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なちこ「市松人形」――#2000字のホラー〈最恐版〉

note × WEB別冊文藝春秋 の投稿企画「#2000字のホラー」。2022年8月23日から9月30日の応募期間中、実に1847作もの投稿を頂きました。いまの時代ならではの「怖さ」の詰まった投稿の数々を、編集部一同背筋を凍らせながら拝読しました。その中でも「これは!」と思った3作に「WEB別冊文藝春秋賞」を贈呈。受賞された作品は編集部とのやりとりを経て改稿され、電子文芸誌『別冊文藝春秋』に収録。その「最恐版」をこちらでもご紹介します!他2作はコチラ ▶和來花果「雨の日の怪談」 ▶田原にか「拡散」

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市松人形

 娘が小学三年生に上がった頃、学校帰りに連れて帰ってきたのは犬でも猫でもなく、古い小ぶりの市松人形だった。
 私は小さい頃から人形と名のつくものはとんと苦手だった。
 そのため、娘には申し訳ないと思いつつ、お世話人形のメルちゃんや着せ替え人形のリカちゃんなどは与えてこなかったのだ。
 だから「ママ、捨てられてて可哀そうだから連れて帰っちゃった」と人形を手渡されたとき、私は小さな悲鳴をあげて手を引っ込めてしまった。
 その古い市松人形はお世辞にも可愛いといえるものではなかった。髪は艶が無くボサボサと乱れ、身につけている着物もいろせ、ところどころほつれもあり、表情は暗く不気味であった。
 これは俗に言う「のろわれた人形」ではないだろうか。脳裏に浮かんだそのワードに身震いする。
「ママ、私この子の名前を決めたの。お口がちっちゃくて可愛いでしょ? だから『ちーちゃん』にするの」
 
 ちーちゃんは娘の手によって「不気味な人形」から「少し不気味な人形」にまでへんぼうを遂げた。髪を毎日といてあげ、着物の代わりに娘が手作りした洋服を着せた。顔や手足の汚れを丁寧に拭いたおかげで、本来のすべすべしたれいな肌も取り戻した。
 よく「髪が伸びる」や「涙を流す」、「口元が笑ってくる」などの怪談話で取り上げられる市松人形だったが、我が家のちーちゃんにはそのようなことは起きなかった。
 しかし、ひとつだけ不思議なことがあった。
 ちーちゃんはよく、娘のランドセルに入りこんでいたのだ。
 おもちゃは持ち込み禁止だと、学校から何度か注意を受けた。しかし娘は「私は入れてない」と頑なに否定する。
 夫はもちろん入れていないと言うし、娘はひとりっ子だ。ペットも飼っていないし、家族以外の誰かが我が家を出入りすることもない。娘には友達らしい友達もいなかった。
 では一体誰が娘のランドセルにちーちゃんを入れているのか。
 私たちはみんなで頭を抱え、考え込んだ。ちーちゃんがランドセルに紛れ込まないためにはどうすればいいのか。
 すると娘は家族会議が行われているリビングの机の上にちーちゃんを連れてきて、そっと座らせた。
「ちーちゃん、私のランドセルに勝手に入ってる? もしそうなら、私が先生に怒られちゃうの。だからお家で待っててくれる?」と娘は神妙な面持ちで語りかける。
 その日以降、ちーちゃんが娘のランドセルに紛れることはパッタリと無くなった。娘は「ちーちゃんは偉い子!」とたたえたが、私はその真っ黒な瞳にほんのり恐怖心を抱いていた。
 そのうち娘は学校で仲良しの友達が出来たようで、ちーちゃんと遊ぶ日も少しずつ減っていった。
 
 娘が中学生になったある日のことである。パートを終え帰宅した私の耳にかすかな音が聞こえた。二階にある娘の部屋からだ。カタンと何かが落ちたような音だった。
 私はひとまず買い物袋をキッチンまで運び、階段を上って娘の部屋まで向かう。二階まで上がり終えると、一番手前にある娘の部屋のドアを開けた。
 床には脱ぎ捨てられた服や本や美容グッズが散らばったままだ。これでは何が落ちたのか見当がつかなかった。
 私は床に落ちた服をクローゼットのハンガーにかけた。本は本棚に、美容グッズは背の低い横長チェストの上に、そして——
 おかしい、ちーちゃんが居ない。
 いつもはチェストの上、今置いた美容グッズと共に並んで置かれていた。それが見当たらない。
 また娘のかばんに入って一緒に学校へ行ってしまったのだろうか。
 嫌な予感がした。何かが起こるかもしれないという予感が。
 
 その日、娘はなかなか家に帰って来なかった。塾の時間が迫っていたので私はイライラしていたが、日が暮れるとさすがにおかしいと思い、どこかで事故にったのではないか、誰かに連れ去られたのではないかと気が気じゃなく家の周辺をウロウロと彷徨さまよった。
 一時間後、いつもよりだいぶ遅い時間に娘が帰宅した。
 娘は身体を震わせながら鞄をギュッと握りしめていた。顔色も青ざめている。
 塾には休むと連絡を入れ、娘をリビングにあるソファーに座らせ落ち着かせる。ホットココアを何度か口に運んだあと、ようやく娘が口を開いた。
「学校の帰りに変な人に声をかけられたの。走って逃げたけど追いつかれて腕をつかまれて……怖くて声も出せなくてどうしたらいいのかわからなかったの。そしたら、私が持ってた鞄が地面に落ちて……ちーちゃんが……」
 ちーちゃんが、何故か娘の鞄に入っていた。学校で見た時は確かに入っていなかったはずだと娘は言う。
 男と揉み合いになった際に、地面に落ちた通学鞄からちーちゃんが出てきたのだ。転がり出たのではない。言葉通り、鞄から「這い出てきた」という。
「その男の人、叫びながら逃げていったの。本当に、ちーちゃんが居なかったら私どうなっていたか……ちーちゃんは私を守ってくれたのね。小学校のときから、いつも私を見守ってくれていたのね」
 開けっ放しになった娘の鞄から、真っ黒な瞳でこちらを見つめるちーちゃんがのぞいていた。いつもと変わらない微笑を浮かべて。

(了)


<編集部コメント>


怖いのになんだかほっこりと心があたたまる、新感覚のホラーでした。
市松人形への恐怖心を抱えながらも、娘のことを慮る母親の視点で物語が進むのが素敵です。短い作品の中で、娘がちーちゃんをどれほど大切に思っているのかがひしひしと伝わってきて、ぐっときました。
「最恐版」には、家族のドラマと、人形の動きが呼応するように、ちーちゃんを巡る母子の感情の動きを描きこんでいただきました。時系列を整理していただいたことで、娘の成長が伝わりやすくなり、作品の魅力がよりくっきりとしたと思います。

<投稿作>


なちこ
愛媛県生まれ。印刷会社勤務。ボディメイクインストラクターの資格を持つ。
ファンタジーやミステリー小説を好み、ホラーは大の苦手。大好きな作家はみやみゆきさん。note歴は2022年秋で一年を迎え、主に日常エッセイを書き、note仲間と色んな企画にも参加しています。
22年にはYouTubeチャンネルも開設。食にどんよくな動画をアップしています。

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