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白石直人|ロシアとウクライナの歴史を紐解く

 新進気鋭の物理学者として、国内外から注目されている白石直人さん。多数の論文を出版される一方で、物理学者が主人公のテレビドラマ「仮面ライダービルド」の監修を務めたことでも話題になりました。
 さらに白石さんは物理学のみならず幅広い分野の本を年100冊前後読む読書家で、その博覧強記ぶりでも名を馳せていらっしゃいます。

 本シリーズでは、そんな白石さんの琴線に触れた書籍を取り上げ、世界を見渡すための道案内をしていただきます。

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 ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。ロシア政府の内部からは、ウクライナの主権を否定するような主張も漏れ聞こえてくる(※1)。こうした主張は現代の国際社会においては全く受け入れられるものではないが、しかしそうした発想が生じる背景を見ておくことは、ロシア政府やロシア国民の行動を理解するうえで有意義なものであろう。実際、ウクライナとロシア、その周辺を巡る歴史はなかなか複雑なものである。


◆ロシア通史

 ロシアの通史を知るための本として、ジョン・チャノン、ロバート・ハドソン・著『ロシア 地図で読む世界の歴史』(外川継男監修、桃井緑美子訳/河出書房新社)土肥恒之・著『興亡の世界史 ロシア・ロマノフ王朝の大地』(講談社)の二冊を挙げておこう。前者のチャノン―ハドソン書の最大の特徴は地図を豊富に用いている点である。「ロシア」の領域は歴史の中で大きく変化しており、その事実は現在ロシアが引き起こしている様々な国境問題や国内の分離問題などにもつながっている。本書はそうした変遷を視覚的に把握できるようにしてくれている。図版メインの本だが、各章の最初6ページほどでそれぞれの時代の簡潔なまとめが書かれており、文章の説明もなかなか詳しい。

 後者の土肥書は、16世紀末から20世紀初頭にかけてのロマノフ王朝の時代を中心に書いている本だが、ロマノフ王朝の前史(キエフ=ルーシから雷帝イヴァン四世などまで)と後史(ソ連)の話もコンパクトに書かれており、通史としても使うことができる。モスクワやサンクトペテルブルクなどの中央の話だけでなく、ロシアの植民地の状況などにも目配りがされている。「興亡の世界史」シリーズは、かなりエッジの効いた本も多い(※2)が、本書は穏当な通史に仕上がっている。

 ロシアの辿ってきた歴史を簡単にまとめておこう。現代の問題にまでつながる一つの重要な事実は、通常語られるロシアの歴史の出発点にキエフ=ルーシが置かれるという点である。キエフ=ルーシは、9世紀から13世紀にかけて、現在のウクライナの首都キエフを中心に栄えていた国である。現在のロシアと区別するために「キエフ=ルーシ」と慣例的に呼んでいるが、当時はただ「ルーシ」と呼ばれていた。西暦1000年頃には、キエフ=ルーシはヨーロッパ最大の連邦であった一方、当時のモスクワはまだ森の中であった。その後のキエフ=ルーシは、後継者問題などにより12世紀ごろになると多数の小さな公国の分裂状態に陥り、モンゴル軍の襲来がそこにとどめを刺した。日本では元寇に対する防衛に成功したが、キエフはモンゴル軍に完全に占領されてしまった。モンゴルの脅威はその後200年以上にわたって存在し続け、これは「タタールのくびき」と呼ばれている。土肥書では、タタールのくびきの長い影響の一つとして、ロシアの都市が要塞として出発したために、都市における自治や自由の空気は根付かず、都市の弱さと農業傾倒がロシアの特徴となった点が指摘されている。

 そうした中で、キエフ=ルーシの一公国だったモスクワ公国は、モンゴルに恭順の意を示してうまく生き残った。最終的には、イヴァン三世がモンゴルからの明確な離反を行い、全ロシアの君主たるツァーリを名乗った。その孫イヴァン四世は雷帝とも呼ばれ、諸侯を押さえつけて強大な専制権力を確立させた。対外的には領土拡張を成功する一方、国内では反対派を容赦なく粛清する恐怖政治を行った。

 イヴァン四世後の混乱と外国からの脅威の中、貴族たちによってツァーリに選出されたのが、当時まだ16歳のミハイル・ロマノフであった。これがロマノフ王朝の始まりである。当初ツァーリは貴族に担ぎ上げられた御しやすき者という位置づけで、政治は貴族たちによって回されていたが、息子アレクセイの時代になるにつれ再び専制が頭をもたげてくる。ミハイル・ロマノフの孫にして帝政ロシアの祖ピョートル一世や啓蒙専制君主として有名なエカチェリーナ二世、クリミア戦争を起こしたニコライ一世などはそうした専制君主としてよく知られている。ただしその間では、権力拡大を狙う貴族が、不都合なツァーリをクーデターで失脚させたり暗殺したりということも起きている。こうしたツァーリと貴族たちの間の権力の揺れ動きは、土肥書の一つの読みどころでもある。

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