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Bar California 今夜のレシピ《アンゴスチュラビターズ》 /西山健太郎

WEB別冊文藝春秋

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カクテルは夢と同じレシピで出来ており、
その儚い命は火照りとともに消える。
千の夜を生んだ博多のbarで紡がれる次の一夜は――

第一夜 ピンクジン

 
 カナディアン、バーボン、アイリッシュ、スコッチ、ジャパニーズ、コニャック、スピリッツ、リキュール……。
 バックバーに並ぶボトルを左から順に一本ずつ拭き上げ、それが終わると、プレイヤーのCDをイーグルスからオスカー・ピーターソンへと差し替える。
 午後8時ちょうどに入口脇の看板を照らすライトを灯し、シンクの脇に置いた木製の折りたたみ椅子に腰を掛け、本を開いて客の訪れを待つ。
 ここで手に取る本のジャンルにこだわりはない。とかく活字を目で追うことで、翻って私自身が、バーを舞台にした物語の登場人物と化すような、そんな不可思議で官能的な感覚を味わって以来、私は毎夜儀式のようにこれを繰り返している。

 ビルの4階にある私の店の窓からは、那珂川なかがわのほとりに立ち並ぶネオンサインが綺麗に見える。

 福岡市の中心部を流れる那珂川は、福岡県と佐賀県の県境に位置する背振せふり山系を源流とし、博多湾に流れ込む、この街の象徴の一つだ。その下流に向かって左手がかつての城下町「福岡」、右手が商都「博多」であり、それぞれの地域はいまでも、天神と博多駅という二大ビジネス街を中心に活況を呈している。

 那珂川は、河口付近で博多川と呼ばれる支流に分岐し、その2つの川で形成された中洲が、そのまま地名となり、西日本最大規模の歓楽街が形成されている。
 その中央を貫く中洲大通りの左右には、細い路地が網の目のように張り巡らされ、林立する雑居ビルには、居酒屋・小料理屋・寿司屋・焼肉屋・ラーメン屋からスナック・クラブ、そしてバーまで、多種多様な飲食店がひしめき合い、ずらりと並んだネオンサインや看板が客をいざなう

 自分の店を開くための場所を探し始めて間もなく、この物件に行き当たった。何より気に入ったのが、大きく取られた窓からの風景だった。

 那珂川の川面を彩るネオンサインの情景を目にしたとき、瞬時に頭の中に流れたのがイーグルスの「Hotel California」だった。

 私が最も好きな曲の一つで、そのきらびやかで儚い世界観を含んだ歌詞の最後にある

“You can check out any time you like, But you can never leave.” 
(君たちはいつでも好きなときに旅立つことができるけれど、
決してそうはしないだろう。ここはそれほど離れがたい場所なのだから)

 という一節はまさに、私の人生を捉えて離さない中洲という街そのものを言い得ていると、以前から心に留めていた。

 私は即断で、その場所を新天地と定め、店名を「Bar California」とすることにした。

 そもそも、私がバーテンダーになった経緯は、大学時代に遡る。

 入学早々知り合った同じ学部の友人に誘われ、福岡市内で最も歴史があるホテルでアルバイトをすることになった。
 彼の父親がそのホテルの役員だったため、面接を受けた支配人の物腰も柔らかで、10分ほど他愛のない会話を交わしたのち、友人は宴会場、私はバーに配属されることを告げられた。

 そのバーで、当時チーフバーテンダーを務めていたのが、私の師匠だった。
 弱冠28歳にして、全国のホテルバーテンダーが集うカクテルコンペでは、向かうところ敵なし。優勝を逸すること自体が業界内でニュースになるほどの技量で、その名が全国のホテルだけでなく街場のバーにも知れ渡っているほどの人物だった。

 師匠が独立して自らの店を構えると知ったとき、私は矢も楯もたまらず、同行を志願した。
 堅物の両親が特に反対しなかったのは、師匠が作るカクテルとその人柄に惚れ込んでしまっていたからだろう。

 そして、在学中の2年間は時給制のアルバイトとして、大学卒業と同時に月給制のスタッフとして、師匠は私を雇い入れてくれた。
 やがて、師匠は創業店からほど近い、元々高級クラブだった大箱の物件を居抜きで借り、2号店を開店した。私はその2号店で、3人の兄弟子と並んでカウンターに立ち、その兄弟子たちが独立していなくなると、後継の店長として店を任されるようになった

 その師匠が、店からの帰宅途中に飲酒運転の車にはねられ、私たちの前から風のように消えてしまったのは、いまから4年前の年の瀬のことだった。
 師匠のご家族や店のスタッフ、そして兄弟子たちからは異口同音に、師匠不在となった2店舗の継続を私に託したいという思いを伝えられたが、私は別の場所に、自分ひとりで切り盛りする店を構える道を選んだ。
 15年あまり一緒の世界にいた師匠の存在や息づかいを感じる場所に身を置くだけで、淋しさが募り、仕事が手につくはずがなかったからだ。

 今夜の口明けの客は、H氏だった。
 週に2~3回利用される、この店一番の常連客だ。
 いつもスーツ姿で来店し、年の頃は40代前後とみられるが、口数が極めて少なく、もう3年ほどの付き合いになるが、どんな仕事をしているのか未だに分からない。それどころか、名前すら聞いておらず、いまさら尋ねるのも野暮というものだ。私は、彼の詩人的な立ち居振る舞いから、ふと「H氏賞」というフレーズが頭に浮かび、それをもじって、私だけの呼び名を付けたのだ。

 いつも早い時間にやってきて、カクテルやウイスキーを2~3杯飲まれる。1時間前後で切り上げるのだが、その酒のオーダーの内容や仕方が堂に入っており、とにかく洋酒の知識が生半可なものでないことが分かる。

 そのH氏に今夜の一杯目を尋ねると、「ピンクジン」というオーダーが返ってきた。

 ピンクジンは、ジンにアンゴスチュラビターズを加えて作るショートカクテル。
 シンプルなレシピだが、私の店でこのカクテルをオーダーするのはH氏しかいない。
 一般的なバーでは、メニューに載ることもなく、余程のバー好きでない限り、その存在について知る機会がないカクテルだろう。

 ジンは、ラム・ウォッカ・テキーラと並ぶ世界の4大スピリッツの一つ。カクテルのベースとして使われる蒸留酒の代表格で、ロングカクテルのジントニックやジンバック、ショートカクテルのマティーニやギムレットなど、ジンベースのカクテルは星の数ほどあると言っても過言ではないだろう。
 その起源は、11世紀にイタリアで、17世紀にオランダで、といった風に諸説あるようだが、現在最も流通しているジンは、産業革命時代にイギリスで大量生産されるようになったもの。主に穀物を主原料とした蒸留酒に、ジュニパーベリー(ねずの実)と複数のハーブ・スパイス・野菜・果物などで風味付けがなされたものを再蒸留して造られる。その風味付けの素材のことを「ボタニカル」と呼び、近年では、地域性を活かしたボタニカルを使用したジャパニーズジンの人気も高まっている。

 ビターズは、ハーブやスパイスを酒に漬け込んで作られる苦味酒のこと。アンゴスチュラビターズは、1824年にドイツ人医師、ヨハン・ジーゲルトがベネズエラの町、アンゴスチュラで開発したとされるビターズの代表格で、ウイスキーベースのスタンダードカクテル「マンハッタン」のレシピに含まれるため、オーセンティックバーには不可欠な一本。とはいえ、実際に使用するのは一振り(数滴)で、その単位を「ダッシュ」と呼ぶ。

 ピンクジンの基本的な作り方は、ロックグラスにアンゴスチュラビターズを数ダッシュ振り、グラスを傾けながらその内側を濡らしていくことから始まる。そして、グラスの底に残ったビターズをシンクに流し、丸氷とジンを加え、バースプーンでステアして完成する、至ってシンプルなカクテルだ。

 H氏が初めて来店されたときの一杯目のオーダーがこのピンクジンだった。
 私はあえて、グラスの底に残ったビターズを流さずに、ピンクジンを作った。
 このカクテルをオーダーするということは、アンゴスチュラビターズが相当好きなのだと踏んだのだ。
 レシピ通りのピンクジンはロゼワインを水で薄めたような色合いになるが、そのとき私が作ったピンクジンはまさにその名に相応しい色合いだった。

 H氏はグラスを鼻に近づけ、しばらく香ったのち、その艶めいた雫を口に運んだ。
 そして私の目を見て、満足げな笑みを浮かべたH氏は、おもむろに口を開いて、こう言った。
「いままで数多くのバーを訪れてきましたが、このスタイルでピンクジンをメイキングしたバーテンダーが、お一人だけいらっしゃいました」

 そのバーテンダーの名前がH氏の口から発せられたとき、私は思わず言葉にならない声を上げ、手元にあったアンゴスチュラビターズの瓶を強く握りしめた。
 久々に耳にした師匠の名前。
 静かにグラスを口に運ぶH氏を前にして、師匠の顔、そして私の歩んできたバーテンダー人生における数々のシーンが頭に浮かび、胸の中に暖かい風が流れた。

 いつもと同じように姿勢を正し、悠然とグラスを口に運ぶH氏の居住まいを横目に、私はあの夜の感情を思い出していた。
 カウンター越しの出逢い、邂逅。そうした魅力、ときには神力ともいえる見えない力に動かされて、私は今夜も店の明かりを灯す。
 そして、中洲という街を舞台にした「Bar California」という物語の新たな1ページが、今夜も静かに紡がれていく。

第一夜・了 
[次回: 2022年3月下旬に更新します]


西山健太郎(にしやま・けんたろう)

 1978年、福岡・赤坂の寿司屋の長男として生まれ、食と器、職人の技に魅せられ成長。大学進学で上京し、下町文化を満喫したのち帰郷。日々街を歩き、酒と食、アートや祭りを通して人の営みを愛す。
 2017年2月、樋口一幸氏(Bar Higuchi 代表)と非営利団体「福博ツナグ文藝社」を設立。「ウイスキートーク福岡」「アートフェアアジア福岡」「フクオカコーヒーフェスティバル」をはじめ、市民が主催する演奏会・展覧会・講演会・演劇公演・映画上映会などの企画・広報に年間50件以上関わる。
 福岡の食文化やBAR文化の魅力を発信する活動も精力的に行い、現在は福岡の“うまい”を探求するWEBマガジン「UMAGA/ウマガ」(https://umaga.net/)にて、福岡市内のBARを紹介するコラム「福岡フルーツカクテル紀行」を連載中。

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