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高田大介『エディシオン・クリティーク #2』 3日連続公開、2日目🔎

校了明けの編集者は癒しを求めるというもの。
ぼろぼろの真理が訪れたのは、なぜか元夫の暮らす家。
すっかり寛いでしまった真理だったが…

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三、修理、食後の辞書談義のこと

 その後、ひとり埼玉のマンションに帰宅した私は二つ目の段ボール箱に分けた自分の戦利品を自室に運び込んだのだが、やけに重いと思ったら、中に修理の購入したものが紛れ込んでいた。修理が自分の箱をラゲッジスペースから運び降ろした時に、上からちょっと箱を覗き込んだだけでこちらは私の箱かと簡単に考えて、置いていってしまったのだろう。縮刷版『言海』と『生田耕作評論集成』セットの下に、修理が求めた古代ギリシア語の辞典が二冊ほど収まっていた。
 持ち上げた時に表紙ががさりとぶら下がり、その拍子に一葉の紙片が机下に舞い落ちた。
 いけない、頁がほどけてしまったかと拾い上げると、それは辞書の一頁ではなくて書きつけが挟まっていたのが滑り落ちただけだった。この希仏辞典の裏表紙のところにでも挟んであったものだろう。
 すこし黄ばんだ中質紙で、もとはB5版の印刷用紙だろうか。折り畳んで挟んであったのか、紙の半ばの折り目で千切れてしまっており、言ってみればB6版の大きさしか残っていない。ざらっとした表面には鉛筆書きのメモ、いや表が書かれている。走り書きではなく整った字体だった。これは何だろう?
 表題だろうか、「ERRATA & CORRIGENDA」とあるが奇矯なことに上下逆さまに書いてある。
 これはラテン語だが今も使われる言葉で、たとえば英和辞典にも載っているような表現だ。「エラータ・エト・コリゲンダ」——その言わんとするところは「びゆうと訂正」である。平たく言えばこれは正誤表だ。

 ではいったい何の正誤表なのだろうか。
 断片ではあるが、たかだか十行程の正誤表の中身に立ち入れば、これが今卓上にある希仏辞典の正誤表ではないことはすぐに判る。希仏辞典の正誤表なら古代ギリシア語が書かれたメモになるところだろう。
 四本のコラムに分けられた表形式の記述であるが、様式は一目で理解できる。第一コラムは見出し語、第二コラムはページ数に相違ない。そして第三コラムに誤植、誤記の指摘、最後の第四コラムが訂正案といったところか。要するに出版後の誤記訂正のための覚え書きといったところだろうか。ページ数のコラムからするとエントリーはソートされていない。誤植、誤記を見つけた順にメモしてあるのでないかと思われる。
 そして対象の書物は十中八九はラテン語だ。ラテン語をよくしない私にもすぐに判った。これはラテン語の辞書の正誤表なのだ。
 いったいの誰が、何のために作成していた正誤表なのか、これは草稿だろうか、取りまとめてせいとんして清書したものが別にあるのか……それは判らない。辞書の正誤表と見るからには、それは辞書を作っていた人の手になる書きつけということになるのだろうか。出版されてしまった辞書の誤りを、こうしてあげつらって記録し続けるという妄執は、自分の作った辞書の不備に歯嚙みをしてのものだったのだろうか、それとも人の作った辞書の不始末を嘲笑して書き継がれたものだったのだろうか。

 丁寧に書かれた鉛筆書きに強い意志が、意図が滲んでいる。どういう意志、どういう意図だったのかは判らないけれども……。
 この一葉が本来差し挟まれていなければいけないラテン語の辞書は樺島古書店の帳場前に積まれているのだろうか、あるいは修理が引き取ってきた書目の中に該当する一冊があるのだろうか。
 いずれにしても、これが『希仏辞典』に挟まっていたのは、なにかの間違い、ところたがえのアクシデントだったのだろう。
 いったい全体これは何なのか、まあ、考えていても仕方がない、材料が少なくて頭の無駄働きになるのが落ちだ。ともかく二冊の希仏辞典を修理に返さなくちゃ。その時にこれは何かと問うてやれば、修理の方でようにも沙汰するだろう。だって、私の想像するところ、この紙片の筆者はどう考えても修理の同業者なんだから。


 
 さて、ちょっと仕事が忙しいと身の回りのことも何かと始末が悪くなり、お肌も身仕舞いも自宅の室内も荒れがちすさみがちになるものだが、私は厳守と言った締めきりを厚顔にも踏み越えたらちものどもをなんとか電話ごしになだすかして文机に向かわせ、相続くリスケジュールの連打に翻弄され、四方八方に頭を下げながら、校了までの疾風怒濤を戦っていた。かくして嵯峨野家への訪問もいきおい間遠になり、返す心算の二冊の辞書は後部座席で喫緊のチェックを要する刷り出しの封筒に埋もれてゆき、誰かの作った何かの正誤表——そんないっかな焦点を結ばないばくぜんとした何か、、のことなど半ば忘れ去っていた。

 だいたい校了のラストスパートは競技場に戻ってきたマラソンランナーみたいに体力の限界と言うよりは既に意識そのものがおぼろで、もう体を倒せば足だって勝手に前に出るしかない、そんな意志無き自動化された動きに身を任せ、停まりさえしなければこの苦しみもいつかは終わると念じて、ゴールまでの距離を数えることもなくただただ無心の一歩を刻み続けるだけだ。
 明け方近くに及んだ校了の瞬間にももはや歓喜は湧かず、「ではこれにて」、「はい」みたいな淡々とした感じで、思うことといえば「冷えたビール、いやその前に風呂、風呂掃除してない、掃除はいや」という具合で、思考がすでに断片的になっているし、いい歳して掃除嫌さに涙が滲んでしまう。もう温泉にでも行ってしまおうか、今からか。あの部屋で散らかったワードローブから旅行用の荷造りをするなんて、あまりの重労働で耐えられそうにない。

 同僚と帰りがけに祝杯をあげるのをよろよろになりながら断った時には「家に帰りたい」と申し上げて理解を賜ったが、本当は家に帰りたくなんかなかった。だってまず掃除しなきゃ寛げないじゃないか。帰宅直後にリサイクルごみの袋と脱ぎ散らかした衣服で足の踏み場もない玄関の上がり框で私がしたことと言えば、書類鞄を放り投げたことと、車のキーを引っつかんだことと、妙さんに電話したこと、こればかりだ。
 外環道はおおいずみで関越に連絡、あとは北西に向かって一時間まいしんし、上信越道に乗り入れる頃には、正面が朝焼けだ、上機嫌のあまり車内で歌ってしまった。かえれーきみー! ふーるさーとのまーちー! あそこは故郷じゃないけどさ!
 山道をラリー車みたいに駆け上がり、嵯峨野邸の前庭ではドリフトをかまして停車した。
 荷物は無い! だってここには自分の洗面用具も着替えもあるから! というわけでもう何を考えるのにもエクスクラメーション・マークが踊るような上擦りっぷりで玄関に転げ込むと、朝一なのに出迎えてくれた妙さんにすがりついた。
「真理ちゃん、なに泣いてるの?」
「掃除が嫌で……」
「そんなことで?」
「疲れました……」
「もう何でも良いからお風呂はいっといで、湯は張ってあるから」
「う……うぅ……」
 ちょっと私が馬鹿みたいだが、よろよろと上階に這っていく。

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