ピアニスト・藤田真央エッセイ #31〈久しぶりの帰国――ラハフとの連弾〉
コンツェルトハウス管との共演後、久方ぶりに(といっても3ヶ月しか経っていないのだが)日本へ帰った。今はまだ“日本へ帰る”という感覚だが、いつか“ドイツへ帰る”と表現するようになるのだろうか。今回は若き天才指揮者、ラハフ・シャニがタクトを振るう舞台で《ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番》を弾く。オーケストラはロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団だ。ラハフと共演するのは今回が初めてだ。初めて彼と話したのは、2021年のスイスのヴェルビエ音楽祭で、私がモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行った時だと記憶している。この音楽祭は、毎晩パーティーが開催され、世界中のアーティストはもちろん、オーケストラのCEOや、各地の主催者、レコード会社のプロデューサーなどが勢揃いする。
その頃まだ愛煙家であった私は人混みに疲れ、山々に囲まれた美しい風景と心地いい空気とともに一服を試みようと外に出たら、そこにラハフがいた。ラハフは雄大な自然を背に、デカデカした葉巻を嗜んでいた。私が意を決して声をかけると、彼は優しく応対してくれ、長時間、多岐にわたる話題を共有した。その中で彼は、私自身の欠点についても言及してくれた。「君はなぜ誰もが出来ることではないモーツァルトのソナタ全曲を暗譜で弾ける脳があるのに、言語が苦手なんだい?」
母国語ほど細かい表現やニュアンスを語れないにしても、ある程度深いトピックに対応できる語学能力は少なからず必要だと彼は語った。もちろん音楽は言語を超越し、その場にいるもの全てに何かを伝える力があるのだが、一方現実的な話として、オーケストラ団員であれば指揮者の言っていることが理解できなければならないし、ソリストであれば入念な打ち合わせが毎度必要とされる。そして、モーツァルトの音楽を演奏するのであれば、最低でもドイツ語は会得せねばならないはずだ――ラハフは22歳の若造に言語の大切さを説いてくれた。
その後もさまざまな音楽祭で出会い、その都度たくさんの話をしたが、未だ一緒のステージに立つ機会には恵まれていなかった。ついに今回念願の初共演である。
リハーサルではラハフは非常に明確な指揮でバランスを常に気遣い、私の音に対する繊細さを大事に受け止めてくれた。徐々にオーケストラとの音の交わりも強固なものとなり、気付けば一体感が生まれていた。やはり指揮者が変われば音楽も劇的に変わるもので、シャイーらと4月から計8回、このラフマニノフの大曲を弾いてきたが、ラハフとともに作り出す音楽からは互いに共有しているものの豊かさが感じられ、それらが私たちを深く結びつけてくれた。
もちろんラハフがピアニストでもあるということも影響しているだろう(さらに彼はコントラバス奏者でもある)。彼はバレンボイムやメータらに指揮を学び、そしてソリストとして彼らと様々なピアノ協奏曲を弾いている。ラフマニノフも例外ではなく、ラハフはバレンボイムと共演した時のエピソードをいくつか話してくれた。
バレンボイムとは私も、一度ディナーを共にしたことがある。彼は私におもむろに、「チャイコフスキーのピアノ協奏曲は1番と2番どちらが難しいか」と訊いてきた。普通に考えたら2番に決まっている。2番は特に技巧を要する上に、優美な歌い心溢れるメロディーを愛らしく響かせながら、室内楽要素もある難曲だ。だが、偉大なバレンボイムがこんな単純な答えを求めているだろうか。私は誰がどう考えても2番と答えるこの問いを罠だと勘繰った。2番と答えるのは音楽を深く考えていない、浅はかな証拠だと言われる……そう思った私は、彼に「1番の方が難しい」と答えた。すると彼はなぜかと問う。私は「1番は誰もが曲全体を知っていて、どの表現もやり尽くされているがゆえに、新たなものを求められる。これほど難しい作品はないだろう」と言った。
すると彼は「バカもの! 2番が圧倒的に難しいに決まっているだろう。あの曲を知らないのか。多大なテクニックを要することを!」と叫んだのだ。私は50%の賭けに負け、同時にバレンボイムがいかに純粋でストレートな人間なのかということも思い知らされたのだ。
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