高田大介〈異邦人の虫眼鏡〉 Vol.4「フランスの車窓から」
「図書館の魔女」シリーズで一大ファンタジーブームを
巻き起こした高田大介さん。
在仏15年、現在はパリから250キロ離れたトゥール郊外にお住まいです。
雄大な川や森に囲まれ、生きとし生けるものの営みに耳をすませる
篤学の士の採れたての日常をどうぞご堪能ください。
徒歩か自転車か自動車か À pied, en vélo ou en voiture
人の歩行速度はだいたい4㎞/hほどだという。自転車では15~16㎞/hぐらいだそうだ。もちろん自転車に出しうる瞬間速度はもっと速いだろうが、日常生活における移動においてドア・トゥ・ドアで目的地着までの平均時速をとれば15㎞/hというあたりになるほど落ち着くだろう。
それでは自動車ではドア・トゥ・ドアでの平均時速はどれくらいになるだろうか。もちろん条件によって異なるだろうが、通勤・通学といった用途で考えてみると、せいぜい25㎞/h、首都圏や京阪神の市街地で考えると自転車ととんとんといったところではないか。
具体的に私が千葉県千葉市の実家から16㎞ほど離れた市川市の高校へ行くとする。40年前の中高あわせ2000人の男子が犇めいた、むさ苦しさの坩堝のような学園を考えよう。当時は東菅野というところに校舎があった。
私は自転車で最寄り駅まで15分、私鉄で40分、京成八幡駅から15分と、通学に一時間前後を想定していた。その上で「車で行ってもそう時間は変わらない」という認識があったし、自転車で行程を踏破しても時間はそれほどは変わらないとも知っていた。一度やってみたのだ。確か一時間半ぐらいで済んだはずだ。ただし汗だくのよろよろになってしまい、ワイシャツのカラーで首が擦り切れ、尻が二つに割れてしまって椅子に座ることがもう出来なかった。以来、尻はずっと割れたままだ。
現況の所要時間をナヴィゲーションソフトに聞いてみると、一般道縛りを課せば、車で1時間12分(経路17.8㎞)、自転車で1時間14分(経路18.5㎞)かかるとのことで、自動車の平均時速が14.8㎞/h、自転車のそれが15㎞/hと出た。経験者の体感としては「自転車の人頑張り過ぎじゃない? お尻ほんとに大丈夫?」という感じだが、都市圏生活者の実感として「車は自転車を振り切れない」という経験則もまた周知されたものだろう。
郊外の道路網 réseau routier suburbain
ことほど左様に、都市生活者には自動車は無用の長物、少なくとも時間の節約には繫がらぬものという予断がある。フランスに来てから専ら中心街に住まっていた私も御多分に漏れなかったが、このほど田舎に引っ越すにあたり流石に免許をとって15年落ちの中古車を買った。
そして驚いたのがフランス中西部の自動車事情である。郊外では自動車なしには話が進まないのは織り込み済みだったが、なにしろこの辺りでは「車は早い」のだ。例えば20㎞ほど離れたトゥールの大学まで出るのに所要時間が一般道で25分ほど、平均時速が50㎞/hに及ぶ。初心者マークの法定速度遵守の走りでこの速さである。
桁違いの都市圏人口一千万(パリ市だけで二百万)を擁するパリ圏を例外として、フランスの地方都市はそれほどの人口密集を見ない。五十万都市に名乗りを挙げるのはリヨン(都市圏169万、うちリヨン市52万)とマルセイユ(都市圏161万、うちマルセイユ市87万)など、あと百万都市圏が六、七を数えるぐらいで、せいぜい人口数十万人規模の都市圏が全土に散在している。そしてそれぞれの都市地域圏の住人が中央市とは別に、さらに郊外に散居している。
いきおい道路網が効率的になるし、生活設計そのものが車ベースになるわけだ。トゥール周辺はフランス18番目の都市圏人口(36万、うちトゥール市14万)を抱える、いわば普通の地方都市である。ここをモデルケースにフランスの道路網インフラと日本のそれの大きな違いを瞥見してみよう。
都市の小ささと「街の外」 des petites villes et hors d’agglomération
日本ではずっと関東近県で暮らしてきた私には「街と街の外」という区別が思案の外であった。例えば葛飾区と江戸川区には、あるいは船橋市と市川市には、境こそあれ両者の間に「外」はない。日本全国の都市圏はどこもそうしたものだろう、街と街は密にくっついており、都市は一様に敷き詰められているものだ。
あるいは神戸から大阪湾を時計回りに堺まで、街々は境を接してべったりと続いていく。さらに和歌山へ向かうとようやく山越えで「街の外」みたいな感覚が一度は出てくるだろうか。
また例えば横浜から東京湾を時計回りに木更津まで、連綿と街々は繰り広がり、人が住まい、あるいは立ち働く大小の建築物、工場や倉庫やコンビナートが軒を接するように連なっていく。街の外など、丹沢なり奥多摩なり秩父なり南房総でも目指さなければ「出ていけない」のだ。
日本の都市では街と街の境はしばしば地図上の線に過ぎず、川や太めの幹線道路でもない限り、ここまでが何区、何市と截然と区別するものはなにもない。
ところがフランスで車を走らせていると、どこかできっと「街を出る」のである。街を出てしばらくすると再び「街に入る」。街はたいていコンパクトにまとまっており、田園のなかにぽつりぽつりと珠をばら撒いたように散らばっている。そして自動車道が「珠の緒」となって街々を点々と結んでゆき、それらの珠を拾い集めるようにさらに次の街へと田園のただなかをひた走っていく。
運転者は今走っているところが「街の外なのか街中なのか」は必ず意識している―制限速度が歴然と違うのだ。街の外では特記なくば80㎞/h、片側二車線あれば90㎞/hが普通で、中西部郊外では相対速度160㎞/hでトラックがすれ違っていく。ひとたび「ここからどこそこの街」と宣言があれば、特記なくば50㎞/hの制限となる(とくに繁華なところ、役場や教会が立ち並ぶ界隈や学校周辺では30㎞/h制限なので、標識を見逃してはいけない)。
かくして街の中と外とについて、道交法上にも運転者の意識上にも、たいへんめりはりのきいた区別がなされることになる。逆に言えば街の外では大手を振って80㎞/hですっ飛ばすのである。下記の写真は何も写っていなくて詰まらないものではあるが、街から出ると如何に何もないか、という資料であるからご寛恕ねがいたい。
(動画:ヴェニェという街を出てトゥールの中心に向かっている。ナヴィゲーションソフトが霧に注意と再三警告しているが道理である)
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