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和來花果「雨の日の怪談」――#2000字のホラー〈最恐版〉

note × WEB別冊文藝春秋 の投稿企画「#2000字のホラー」。
2022年8月23日から9月30日の応募期間中、実に1847作もの投稿を頂きました
いまの時代ならではの「怖さ」の詰まった投稿の数々を、編集部一同背筋を凍らせながら拝読しました。その中でも「これは!」と思った3作に「WEB別冊文藝春秋賞」を贈呈。受賞された作品は編集部とのやりとりを経て改稿され、電子文芸誌『別冊文藝春秋』に収録。その「最恐版」をこちらでもご紹介します!
他2作はコチラ ▶田原にか「拡散」 ▶なちこ「市松人形」

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雨の日の怪談

 蒸し暑い夏の夜だった。会社帰りに牛丼屋で夕食を済ませ、少し歩いただけなのに、もう汗でワイシャツがベタついている。家でシャワーを浴びて、キンキンに冷えたビールでも飲もう、と思った。
 ——あー、昨日、買い置きの最後の一本、飲んじゃったかも
 はっきりと覚えていなかったが、もしなかったら最悪だ。俺は目に付いたコンビニに迷わず飛び込んだ。冷蔵庫からビールを取り出し、ついでに手で裂けるチーズをつまみに選んで会計を済ませる。自動ドアを出ると、俺は目をしばたいた。
 ——雨だ。さっきまで降ってなかったのに
 チラリと入り口の傘立てを見ると、濡れた傘がすでに数本ささっている。透明なビニール傘も二本あった。特徴のないビニール傘だ。とがめられたとしても、間違えました、と言い訳すればいい。
 ——急に降ってきた雨なんだから、持ち主が買い物している間に止むさ
 心の中で身勝手な言い訳をして、ビニール傘の片方を手に取った。本当のことを言えば、雨に降られて、傘を盗るのは初めてじゃない。俺の家には、持ち主のわからないビニール傘があふれている。
 ——傘を持たずに出かけた時に限って、なぜか降ってくるんだから仕方ないよな
 歩き出すと、雨は視界が悪くなるほど降ってきた。街灯の灯りが頼りなくチラチラ瞬いている。救急車のサイレンが遠くから響いてきた。雨の夜の救急車の音はなぜか不吉だ。
 ——ああ、早く帰ろう
 そう思って、自然に早足になった。
「……」
 ふいに呼ばれたような気がして、耳を澄ました。雨が傘を叩く音がうるさくて、周りの音はよく聞こえない。歩く速度をゆるめて声が聞こえたらしい方に目を向けた。
「あ」
 シャッターが下りている何かの店の小さな軒先に、女の人が濡れそぼって立っている。半袖のカットソーにショートパンツ。寒いのだろうか? 足を不自然な形にからませている。夏の夜とはいえ、濡れていては冷えるのだろう。
「あの、入って行きます?」
 声をかけたのは、同情心からだろうか? それとも傘を「借りパク」した罪悪感を薄めたかったから? 自分でもよくわからない。
 うつむいていた女の人が顔をあげた。驚いたように見開いた目の下には、泣き黒子ぼくろがある。横長につぶれたひし形で、もうひとつの目みたいな形をしている。
 ——あれ? どこかで会ったかな?
 特徴的な黒子に見覚えがある気がした。けれどせわしく記憶をまさぐってみても、引っかかるものはない。やっぱり初対面、だよな?
「えーと、別に、無理にとは」と、ぎこちなく言葉を継いだ。まあ、どうせ断られるだろうな、という俺の予想を裏切って、彼女はすっと傘に入ってきた。
「どこかで会いましたっけ……?」
 あまりに迷いのない態度に、やはり知り合いだったのかもしれないと思った。
「いいえ」と、そっけなくそう答えた彼女の声にも、聞き覚えがある気がする。会ったとすれば、どこで会ったのだろう? 黙り込んだ俺の代わりに彼女が口を開いた。
「ですけど、その傘のことは知ってます」
「は? 傘? そりゃ、なんの変哲もないビニール傘ですから」ははっと笑った。冗談だと思ったが、彼女は笑っていなかった。
 彼女は俺をじい、っと見つめながら、ゆっくり、子供に言い聞かせるように一言ずつ区切って言った。
「だって、その傘……、私の、なんですもん」
 ドキッとした。
 そうだ。この傘は俺のものじゃない。他の誰かのものだ。
 だけど、彼女のものでもない……たぶん。なぜなら彼女は、俺より前を歩いていたはずなのだ。後からコンビニを出た俺が、彼女の傘を盗める訳がない。
「まさか……」
「信じられませんか? でも、に私が付けた印があるはずですよ」
 俺は握っている傘の柄を見た。さっきまで、ただの白い柄だったはずなのに、俺の手の下には赤い色が見えた。ぎょっとして手をずらすと、赤い色もずるりとこすれてのびる。さびくさい臭いがつんと鼻をつく。
「ひっ! 血っ⁉ な、なんだよ、これ」
「4ヶ月前、あなたが私の傘を「借りパク」した日も、今日みたいな急な雨でした。コンビニで買い物している間に傘を盗まれた私は、雨の中を走って帰りました。視界が悪かったし、雨を避けるためにうつむいていて、よく見えなかったんです。それで……」
 ——彼女は一体、何を言ってるんだ? 以前、俺が彼女の傘を「借りパク」したって? 仮にそうだったとしても、なぜ彼女がそれを知っているんだ?
「あの、この傘、返します」
 気味が悪くなり、傘を彼女に押しつけた。受け取った彼女の手が赤く濡れている。ハッと見ると、不自然に絡めた足はすねで折れ曲がり、頭から血がしたたっていた。逃げるように歩き出したが、彼女は折れ曲がった足をずるずると引きずって、追いかけてくる。
 大丈夫だ、あの足じゃ追いつけるはずがない。そう思ったが、自然に小走りになる。早く彼女から遠ざかりたい。しばらくして、もう大丈夫だろうと後ろを振り返ると、すぐうしろに彼女がいた。
「うわあああっ!」俺はやみくもに走った。濡れた路面を革靴が叩き、水しぶきがズボンの裾を濡らすが、気にしている場合じゃない。早く、早く……。
 突然、キキーッというブレーキの音が雨の音を切り裂いた。地面を滑るタイヤの音、アスファルトが焦げる臭い……。
 雨でよく見えなかったんだ。信号がすでに赤に変わっていたことに。
 ヘッドライトに照らされて、視界が真っ白に染まる。
 ドンッ!
 全身に強い衝撃と痛みが走る。俺はダンプカーにはね飛ばされ、地面に叩きつけられていた。
「ねえ、痛い?」
 その声で記憶がフラッシュバックした。この痛みは初めてじゃない。
「一緒だね? 私もずーっと、痛いよ……」
 仰向けに倒れた俺の顔の真上から、彼女が覗き込んできた。血がボタボタと俺の顔を濡らす。大きく見開いた眼は白くにごり、泣き黒子が俺をにらむ。
 ——ああ、そうか……たしかにこの顔には見覚えがある
 意識が途切れる直前、彼女がわらった。
「だから絶対、逃がさない」
 
 そしてまた、俺は全てを忘れてコンビニにいた。罪と彼女と同じ痛みを繰り返すために。
 外は急な雨、傘立ての中にはなんの変哲もないただのビニール傘……。

(了)


<編集部コメント>

誰もが思わずドキッとしてしまいそうな身近な罪悪感から、転がり落ちるように訪れる恐怖の演出が素晴らしい作品でした。王道でありながら、アイテム使いがとても効いています。
文章が端正で、湿度のある情景描写も素敵です。改稿にあたって、お話の中での情報の出し方を少し整理していただいたことで、この作品の静謐な魅力がより伝わりやすくなったと思います。
終盤にかけての展開も、意外性があって面白かったです。主人公が味わった恐怖がよりストレートに伝わるよう、ラストに加筆をしていただきました。

<投稿作>


本作は、落語家のりゆうていらくさんとnote運営事務局が選定した「noteクリエイターフェスティバル特別賞」も同時受賞されました。
10月27日に行われたnoteトークライブ「もっと上手に話したい!」SPECIAL版の中では、柳亭小痴楽さんによる朗読が行われました。


かずかの
神奈川県在住。てんびんのAB型。
2018年からエブリスタさん、22年からnoteさんで投稿を開始。童話からホラーまで、色々書いています。

家族にも友達にもナイショで物語をつづっていましたが、このたびの受賞でようやくカミングアウト。些細な物音にもびくつき、背後の気配に敏感な怖がりのため、ホラーを書いていることに驚かれました。

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