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ブックガイドーー安全保障を考える|白石直人

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 昨年はロシアによるウクライナ侵攻が発生した。東アジアでも、北朝鮮のミサイル発射は頻発しており、また台湾情勢も予断を許さない緊張した状況が続いている。そこで今回は、日本と世界の安全保障を考えるための本を見ていきたいと思う。

◆安全保障を見る目

 安全保障の基本を学ぶのであれば、冨澤暉とみざわひかる・著『逆説の軍事論――平和を支える力の論理』(バジリコ)千々和泰明ちじわやすあき・著『戦後日本の安全保障――日米同盟、憲法9条からNSCまで』(中央公論新社)の二冊は、コンパクトにまとまっており読みやすい。

 冨澤『逆説の軍事論』は元陸上幕僚長が著した本である。地に足のつかない理想論でも威勢のいいだけの愛国論でもなく、現実的な方法でいかにして平和を維持していくか、平和が脅かされそうなときにどのような対処が可能か、を平易に書いている。安全保障の考え方、東アジア情勢、日本の軍事力の三部構成で幅広いトピックスを概説しており、日本と世界の安全保障について最初に読むのに向いている。著者自身の経歴から、自衛隊の仕組みについては特に詳しい。

 日本の安全保障論議はどうにも噛み合わない議論に陥ることが多い。千々和『戦後日本の安全保障』は、安全保障論議がねじれてしまう背後には、安全保障とは無関係の歴史的経緯によって生まれた「間に合わせの理由付けや線引き」が、その後の議論を長く縛り続けてしまう、という構図を指摘する。本書は、そのような歪みを解きほぐすことで、建設的な安全保障の議論への道標の役割を果たしてくれる。

 日米同盟、日米安保条約には、日本以外の問題に巻き込まれるという批判が常に付きまとっていた。しかし著者は、そもそも日米同盟は単独で存在するものではなく、米韓同盟や米華同盟などと組み合わさって極東地域の安全と平和を守るべく機能するものであり、ゆえに必然的に日本一国では閉じない存在だと指摘する。そして見逃されがちなのは、佐世保や嘉手納かでな、ホワイトビーチなどの基地は、普段は米軍基地として認識されているが、これらは同時に朝鮮国連軍の在日国連軍基地でもあるという点である。朝鮮戦争の際に作られた朝鮮国連軍司令部は1957年まで東京に置かれており、北朝鮮が軍事侵攻してきた場合には国連軍がこれらの基地から出動する。日米同盟もこれを下敷きにしており、沖縄返還時に韓国が沖縄の米軍基地を事前協議対象外になるように要求してきた[1]という話は、日米同盟が日本だけで閉じないことを浮き彫りにしている。

 憲法九条は日米同盟以上に紛糾する議論の的となる。九条と戦力不保持は、もともと天皇制存続とのバーターとしてGHQ(マッカーサー)によって提示されたものである[2]。もともと沖縄を軍事要塞化することで米軍が日本を守る想定であったが、この構想は冷戦勃発で霧散し、日本にも警察予備隊を出自とする自衛隊が作られた。そしてこの生まれたばかりの自衛隊への批判をかわすために捨て石にされたのが集団的自衛権であった。自衛隊を「必要最小限」として認める論は、その出自が警察にあることに由来する[3]。「自国の安全に必要最小限か否か」と個別的/集団的自衛権の区分は本来無関係なものであり、両自衛権それぞれにおいて必要最小限の領域が存在するはずである。ところが政府答弁はこれを転倒させ、個別的/集団的自衛権の区分を必要最小限か否かの区分とする解釈を行い、これが定着した。安全保障の観点からの本当の争点は必要最小限論か芦田修正論(自衛のための戦力は認められる)かであるが、これは集団的自衛権限定容認後も一貫して必要最小限論が勝利している。

 このような歴史の縛りは最近の日本のNSC(国家安全保障会議)にも見出せる。NSCと名前はついているが、アメリカのNSCが危機に際して決定を下す機関なのに対し、日本のNSCは審議機関であり、何かを積極的に行うよりも大所帯でネガティブコントロールする側面が強い。このようになっているのは、戦後すぐの内閣の安全保障機構である国防会議が、旧軍人の排除のために慎重審議機能を持たせており、その縛りが旧軍人問題消滅後も長らく影を落としているためである。慎重審議と統制が内閣の安全保障機構に要求されたため、参加人数を減らして迅速な決定をするような制度変更は「統制の弛緩」という批判を受けてしまい、大所帯の審議機関からなかなか脱せないのである。

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