ピアニスト・藤田真央エッセイ #32〈帰国コンサート――先生の形見の燕尾服〉
次の公演は東京芸術劇場だ。初めてこのホールで演奏したのは高校生のときのことだ。私が在籍していた東京音楽大学附属高等学校は年に一度、チャリティーコンサートをこの東京芸術劇場で行っている。オーケストラはもちろん、吹奏楽や室内楽、そして合唱などの演目があった。私はソロで《リスト:ハンガリー狂詩曲第2番》を弾いたり、《ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲》をオーケストラと一緒に演奏したりした。合唱の授業も取っていたため、数少ないテノールのパートの一員として歌ったりもしたのだ。高校一年生の時にオーケストラと一緒に《モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス》を歌ったのが楽しく、この楽曲の編曲版を弾きたいと思ったきっかけにもなった。もっとも、私はひどく音痴で、合唱の先生は「4声の合唱曲なのに5声に聞こえる」と私のことを見ながら言うほど。あれは申し訳なかった。私は絶対音感を持っているので、自分自身が間違った音を発していることには気づいているのだ。だが私の喉は私の指令を聞いてはくれず、音のずれの修正が不可能なのだ。1年生のときには音痴ぶりを先輩方からいじられもしたが、3年生になるとさすがに後輩からいじられることもなく、皆私に気を遣ってくれる。ああこれが年功序列なのかと少しばかり社会の縮図を経験した。
そんな学生時代から知っているこのホールでのコンサートは、いつも非常に感慨深く思う。ソリストの楽屋だけではなく、指揮者部屋や、大部屋も使用したことがあるため、ホール事情にも詳しいのだ。ステージに行くとすでにオーケストラの団員が試奏していた。その横で音を出し、このピアノではどのような表現ができるかを確かめた。このようなオーケストラのコンサートが定期的に開催される大きなホールにあるピアノは、オーケストラの音に負けないよう鍵盤が軽く、苦労せずに音が飛ぶようなピアノが多い気がする。このピアノもその一つで、大きな音が出る反面、繊細な音を出すのにはいささか苦労した。だがそのような格闘を経て、美しい繊細な音や微妙な音色の変化を引き出せると、気分が高揚する。これこそピアノ弾きの真髄だと感じられる瞬間だ。
今回も僅かな時間でのサウンドチェックとなった。サウンドチェックの名の通り、オーケストラとピアノのバランスを確かめるのはすこしだけで、基本的にオーケストラのみで演奏されるパートを重点的に行う。団員は本番時に初めて私のピアノの音を聴くこととなるので、突拍子もないことをしでかしたら皆の精神状態がもたないぞ、と心に留めて本番を迎える。強音、重音が非常に多い《第3番》を弾いていると、自分があたかも剛腕剛力なピアニストと勘違いしそうなくらい、このピアノは楽に音が飛ぶ。それでも美しい第二主題や、デリケートなピアニシモのパッセージにおいて効果的に音色を変えることで、一本調子ではない、あたかもミケランジェロやラファエロのようなパースの技法を駆使した演奏に仕上げた。もっともキリコのような、過多で不自然な遠近表現にならないように気をつけるべきではある。
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!