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高田大介「星見たちの密書 エディシオン・クリティーク」#003

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3章 もって「せい」と言うが如し

 いわつきさま
 
 ここのところギィと(前にドリュイエ氏って言ってた人です)中西部フランスの小村を歴訪しています。
 思えばこれまでの渡仏ではパリやリヨンやマルセイユ、ニースといった大都市、観光地ばかりをめぐっていました。あれはあれで、刺激的な旅程でしたし、それでフランスの大まかなところは摑んだかなと思っていましたが、これは不覚でしたね。辻々にめいしようのあるパリのような都市部であってさえ、ちょっと裏路地にはいっていくとフランスのまた一つの実像というか歴史の重層性を感じることがありますが、田舎に足を伸ばせばそれとはまた次元の違った「別のフランス」みたいなものがかい見られて楽しいです。
 首都圏に長らく暮らしている僕たちにはおよそ地図の全面に市街地がひろがっているような風景が当たり前だけど、フランス中西部では人口数百人というほどの小さな町が広大な田園やしようたくに散在していて、星をちりばめたようにそれぞれへだたっています。そして星座を形作るように細い道路が町々を結んでいます。
 いま、そうした星々を一つひとつ確かめながら星図を描いていくように、小さな町をバイクで経めぐっているんです、後ろに乗っているだけですが。おかげでお尻にが出来そうですよ。
 真理もお仕着せの観光地を連れ回されるより、自分のイニシアティヴで裏通りにぐいぐい入っていくほうが好きでしょう。きっと楽しめると思います。
 ガイドを務めるには僕はまだ右も左も判らない有り様ですけど、ギィのおかげで随分図太くなりました。カーナビなんかなくったって、その辺のおっさんを捕まえて道を訊いちゃえばいいんですよね。
 真理と合流する前にもうすこし世慣れておこうと思ってます。

しゆ 拝

 昨晩の夜半にトゥレーヌ地方をでていった軽めの嵐のせいで、まだ湿った様子の農道には濡れ落ち葉が散り敷かれ、セリアの運転するディーゼルよんのステーションワゴンはたびたび落ちた小枝を踏み折っていた。
 濃いめのきりが行く手をさえぎり、視界は50mぐらい先までしか利かない。そんな霧の農道を結構なスピードで車は切り裂いていく。くねくねとうねるような農道だが巡航速度はともすれば80㎞/hにもおよび、修理としては少し恐怖を感じていた。セリアの助手席に着いたレティシアも免許を持っており、彼女はまだ三年の初心者免許期間が終わっておらず交通法規がすり込まれていたので、姉に向かって現状の条件では50㎞/hの制限速度になると進言していた。
「大丈夫よ。向こうもライトけてるわけだし?」
 セリアが言っているのは、対向車も点灯しているから危なくないということだが、修理がおびえ、レティシアがいきどおっているのは、農道そのものの先が見えていないことの方だ。霧の中から突然生えてくるように押し寄せる牧場の柵をかわし、巨大な蛇が暴れた跡みたいに出し抜けに迫ってくる急カーブではわくらに車輪をとられ、慌ただしくシフトチェンジして雑木林を抜けていくセリアの「スバル」は、まるでラリーのタイムアタックをしているかのようだった。
 ラリーの映像を見るたびにあれは狂気のだと思っていた修理だが、身近なところにそうした狂気の一端があった。スピード狂とまでは言わないが、これは安全運転の範囲を越えてしまうといういきの下限を、セリアは常人よりもかなり高いところに設定しているようだ。
 後部座席の修理の隣で窓の外に腕を垂らしていたギィが悲鳴を上げて手を引っ込めた。前輪が踏み折った小枝が跳ねてぶつかったのだ。
「手なんか出してるから」レティシアが苦言を呈している。
「せっかくの霧なんだから手を濡らしたかったんだ」
 ギィが口ごもっているが、これはバイク乗りならではの感覚だ。修理もちょっと染まりかけている。雨が降れば水滴に濡れ、風が吹けば砂粒に吹きさらされるのがバイクの運転である。風雨に拘わらず室内環境を保てる乗用車の安寧を物足りなく思っているのだ。世界の変化に裸で立ち向かっていくといえば格好をつけ過ぎかも知れないが、登山家とかバイク乗りとかの求めているまんにはいささかマゾヒスティックな部分がある。
 それにしてもギィの運転は基本的に安定した穏当なものだった。あまり攻めていくタイプの運転ではない。ギィからしてもセリアのドライビング・スタイルは着いていけない感じだったのだろう。おりしも舞台袖から突然登場したみたいにぼうに牛の群れが現れて、一瞬で後ろへと飛び去っていった。ギィがまた悲鳴を上げている。
「鹿でも飛び出したらいちゃうんじゃないの」
「飛び出さないようにしつけておいてもらわなきゃ」
「誰が鹿を躾けるんだよ。曲がり角の向こうにでも万一いたら一発だよ」
「万一いないで欲しいわね」
 取りつく島もない。セリアによればギィの方が危険だというご意見だ。
「ギィの方がどうかしている。だってバイクの方が危ないじゃない。シートベルトもしてないでしょ。狂気の沙汰」
 それはそうかも、と修理は考える。シートベルト義務づけの理路が正しいなら、バイクは禁止が相当かも知れない。そうまで言われて、ギィはお冠だ。
「僕はブラインド・コーナーの向こうに牛が出てきていないことに賭けてアクセルを回したりはしないけどな」
「ひとたび事故があったらバイクだと死んじゃうじゃない。車なら死にはしない」
 やはり安全意識というものが違う。運転というものは「死なないから平気」という感覚でしてもらっていいものではない。

 ウィークデイにはトラックが引っ切りなしに往来している都市間連絡街道のD910も車通りが少なかった。やはり路上は霧の中に包まれている。レティシアは「速いよ」と注意するが、セリアは取り合わない。D910を制限速度20㎞/hオーバーで矢のように走っていく。この道はどこまでも真っ直ぐだ。
 薄くなりつつある霧の向こうにいまだおぼろだが街道の左手から差す朝日は少しずつ勢力圏を拡げている。小高い森があり、教会のせんとうが一番高いところに覗いているのが、霧の中でもシルエットとなって辛うじて浮かび上がっている。それから平原を見下ろすようにしようしやな建物がそびえているのだが、こちらは今朝ははっきりと見定められなかった。
「あの丘がサント・カトリーヌ・ド・フィエルボワだったよね」
 修理も覚えていたのは、この町にうでつうしんのサイトがあったからだ。先日は同じルートをトゥールから南に辿たどっていたのだ。小さな町だったが、教会前広場にジャンヌ・ダルク像があり、洒落しやれた植え込みの中に休らっていた。これまた小さな市庁舎の裏には小学校があるらしく、その時は子供たちが校庭で上げている歓声が遠く伝わってきた。それから教会裏では一次大戦の戦没者記念碑の鶏——つまりフランス共和国の象徴であるコック・ゴロワの足下に猫が寝ていた。ギィの言うところの自治体が存続する要件をみたしている「役所の前に花があり、子供と猫がいる町」ということだ。
「今日はよく見えないな」ギィが窓ガラスの結露を手首で拭いながら答えた。
「トゥールではロワール門だったね、次が例のシャンブレの『テレグラフ』……」
「その次がモンバゾンのじようさいだな。モンバゾンは谷間の町だからテレグラフを建てるとしたらあそこしかあり得ない」
「その次はソリニーか。あそこだけ跡地の見当がつかなかったけど……」
「あの辺りは真っ平らな平原だから、どこでも大差はなかっただろうな。今日では途中の森が育ってしまっているから見通しがかないんじゃないかな」
「ソリニーの町は遠くからだと高いポプラの木が目印になっていたよね。あれもずっと後に育ったものなのかな」
「この地方の森は原生林はわりと限られていて、今目立つのは針葉樹の植樹林なんだよな。ポプラも後代のものだろう。戦後に植えられても樹齢七十年ぐらいはあるわけだし」
 道は大きくカーブしてからなだらかな谷間を下っていく。セリアは谷底でシフトダウンすると、登り坂でもいっさいスピードを緩めずまいしんしていく。
「サント・カトリーヌは割と高台だった。テレグラフが両側の高台で谷越えをしてるってことだね」
 坂を登りきると南進するD910の右岸に大きな街路樹が並んで遠くまで道の輪郭を描き、行く手の方向を指し示していた。
「サント・モール・ド・トゥレーヌはやっぱり谷間の町だ。だからテレグラフの立地はもうすぐ……サント・モールに降りていく手前の……あの辺りだったはずだよな」
 ギィが左の車窓に指さすのはD910がようやくサント・モール・ド・トゥレーヌに近づき、市街地に差しかかった旨の標識が出ていたあたりだった。さすがのセリアも車のスピードを緩めていた。
「跡地の気配はないね……」
「この辺りからサント・モールの頭を越えて、次はマイエ、それからポール、マリニー・マルマンド……テレグラフのパリ・バイヨンヌ・ラインはポワティエに向かってやや南南西にほぼ真っ直ぐ降りていく感じだな」
「ポワティエっていうのも大きな町なんだよね」
「トゥール相当だな。歴史もオルレアンやトゥールと同等に古い町だ。ヨーロッパでもかなり古い方の大学の一つがあるし」
「ポワティエ大学?」
「そういうこと。15世紀の創設かな」
「トゥール大学はもっと古いんだよね?」
「トゥール大やオルレアン大は中世に作られた最初期の大学だからな。あの辺は13~14世紀。当時の大学ではさ、一番出来る学生はみんな神学部に行ったんだ」
「エリートは聖職者になる時代ってこと?」

 そうこうするうちにセリアはサント・モールの中心街、谷間の繁華街を見下ろす教会と市役所のかいわいに進んでいく。街路が古く狭い上に、日曜の朝から人手がある。さしものセリアも徐行を強いられている。そもそもその辺りは歩行者優先の徐行ゾーンとあってクラクションを鳴らしたりはしないが、突然死角から出てきて車の前すぐを横切ったあげく、道を渡りきる手前で何を思い出したのかきびすを返してまた戻っていった老人に向かって、車中のセリアは道を譲りながらも「!」と毒づいていた。こんな人がなんでモテるんだろうか。
「お年寄りには親切にしなきゃ」
「元気じゃない」
 たしかに横断歩道もないところで道を渡ろうとして戻っていった老人は、歩道に面した階段を手すりに頼らず上っていってアパルトマンの玄関と思しき大扉を押し開けていた。
「忘れ物でも思い出したんでしょ」たしなめ口のレティシアにセリアはおっとりと応える。
「道を横断中に思い出すぐらいならずっと忘れてればいいのに」
 走り出した車窓から振り返ると件の老人はすぐにまた同じ扉から出てきていた。動きがいささかゆっくりではあるがかくしやくとはしている。
「この辺の古いアパルトマンはあんまりバリアフリーではないよね」と修理。
 田園では戸建ての家屋が多いが中心街では壁を両隣と共有する長屋式の集合住宅がほとんどだ。そしてその地上階の入り口はたいてい街路から持ち上がった高さに開いていて、割に各段の蹴上げが高い階段を昇降せねばならない。
「日本だとどこでもバリアフリーになっているもんかい?」
「店や公共機関は割にバリアフリーになってきたかな。そういえばヨーロッパは空港なんかだと徹底しているね」
「そう? シャルル・ド・ゴール空港なんてあんまり親切じゃなくない?」レティシアが指で無限大の記号を書くような仕草をしながら言った。空港の巨大なターミナル・ビルのことらしい。
「バリアフリーかどうかはともかく、ロワシーは広すぎるよな」
「ナリタも大概だけどね。そういえばトランジットのヘルシンキの空港はコンパクトで良かった」
「そうか?」
「トランジットに使われることが多いせいか動線が洗練されてるっていうのかな。じっさい車椅子でもあんまり不便はなさそうだったしね」

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