門井慶喜「天下の値段 享保のデリバティブ」#008
第5章(承前)
御庭番は、将軍直属の密偵または調査員である。全国へ飛んで大名の動静や民情などの探索にあたるが、そもそも幕府機構にこの職を創設したのが吉宗自身ということもあり、吉宗は、かねて彼らと直接口をきくことを好んでいた。
男はそのひとり、遠藤某という者である。もっとも、密偵といっても、
「大坂より、先ほど帰りました」
と切り出した、その声は特別ではない。しゃちほこ張ったような、遠慮したような、小役人そのものの話しかたである。幕臣としての実体は微禄の旗本なのだから当然だろう。
着ているものも、よくある肩衣、よくある袴。吉宗は、
「米の件だな?」
「はい」
「申せ」
「このたび江戸より派遣した中川清三郎、川口茂右衛門、久保田孫兵衛の3名、つつがなく大坂へ入り、御用会所を開きました」
「会所は、順調か」
「はい。まずは大坂の商人どもも逆らう様子がなく」
「江戸の米価は上がりそうか?」
と、この時点では、それが吉宗の興味の中心である。遠藤は首を振り、
「存じかねます」
「わからぬはずがあるか。中川ら3名は大坂へ出る前に、すでにして江戸での買い米を始めているのだ。浅草御蔵へも懈怠なく納めている。ということは市中の米は少なくなり、値段が上がっていてもおかしくないのだ。それがいっこう上がっておらん。なぜだ」
「存じかねます」
「ならば、大坂のほうの米価はどうだ。中川らはそれを引き上げることができそうか。1石あたり60匁の目途は」
「存じかねます」
と、遠藤はなかば悲鳴のように言い、頭を下げた。これは吉宗のほうが無理である。遠藤の仕事は事実の報告であって分析ではないのだから。吉宗は、ほかに二、三、質問したあと、
「越前に聞く」
「えっ」
「これから、あいつの家へ行く。使いを出しておけ。小姓に言って乗物(引き戸つきの駕籠)を出させろ」
「あ、あ、あいつとは……」
「大岡越前守忠相だ。決まっておろう」
「は、はい」
遠藤が、急いで御殿のほうへ走って行った。吉宗はその背中を追いかけるようにして飛び石をつたい、沓脱ぎ石で草履を脱ぎ捨てて、外出の支度を命じたのである。
というわけで。
三十分後にはもう、吉宗は本丸御殿を出発している。
目的地は、大岡越前守の自邸である。大岡の自邸は桜田門外、現在の霞が関にあり、距離は1・5キロほどにすぎない上、その行程のほとんどが城内である。吹上の庭をまっすぐ南下して桜田門から城外へ出れば、そこからは目と鼻の先なのである。
むろん、門番へもあらかじめ通達を出している。吉宗を乗せた乗物は、夕闇のなか、2人ばかりの小姓を率いて滑るように走った。
†
いっぽう、大岡越前守忠相。
吉宗の使いを迎えて話を聞くや、
「上様が、お見えに」
われながら、冷静である。
(そういうお方だ)
と、かねて知っているからだろう。ちょうど夕餉の頃合いだったので、用人の市川義平太が来て、
「上様にも、わが家の膳をお出しするので?」
こちらは、さすがに青い顔をしている。大岡は袴に足を通しながら、
「茶に干菓子でいい。上様はそういう面倒はお好きではない」
「はあ」
「ひょっとしたら、茶もいらぬかもしれんくらいだ。ほら、六年前のあれ」
「ああ、あれ」
「あのときも茶を出さなんだ。いや、出せなんだ」
六年前の深夜、事件は起きた。浅草観音(浅草寺)で某という町人が自殺したのである。
寺の門によじのぼり、輪っかのついた縄を梁に結んで、首を通して飛び下りた。ところがそいつは目方がありすぎたものか、はずみに首がちぎれて、頭はトンと弾んで門のなかへ転がったが、胴は門の外へ出た。
翌朝になり、死体が発見されたとき、もめごとが起きた。通報を受けて駆けつけた寺社奉行と町奉行の同心が、
「そっちがやれ」
「いやいや、そっちの係りだろう」
などと仕事を押しつけ合ったのである。なるほど幕府制度の原則では、門のなかは寺社奉行の管轄、門の外は町奉行の管轄。こんな事件は前例がないだけに、現場で話がまとまることはなかった。
結局、町奉行の大岡と、当時の寺社奉行・牧野因幡守英成とが直接、話し合うことになった。他の用事との兼合いで牧野のほうが大岡の屋敷へ来て、座敷で論じ合いながら、大岡はふと鼻が動いて、
(この、匂い)
背中に、どっと冷や汗が出た。
それは吉宗のつねに身にまとう匂いだった。吉宗自身の好みなのか、それとも側室か養女あたりの好みなのか、その甘さと苦さの混じったような香りはたぶん、沈香の一種なのだろう。
ただしこの場合は、そこに何というか、山椒の粉のピリッとしたものがまぶしてある感じである。まちがえるはずがない。大岡は聞香の道には詳しくないけれども、城中で吉宗に拝謁するときは、緊張のあまり五体の感覚が鋭敏の極に達する。嗅覚も例外ではないのである。
「……上様?」
と、大岡は横を向き、呼びかけた。
呼びかけた先は、部屋のすみに立ててある隙間風よけの屛風である。屛風はどこかの禅寺の和尚にもらったもので、乳白色の地に墨で滝のぼりの竜が描いてある。
そのうしろで、さら、さらさらと衣ずれの音がしたかと思うと、滝の上に、絵ではない浅黒い顔がぬっとあらわれたのである。
「上様!」
と、牧野も腰を浮かした。かりにも一国を統べる征夷大将軍が、これまでの2人の話を、あたかも忍びの者のごとく屛風のかげで背を丸め、息をひそめて聞いていたのだ。大岡はさすがに声を荒らげて、
「盗み聞きとは、何事ですか!」
吉宗は、ばつが悪かったのだろう。子供みたいに首を縮めて、
「どっちの係りか、決まったら城中で報告しろ」
足早に出て行ってしまった。大岡としては茶も出すひまがなかった、というより、出すこともほとんど忘れていた。あとで聞いたところでは吉宗はこの十数分前に小姓1名をともなって来邸し、応対に出た用人に、
——いま大岡と牧野が浅草観音の事件の管轄について話し合っているはずだ。自分はそれに関心があるが、しかし本人に知れると生の議論にならなくなる。善処せよ。
と命令をしたらしい。
それで、誰にも気づかれぬよう屛風のうしろへ、となったわけだった。用人はあとで大岡へ平謝りに謝ったが、大岡はまさか譴責するわけにもいかず、ただ一言、
「……災難じゃったな」
これで味をしめたのか、吉宗はこの後、ときどき同様の秘密行動を取るようになった。大岡も二、三度やられたし、ほかにも南町奉行、勘定奉行、大目付、目付などが自邸に潜入された上、こっそり要談を聞かれたとか。徳川吉宗というこの江戸幕府の中興の祖は「御触書」「撰要類集」といったような法令集の編纂を命じたり、あるいは将軍みずからが城中において一日かけて寺社奉行、町奉行、勘定奉行の裁判を傍聴する公事上聴を慣例化したりと、その生涯において司法に対する関心をほとんど執着に近いまでに抱きつづけたが、その執着が、ときに吉宗をこんな身軽な出張に駆り出したのだろう。
まことに忠実な将軍ではある。もちろん、こんな特殊な外出の裏側には、ふだんの生活への不満もあるにちがいなかった。何しろ日が照ろうと雨が降ろうと本丸御殿にこもりっきりな上、政策論議をしたくても御用取次を通さなければならず、大岡たち行政長官とはなかなか直接会うことができない。
——じれったい。
と毎日のように思うというのが、要するに、政治家としての吉宗の実質なのである。
ともかく大岡は、
「茶に干菓子でいい」
と、もういっぺん市川へ言ってから、
(今回は、ましか。先触れが来ただけ)
と、妙な安心のしかたをした。
袴に足を通し終え、肩衣をつけて座敷へ出て、ほどなく吉宗が来た。吉宗は着流し。当然のごとく床柱を背にした上座へ座る。下座へまわった大岡が平伏しようとするのへ、
「挨拶はいい。米の話だ」
「はっ」
「なんで江戸の米価は上がらぬ。答えろ」
「それは」
と、大岡は、この問いは予期している。顔を上げて、
「それは何しろ、あまりに話が大がかり故。中川清三郎ら3名をもってしても、江戸で10万俵もの米を買うとなると……」
「すぐには遂げられぬ、か」
「ええ。まあ触書では『10万俵』とは明言しておりませぬので、加減もできなくはありませんが……」
「だが内々に10万俵と決めたのであろう? 前回の紀伊国屋たちの例に倣って。ならそれで行け」
「はい」
「大坂はどうだ」
「え?」
「江戸で買った10万俵は、いずれ大坂で売る始末をするのであろう。わざわざ米俵を運ぶわけではないにしろ、それにしても大量の売りだ。大坂の米価は下がる」
「仰せのとおりで」
「しかしながら、われらとしては、それはそれで困るのだ。またぞろ大名どもから文句が来る」
吉宗はつづけた。なぜなら全国規模で見た場合、諸国の米は、まず大坂に集まる。
大坂で値段をつけられる。大名たちが江戸より大坂の米価のほうを重視するのは当然である。それが下落することは、結局のところ加賀100万石だの、久留米21万石だのと称されるその100万石なり21万石なりの金銭価値が下がるに等しいからである。
家中の士の暮らしにも、大名自身の暮らしにも影響が及ぶ。
「そういう点では、われら公儀としても大坂の米価が上がるほうがいい、というより、ぜひとも上げなければならぬ。だからこそこれまで米価を1石あたり60匁にするという目途を定めて、紀伊国屋らを遣わしたり、このたび中川らを遣わしたり、何かと大坂の市場を支配しようとして来たのではないか。江戸の10万俵を大坂で売るという企ては、この方針をむしろ妨げかねん」
「ですが上様、それは決して両立せぬとは……」
「両立せぬとは限らぬ。存じておる。要するに10万俵を売ろうが何をしようが、そんなことではびくともせぬだけの高値であればいいのだからな」
「ええ」
「だが実際は、その『要するに』を果たすことができぬ。相変わらず大坂の米価は53匁台、時によっては52匁台にさえ沈んでいる。これでは天下の大名どもは……」
と言ったとき、吉宗の脳裡のかたすみの闇に、
(むっ)
かすかな光があらわれた。
(天下)
自分はいま、何かを思いついた。
それも、特別に重要な何かを。
が、次の瞬間、その光は吸い込まれるように消えて、もとの闇になっている。いったい何を思いついたのか。天下の何が問題なのか。もっとも、こうなると、もう手をのばしてもふたたび発光が得られぬことはわかっている。大岡が、
「どうなされました、上様」
首をかしげるので、
「何でもない。とにかく、大坂の米の値段の話じゃ。これを持ち直させるのは、どうだ、中川らでもなかなか難しいのではないか。ひとまず御用会所は開いたというが……」
「憚りながら、上様」
「何だ」
「現状では、その手づまりは克服できぬかと」
「どうして」
「帳合米です」
と、大岡は告げた。ここは自邸内だという意識のせいか、城中よりも思いきりのいい口ぶりで、
「中川らがいくら厳しい姿勢で臨んでも、結局は、正米しか取り締まることができません。帳合米は野放しです。しかしながらあの連中は、大坂の商人どもは、むしろ帳合米のほうの商いによって米価をほしいままに操っている。不実も不実、紙と筆だけのやりとりで。この故にこそ、あやつらは人の皮をかぶった獣とも呼ばれるのです」
「帳合米が?」
と、吉宗がきょとんとする。大岡は、
「ええ」
「あれが、獣の所業なのか」
「え?」
と大岡が首をかしげたのは、吉宗の口調に、わずかに馴れを感じたからである。もともと吉宗という人は、ことばが紀州ふうに簡明直截なため誤解されがちだが、決して威圧的な人間ではない。
その話しかたには独特のなごみというか、いっそ風のような気軽さがある。ただこのときの口調の馴れは、それとも少しちがうようで、何かしら、ふいに遠くに住む友達の顔を思い出したような唐突さがあった。
「上様、それは……」
「おぬしは見ていないからそう言うのだ。俺は見たぞ、越前守」
「ええっ?」
「帳合米の、まさにその商いの場をな。あのとき俺は13だったか、14だったか。そうそう、おなじ年ごろの、男と女の双子に案内してもらったっけ」
と、吉宗がそれから淀みなく語ったのは、大岡が、
(まさか。まさか)
感嘆詞を連発するような話だった。
吉宗は、はじめ青物市場の話をした。何百人でかかっても食いきれないような大根やら蕪やらの桶の山積みを見あげてから米市場へ行ったので、さぞかし米俵が山をなしているかと思ったら、そんなものは影も形もなく、ただ路上に人が集まって、わあわあ騒いでいるだけ。
「てっきり天下の大乱かと思うたぞ、越前守。あれは肝を抜かれたな」
「そ、それは、上様がまだ紀州におられたころ……」
「決まっているだろう。父も兄たちも生きていた。肩に荷のない四男坊でなければ行けるはずもないではないか。いま思えば、あれが帳合米の現場だったのだな」
と吉宗が、つかのま遠い目をして言ったのは、じつは誤解を含んでいる。
もしくは約30年の歳月を隔てて記憶が改変されている。吉宗がこのとき堂島の路上——当時は淀屋橋南詰——で目睹したのは、じつは帳合米ではない。米切手の授受をともなう正米商いの一種である。
帳合米とは紙と筆だけの世界なので、米切手すら使わないのである。けれども13、4歳のまだ硬直ということを知らない頭脳の真綿には「米俵がない」というその一事の槍があまりに深く刺さったため、そのあおりで米切手もないことになり、後年の知見と合わせて、
——あれは、帳合米だ。
という認識になってしまったのだろう。とはいえ吉宗は、この大岡との会話の限りでは、本質を違えたわけではない。なぜならこの会話の主題ははたして大坂の商人がほんとうに人の皮をかぶった獣なのか、言い換えるなら、ほんとうに明確な悪意でもって米価を操作しているのかの疑問にあるのであって、吉宗は、それに対して実感的に、
——否。
と答えたわけだからである。大岡は、
「いやはや、上様がそのような」
と口を濁した。そうして、ふところから懐紙を出し、顔の汗を拭いはじめると、吉宗はいっそう自慢げに、
「それどころか、博奕もしたぞ」
「ば、博奕?」
「知らんのか。爪がえしというのだ。市中いたるところの裏通りで地べたに茣蓙を敷いて、木箱を置いただけの店が出ている。客はその店先へ行って、1日の米価の終値が始値よりも高いか低いかの見込みを立てて、掛け金を出す」
「上様が、その……裏通りへ」
「うん」
「高いか低いか、どちらにお賭けを……」
「忘れた。ただ負けたことは憶えている。汚いなりをした見ず知らずの店のあるじへ財布ごと献上してしもうたわ」
と、吉宗は、そこでかすかに苦笑いした。大岡は眉をひそめ、治安維持者の表情で、
「そいつめ、もしかしたら、無理無法の謀り屋なのではないでしょうか。高かろうが低かろうが『お前の負けだ』と言い張って金子を巻き上げるといったような……」
「それは俺も疑った。だが俺の次に来たのは腕の細い女でな。職人か何かの女房と見たが、これは賭けに勝ったらしく、すんなり小金をもらって帰って行ったわ」
「町方の女まで、賭けを」
「ああ」
「ご法度です」
と大岡はまじめに言ったけれども、吉宗は、
「まあ法度といえば法度だが、取り締まろうと思ったら、それは大坂という人の体に巣食う無数の蚤を1つ1つ指でつぶすようなもの。無限の手間がかかるだろう。要するに俺の言いたいのは、大坂では、それくらい庶民の暮らしに親しいのだ」
「博奕が?」
「米市場がだ」
と吉宗はことばをかぶせてから、
「そういうわけで、俺としては、獣の所業とは思わない。あそこにいるのは人間だ。われらとおなじ生きものなのだ。ま、われらよりもほんの少し我欲に忠実かもしれんが」
「なかなか情がお深いようで」
「どうかな」
「ご公儀は、正式に認めておらぬのですぞ」
「……」
「帳合米など、お触れを厳しく用いれば、即刻差し止めになるものです。現に、かつては取り締まりました。たしか合わせて10人ほども闕所や牢舎にして、牢内で死んだ者もあったのでは」
この大岡の問いに対しては、吉宗は、にわかに歯ぎれが悪くなって、
「お前がそうしろと申したのだ」
「上様のご裁可をいただきました。最後には」
「それはそうだが」
「上様。それがしは」
と、大岡は、改めて姿勢を正しくして、
「それがしは、やはり帳合米は信じられません。なるほど実地に見てはおりませぬが、それを言うなら、大坂の商人どもも、上様のような他国者がちょっと目にしただけで理解できるような商いはしておらぬのではありませんか。たとえば符牒を駆使するとかして」
「む……」
「あやつらは米価を操作している。それがしはそう思います。かりに操作していないとしても、とどのつまりは浮き草のごとき民の集まり。何かの拍子に事件が起きたら、あるいは神がかりの巫女のような者が1人あらわれたら、みんなで極端へ走りだす。それが高値のほうであれ、安値のほうであれ、世を益することはない」
「おぬしは陰気者だのう、越前守」
「上様の見かたが甘すぎるのです。帳合米はこの世から消し去らねば。でなければ大坂のみならず、60余州に飛び火して、性善良な者までが不実の商いにうつつを抜かすようになる」
吉宗は、反論のよすがを失ったのだろう。横を向いて、
「はあ」
と盛大にため息をつき、
「そもそもなんで、あやつらは、帳合米をやるのかのう」
「たったいま上様ご自身がおっしゃったではありませんか、我欲に忠実と。ただただ楽して儲けたいと……」
「それはちがうぞ、越前守」
と吉宗はまた大岡と目を合わせて、
「金儲けだけが目当てなら、何もわざわざ米の値段など見ずともいい。それこそ双六、サイコロ、カルタなんぞの博奕を打つとか、どこぞの寺で富くじを買うとか、手軽な仕掛けはいくらでもある」
「ならば、なぜ」
「わからん」
と言い捨てると、吉宗はにわかに立ちあがり、
「帰る」
大岡は、引き止めない。淡々と、
「お小姓方は、別の部屋に?」
「ああ」
「お伝えしましょう」
大岡は市川義平太を呼び、小姓のもとへ向かわせた。
小姓が来るまで、手持ち無沙汰である。吉宗は立ったまま首を部屋のすみへ向けて、
「変えんのか」
「え?」
「あれ」
吉宗が手で示したのは、例の屛風である。どこかの禅寺の和尚にもらったもの。墨で描かれた滝のぼりの竜。大岡は頭を搔くしぐさをして、
「いや、どうも不調法で」
「暇がないのだな」
「ええ、まあ」
「……難儀をかける」
と吉宗がふいに言ったのは、おそらく米価うんぬんを超えて、これまで大岡に課した仕事の総量について思いを馳せたのだろう。大岡は、
(上様)
はからずも、胸に何かを感じてしまった。小姓が来たので、
「門まで、お見送りを」
「必要ない」
「はい」
「邪魔をした」
吉宗は足を踏み出して、足を止め、もういちど首をひねって、
「なんで、あやつら、帳合米をやるかのう」
大岡には「なんで」はない。ただ禁止したいだけである。少し不機嫌な声になり、
「とにかく、まずは中川らを」
「そうだな。注視しよう」
吉宗が出て行ったあとも、部屋のなかは、なおしばらく例の沈香の匂いが金粉のように舞いつづけた。
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!