立てるようになったんですが、なかなか接客に自信が持てなくて。ノブさんだけですよ、私をご指名してくださるのは……」
若大将の切ない声を聞きながら私は、独立前に師匠の店で働いていた頃の出来事を思い出していた。
師匠が同じ中洲エリアにある姉妹店に出かけていたとき、常連客が一人の紳士を連れて入店してきた。
私が師匠の不在を告げるとその常連客は、姉妹店の方に向かおうと紳士に投げかけた。
すると紳士は事もなげに「まあいいじゃないですか。せっかくカウンターに座ったのだから、こちらのお酒もいただきましょう」と話し、私と目を合わせて「ダイキリをください」と告げた。
そうしたやり取りがあった後でも、自分でも驚くほど冷静にメイキングできたのは、営業後に毎日必ず1杯ダイキリを作ることを続けていたからだと思う。
「自分が思う最高のダイキリを安定して作れるのであれば、他のどんなカクテルも思い通りに作れるはず」というのが、師匠が日頃から口にしていた言葉だった。
レシピが極めてシンプルであるからこそ、作り手の技量が問われ、奥深い。それがダイキリというカクテルなのだ。
グラスに口をつけた紳士は満足げな表情を浮かべ、「メイキングも見事だし、味のバランスも申し分ない。相当作りこまないとこの安定感は出ないと思います。あなたのダイキリが何よりの博多土産です」と語った。
隣の常連客が目を丸くして言った。
「この御方は、全国バーテンダー協会の山形理事長。銀座の『BAR YAMAGATA』のオーナーだよ。あんた、なかなかやるもんだね。僕にもダイキリ作ってもらえるかな?」
『BAR YAMAGATA』といえば銀座を代表するバーの一つで、山形マスターは日本を代表するカクテルの名手として知られていた。そして、マスターが監修したカクテルブックは、ホテルバーでアルバイトをしていた頃からの私のバイブルだった。
その日の出来事がきっかけになったわけではないだろうが、それからしばらく経つと、師匠が店に立っているときにでも、敢えて私の前に座ってカクテルを注文してくださるお客様が一人また一人と出てきたのだった。
私は、帰りのタクシーの中でノブさんが確信的に語った言葉を若大将に伝えた。
「気づいたかい? 俺の握りとマスターの握りの大きさが違ってたのを。俺の方を若干小さめに握ってた。あの若大将はちゃんと客の顔を見て仕事をしているよ。これで『やま祥』はしばらく安泰だな」
福岡の名だたる飲食店にメロンを卸しているノブさんは折に触れ、それらの店を訪れて料理だけでなく店の雰囲気や客層をチェックしている。そして、自分が気に入らない店とは取引をしないというモットーを貫いている。いわば福岡一の食通だ。
その話を伝えると、若大将の表情が和らぎ、ダイキリの最後の一滴を美味しそうに飲み干した。
笑みを浮かべた若大将の前に置かれたグラスには細かい水滴が浮かび、ライトに照らされて淡く輝いていた。
私は背筋を伸ばして、銀座バー仕込みの若大将が選ぶ2杯目のオーダーに備えた。
第四夜・了
西山健太郎(にしやま・けんたろう)
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!