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第17回 今井真実|とろりと甘い梅酒は、産地それぞれの楽しみ

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 先日、和歌山県田辺市に行ってきた。目的は紀伊田辺駅近くで行われる「梅酒フェス」。
なんとこのイベント、前売り券を1500円で購入すると、和歌山県産梅酒100種類を制限なく飲み比べできるらしい。梅酒が100種類……どんなバリエーションがあるのか想像ができない。
 まさにいま私は、仕事で梅酒のレシピを作ろうとしている。ここ最近はめっきり自家製ばかりだったから、いろんなヒントが欲しいのだ。梅の加工のプロが漬けたさまざまな種類の梅酒にも興味津々で訪問した。

 田辺市といえば「世界文化遺産」の熊野古道が有名だが、「みなべ・田辺の梅システム」という農法が「世界農業遺産」として認定されている。元々田辺地区の土は養分に乏しく農産物が作れなかったらしい。しかし礫質斜面を活用して、梅の栽培を始めたところ大成功。これは世界でも珍しい例なのだそう。
 そんな田辺市、東京からはそう遠く感じなかった。まず、羽田空港から和歌山県の南紀白浜空港まで1時間とちょっとで到着。空港から紀州田辺駅まで車で20分程度。空港からの道のりは、美しく光る青い海が見えてリゾート気分が高まり、気候も穏やかで暖かい。紀伊田辺駅前は大きなロータリーがあるのに、いわゆる駅前のショッピングモールや大きなビルもなく、チェーン店も見当たらない。独特の街並みに気持ちが高まった。
 少し歩くとなんとも雰囲気のあるカフェバーが。オーガニックのメニューが目立つおにぎりやさん、そして商店街にはレトロな喫茶店がずらり。個性的なお店が並んでいる。驚いたのが、書店がいくつかあったこと。最近ではひとつの駅に書店がないことなんてふつうのことだが、ここでは、昔ながらの街の大きな本屋さんを数店発見した。それどころか、独立系の本屋まである。街の佇まいからも、そこはかとなく文化の香りがした。
 梅酒フェスは駅前の会場で夕方からスタートした。地元の梅の食品メーカー、梅の生産者、市の職員たちが設営した会場では、ひと足先に関係者の試飲が始まっていた。準備は万全なようで、続々とお客が集まってくる。
 梅酒だけで100種類の瓶が並ぶ姿は壮観だ。スタンダードの梅酒。にごり梅酒。フレーバーの違い、梅を漬けたベースのお酒の違い、などカテゴリーに分かれて陳列されており、自由にテイスティングができるようになっている。

 なぜこれだけたくさんの梅酒を作ることができるのか。ここ田辺市が梅の生産地だからこそ、完熟梅を収穫してすぐにお酒に漬け込むことができるのだ。完熟梅は柔らかく潰れやすいので輸送が難しいとされている。しかし熟し切った梅を使って作られた梅酒は、香り高くフルーティで濃厚な風味があり、まるで丸ごと果実を味わっているかのようである。米所で日本酒作りが盛んなように、田辺でも梅酒作りが行われてきた。
 さて、一番最初にテイスティングをしたのは、「樽」という梅酒だ。出来上がった梅酒をオーク樽に移して寝かせ熟成させた古酒で、一口飲んだ途端、ぶわあと樽香が広がる。これは、絶対に家で作ることのできない味だ。言われないと梅酒とはわからないほど大人の洋酒の様相。樽の香りが香ばしく、梅酒の甘味もまろやかに感じる。
 実はこの「樽」は、以前飲んだことがあり、忘れられない味だった。梅酒フェスで再会し、いの一番に試飲したのである。なんとも言えず美味であった。
 梅酒なんて、だいたいどれも同じ味だと思っていたら大間違いで、イメージが気持ちよく覆される一日だった。
 ハーブやスパイスによって風味が変わったり、漬け込むベースの酒が変わるだけで全く予想もしなかった味になる。これが全て梅酒だとは、言われないとわからないほどだ。そういう意味では、梅酒は世界中のいろんな料理に合うかもしれないと感じた。辛みが強い韓国料理にも良いだろうし、フレッシュのハーブやナッツをたくさん使うようなアジア料理にも合うだろう。田辺市のもう一つの特産物である柑橘類とミックスした梅酒は、さらにフルーティさが際立っていた。これを西洋料理に合わせて、食前酒や食後酒に使うのも良い。少しポートワインに似た要素もある。食中酒としてならむしろ和食より、味の強いものやインパクトがある料理に合わせるのが美味しそうだ。

 梅酒は英語では「プラムワイン」といって、ドリンクとしてだけではなく、料理でも煮詰めてソースなどにも使われている。梅酒の可能性は、もっと広がっていくはずだ。
 梅酒の他にも、梅シロップ、梅干しなどが並べられており、おつまみとして自由に楽しむことができた。
 意外とやったことのなかった組み合わせだが、梅干しをつまみに梅酒を飲んでみた。これが、たまらなく良い! しょっぱい梅干しを、甘い梅酒で中和させる。そして梅酒で口の中が甘ったるくなってきたら、またしょっぱい梅干しを食べる。
 この繰り返しで、いくらでも梅干しを食べて、梅酒を飲んでしまうのだ。なぜ、いままでしたことがなかったのだろう、と後悔するほど。またこうして、ひょんなことから新たな梅の魅力に気づくのである。

 小さなプラカップで、どんどんいろんな梅酒をいただく。一度飲んでみたかった梅酒も続々と発見して、ちょっと飲んでは、梅干しを食べて、また飲んで、の繰り返し。初対面の人とも、どれが美味しかったですか? なんて交流もあっておもしろい。

 田辺市では「梅酒で乾杯条例」というものがあるらしく、梅酒フェスがはじまってから1時間毎に乾杯が行われた。最後の乾杯の時間は、なんと私が仰せつかった。急に指名されてしまったのである。突然のことで驚いたが、場の空気を白けさせてはならぬと、とりあえず壇上に上がる。会場を見渡すと、集まっている方々はみんなニコニコと笑顔。つまり、大多数の人たちは酔っているのかもしれない。みんな、私のことなんて覚えてないよね……そう思うと、急に緊張が解けた。乾杯の音頭を取りほっとすると、ステージから下りる階段でつまずいて転びそうになってしまった。無理もない。100種類もの梅酒を制覇しようとしたらもうふらふらである。梅酒は甘いが、度数は強く、全てストレートで飲んでいるのだから。
 しかし、ふしぎなことに、この日の夜の私はそれ以上酔っ払うことはなく、ただ心地よさが続いただけであった。きっと体に梅酒が合っていて、梅干しも酔い止めに効いたのでは……? と勝手に思っている。なんせ80種類以上も飲んだのに、いっさい二日酔いにはならなかったのだから。
 ホテルに戻って、梅酒を飲んで感じたことをメモしていった。青梅の酸の利いたフレッシュな味、完熟梅を使った濃厚な飲み心地。手作りは手作りの良さがあり、プロの味はまたちがう。梅酒は甘味も強いが、品の良さがある。温度の違いで味わいも変わるだろう。
 日本酒が「ライスワイン」と呼ばれていたのが、認知が拡大されて「サケ」と言われるようになったように、梅酒がもっと広まるきっかけがあるかもしれない。
「おもしろい!」
 その夜、私はふわふわとした気持ちのまま、ベッドに寝そべり梅酒の未来を夢見たのだった。

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