ブックガイドーー民主主義を巡って〈後篇〉~各国の実態~|白石直人
前回の記事では、民主主義を巡る思想と民主化の歴史を見た。今回は、民主主義を実現させていく際に直面する問題を、日本及び世界各国の実態を見ながら考えていきたい。
◆選挙制度はいかに機能するか
選挙制度の議論は、技術的な問題か、ともすると党利党略のための論争と見られ、疎んじられがちである。だが、どのような制度を用いるかは、民主主義がどれだけ機能するかを定める重要な要素である。砂原庸介・著『民主主義の条件――大人が学んでおきたい政治のしくみ基礎のキソ』(東洋経済新報社)は、選挙や政党の制度がどのような影響をもたらすのかを分かりやすく整理してくれている。
中選挙区制は長らく日本の選挙で用いられてきた制度[1]だが、中選挙区制の下では、候補者は同じ党の他の候補者と競争しなければならない。同じ党の候補者とは主義主張が似通う場合が多いので、差別化を図るため特定支援者への利益誘導が頻発する。中選挙区制では二割ほどの票を固めれば安泰という場合も少なくなく、そうすると二割の支援者の顔色だけをうかがう政治家が生まれやすい。逆にこうした状況では、政党という組織はまとまった形ではなかなか機能しなくなる。選挙区からの当選人数より投票用紙に書ける人数が少ないという選挙制度[2]は、世界的に見ても珍しい、いささか奇妙な制度なのだという。
本書では政党の意義が強調されている。個々の政治家が選挙区やそのときの人気という空間・時間の制約の下で行動しがちなのに対し、政党はより安定的かつ継続的な活動が期待される存在である。しかし現状では、政党のラベルの価値を高めるようなまとまりをもった行動がとれていない政党が多い。そもそも日本は、政党の基準が緩すぎるため、近視眼的な離合集散が繰り返されてしまっている。また、日本の政党の多くは党首の任期を短く設定しており、そのため党内反対勢力に気を遣う必要があり、一貫した強い政策は打ち出しにくい。特に野党が選挙敗北以外のタイミングで党首選を行うことは、不必要な党内分裂を誘発するものだと著者は指摘している。
選挙管理はさらに技術的な話だが、その中で一票の格差の問題は比較的ニュースでも多く取り上げられる話題である。一票の格差を2倍以下にすべき、というのは当然の主張にも見えるが、しかし選挙区割りの問題を考えると案外難しい。衆議院小選挙区の区割りについて、「県境をまたがない」「例外的状況をのぞいて市区町村を分割しない」「飛び地を作らない」という制約条件の下で、一票の格差を2倍以下にするような区割りは困難、という研究が本書では紹介されている。
加藤秀治郎・著『日本の選挙――何を変えれば政治が変わるのか』(中央公論新社)は、選挙制度の問題に絞ってさらに深く考察した本である。まず現代の理念なき選挙制度論争が強く批判されている。対比的に取り上げられているのが、過去の思想家の選挙制度論である。美濃部達吉は国民による政党監視のために比例代表制を擁護したのに対し、吉野作造は二大政党樹立と指導者による政治指導の観点から小選挙区制を擁護した。ミルやケルゼンなど、海外の思想家の議論も紹介されている。その中でポパーの比例代表制批判論はなかなか興味深い。選挙の意義は失敗した為政者をその地位から降ろすことだが、比例代表制では連立交渉の駆使によって多数派に拒否された党が相変わらず与党で居続けることができてしまう。しかもその際、偶然にキャスティングボートを握った小党が不釣り合いに大きな影響力を行使することにもなり、「票数に応じた影響力行使」という理念とは正反対のことが生じかねない[3]という。
選挙制度からの影響の議論も、単純化を戒める指摘が多い。比例代表制の比例の度合いに関わる議論では、どの方式で議席配分するかに注目が集まりがちだが、実際には選挙区の大きさの方が重要である。また、小選挙区制では二大政党化が進むといわれるが、そのためには選挙が個人本位(名望家政党)ではなく政党本位である必要がある。選挙が個人本位で行われるならば、各選挙区内では有力候補が二人に絞り込まれるかもしれないが、全国レベルで二大政党になるとは限らない。そして日本は、どの政党から出馬しても当選する政治家が少なくなく、個人本位の面が強い。
重複立候補による比例復活は「ゾンビ議員」と呼ばれて批判的な目で見られることが多いが、著者はこれにも懐疑的である。(西)ドイツでは、コールのような首相を務めた人物さえ頻繁に小選挙区では落選し(日本でいうところの)比例復活していたが、これは全く問題とはされていないという。選挙を政党本位と考えるなら、全国的に支持される政党の重要人物が通るのは問題ないという発想である。また、比例復活すると一つの選挙区に二人の現職がいることになるので、挑戦者も実績を積むことができるようになり、現職優位を崩しやすくなるという点も重要だろう。
◆各国の民主主義の比較
各国の民主主義の在り方を比較検討するならば、アレンド・レイプハルト・著『民主主義対民主主義[原書第2版]――多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究』(粕谷祐子、菊地啓一訳、勁草書房)は現代の古典ともいうべき地位を占める著作である。本書は計量的な比較を行う学術書だが、本書の端々から見えてくるのは、各国の民主主義及びそれを取り巻く制度や政治状況の多様性である。
民主主義の従来のイメージは、イギリスを代表例とする多数決型であろう。これは多数派の政策を実現していくことに民主主義の理念を見出している。これに対し、妥協を重ねてなるべく多くの人が合意できる政策にしようとするのがコンセンサス型である。小選挙区制は多数決型に、比例代表制はコンセンサス型に親和的である。多数決型を民主主義のあるべき姿として、コンセンサス型をその逸脱とみなすような風潮に対し、著者は本書の最後の部分で、むしろコンセンサス型の方が優れていると主張している。しかし本書の意義は、両者の優劣よりも、両者を軸とした各国政治の比較検討にあるだろう。選挙制度だけでなく、政党制、執政―議会関係、憲法、利益集団など、多岐にわたる側面において多数決型―コンセンサス型の軸との関係が見出されている。
各国の具体的な制度や政治実態の多様性は、なかなか意外なものも多くて面白い。例えば、2009年までのノルウェーの議会は二院制だが、選挙は一回だけ行い、議員内の互選により選ばれた議員の4分の1ほどが上院議員に、残りが下院議員になるという方法を用いていた。定期的な政権交代は民主主義には必須と考える人も少なくないが、オランダ、スイス、ルクセンブルクの3か国は、1940年代から(原著第2版出版の)2010年に至るまでの間、内閣改造はあったものの全面的な政権交代は一度も経験していないという。また、違憲立法審査権は極めて基本的な規定に思えるが、オランダの憲法はむしろ逆に裁判所が違憲審査を行うことを明文で禁止している[4]。
海外と比較すると、日本の状況の特徴や特殊性も見えてくる。70年代から細川内閣による政権交代までの自民党政権は、議会の多数の支持を得ていながらむしろ少数内閣のようにふるまう例として紹介されている。また、議会の選挙制度を類型化した図は、日本の選挙制度の特殊性を際立たせている。ほとんどの国が「単純多数性」と「比例代表制」のどちらかにカテゴライズされる中、初版では日本だけが「半比例制」というどちらにも割り振れないというカテゴリに入れられている(第2版ではこのカテゴリに入る国として韓国が追加された)。
以降で、大統領制のアメリカと小選挙区かつ議院内閣制のイギリスの実情、特にそこで直面している問題を見ていく本を紹介する。しかし比例代表制の国の実情、特にその問題点を含めて具体的に書いている良い本は残念ながら挙げられなかったので、ここでは比例代表制が引き起こしうる問題について、一つだけ簡単に触れておきたい。それは「選挙後に政権ができるまで非常に長い時間がかかる場合がある」という点である。比例代表制では多数の小党が議席を占めることが多いため、連立交渉に失敗して政権が発足できないことがしばしば起こる。オランダでは2017年の総選挙後政権発足まで7か月かかった。イスラエルでは2019年の総選挙後の連立交渉がうまくいかず、二度の再選挙が行われ、1年近い政治空白が生まれた。極端なのはベルギーで、2009年の総選挙後に500日以上、2019年の総選挙後には600日以上の政治空白が生まれた[5]。選挙でどの党が勝利したのかがほぼ明確に定まる小選挙区制では、なかなかお目にかかれない事態である。
◆アメリカ~大統領制の困難~
アメリカの大統領に誰が選ばれるかには、日本を含む世界中が注目する。しかし、待鳥聡史・著『アメリカ大統領制の現在――権限の弱さをどう乗り越えるか』(NHK出版)は、アメリカ大統領の権限は実はそれほど強くないと指摘する。大統領と議会が同じ方向を向いているときには問題は生じないが、大統領と議会が対立した際には、大統領は有効な政策推進手段をほとんど持っていないのである。本書は、強い期待と裏腹の弱い権限という、アメリカ大統領の抱えるジレンマを解き明かしていく。
アメリカ合衆国憲法が起草されたときに想定されていた政治体制は、政治は議会が主導していくという姿であった。大統領に期待されていたのは、議会が暴走しそうなときにそれを抑制するという、裁判所と同様のストッパーの役目であった。しかし十九世紀後半になると、工業化の進展に伴い、労働問題や生活環境の悪化、独占企業の問題や格差拡大など、専門知識を持つ官僚が解決にあたるべき問題が増加し、それに伴って行政機構も拡大していった。また二十世紀に入ると、孤立主義的であった外交姿勢が転換され、アメリカは国際秩序における中心的な役割を果たすようになった。外交においてはもっぱら大統領が顔となるので、外交の比重の増大は大統領の役割も拡大させた。
フランクリン・ルーズベルト大統領のときには、大恐慌や第二次大戦という危機への対応において、大統領の役割が大幅に拡大した。しかし、「憲法革命」とも呼ばれる転換においても、憲法の修正は行われず、解釈拡大や裁判所による追認などで対処された。これは、大統領が積極的に社会経済的課題に取り組み、議会もそれを認めていくという「リベラル・コンセンサス」の60年代までにおいては問題とならなかったが、コンセンサスが崩壊する70年代以降は大統領のジレンマが顕在化してくる。
大統領の所属政党と議会の多数党が一致しない分割政府は、近年特に問題となっている。かつてのアメリカでは、政党のまとまりは非常に緩かったため、分割政府であっても大統領は議会多数派である野党を説得して支持を取り付けることも可能であった。しかし最近は、政党の凝集性・一体性が高まり、かつ議会多数派が野党の場合には大統領への徹底抵抗を行う場合が少なくない。本書ではこの背景として、政策過程における選挙の比重が高い制度設計[6]が、選挙区における「過激で熱心な運動家」の影響力の拡大を招き、共和党、民主党ともに極端な意見を持つ運動家の顔色を窺いすぎるようになった点が指摘されている。
◆イギリス~ゆらぐ小選挙区制~
イギリスは代表的な小選挙区議院内閣制の国であり、民主主義のモデルと評されることも多かった。しかし、最近では政党の機能不全やブレクジットによる混乱など、いろいろな問題を生じさせている。近藤康史・著『分解するイギリス――民主主義モデルの漂流』(筑摩書房)は、戦後イギリス政治の歴史とそれへの政治科学的分析を中心に、イギリスの民主主義を考察している。イギリスは小選挙区、二大政党、議会主権、政党の一体性、中央集権などの要素により、多数決型民主主義の方向性に揃えられていた。しかし現在においては、これらの要素が崩れて異なる方向を向いてしまい、機能不全や問題を引き起こしている、というのが、著者が「分解」と呼ぶ状況である。
イギリスの政治は「合意政治」と呼ばれ、二大政党間で広範な合意が成立していた。戦後すぐのアトリー労働党政権が推し進めた福祉国家の方向性は、その後の保守党政権も引き継いだ。逆に保守党が進めた福祉の選別主義的な在り方は、ウィルソン労働党政権でも引き継がれた。サッチャーは合意政治を破壊したと言われるが、政権後期に推し進めようとした福祉削減は、公的支出割合などを見る限りあまり進まなかったという。ブレア労働党政権は社会の役割を強調し、これはキャメロン保守党政権へも引き継がれている。
しかし、こうした合意の存在と、小選挙区制による代表の絞り込みは、そこに反映されない「漏れた民意」を生み出す。それは例えばEUを巡る問題であったり、スコットランド独立であったりする。EU離脱は保守党、労働党それぞれの内部で分断的に存在する争点であり、EU離脱問題の顕在化は党の一体性を揺るがす。スコットランドに関しては、既存政党はすべて独立反対であり、SNP(スコットランド独立党)が独立派の支持を集めている。独立派をなだめるために、地方議会を設置するなどの分権化が大幅に進められたが、スコットランド独立の意見は強まる一方である。
分権化で作られた地方議会やEU議会では、イギリス議会とは異なる政党が台頭する。既存政党の機能不全も相まって、これはイギリス議会における多党化を促す。小選挙区制により二大政党が実現すると言われている一方で、少し前は自由民主党[7]が、最近ではSNPが第三極として台頭しており、イギリスは多党制になったと主張する専門家すらいるぐらいである。小選挙区下での第三極台頭で最も割を食うのは与党への批判票が分散してしまって票を取り逃がす第二党(すなわち野党第一党)であり、イギリスは交互一党優位制にあるという指摘もある。
高安健将・著『議院内閣制――変貌する英国モデル』(中央公論新社)は制度の側面を中心にイギリス政治を考察している。イギリスの政治制度は、一般庶民への不信、エリートへの信頼とエリートの自己抑制を基調として作られている。エリートたちの閣内の合議制による抑制の伝統に対し、近年は首相への集権化が進んでいる。制度による抑制ではなくエリートの自己抑制に依存したイギリスでは、集権化による権力暴走の危険性は無視しがたい。また頻発するスキャンダルは、エリートへの信頼自体に疑問を投げかけている。
本書では、保守党と労働党、それぞれの党内の制度も詳しく考察されている。保守党が党首選の手続きを設けたのは1965年のことであり、それまでは党首は有力者の相談で「出現」するものだった。その党首選手続きも、当初は党首が欠けた場合を想定したもので、党首は不人気であれば自発的に辞めるものとされていた(党首を審査する党首選は1975年から)。また選挙の公認を左右するのは党中央ではなく地元の選挙区協会であり、党首の公認権で党員を服従させる効果は長らく弱かった。しかし、保守党は「党と党首への忠誠」を特徴とするほどの党であり、選挙に勝てる首相ならば比較的支持されやすい。
労働党は、保守党よりもイデオロギーによる内部対立を抱えやすい。議会労働党はもともと、労働組合が議会に代表を送り込む形で成立した組織である。長らく労組が強い権限を発揮していたが、その構造のため80年代には極端に左傾化して選挙では惨敗を繰り返した。この構造的問題を解消するため、より穏健と考えられる一般党員の発言権を強める形の改革を進めて労組の力をそいだ。これはブレアによる労働党復活を呼び込むが、一方で一般党員が左派に傾倒するとコービンという(議会労働党はほとんど支持しない)極端な左派が党首に選ばれることにもなった。
本題とは少しずれるが、貴族院改革の話もなかなか興味深い。イギリスの上院である貴族院は「何ら権限を持たない上院」の代表例として学校で習ったと思う。しかし実際には、貴族院は多くの法案を否決しており、それによって半数近い事例で政府から譲歩を引き出すことに成功しているのである。貴族院は当初は世襲貴族が多く、党派で言えば保守党が多かったが、貴族院改革の第一段階後の現在は大半が任命議員で党派的偏りも緩和した。さらなる改革では、貴族院議員を選挙で選出することさえ検討されているという。
[1] 1994年の選挙制度改革まで、衆議院は中選挙区制だった。現在でも、二人区以上の参議院の選挙区は中選挙区制とみなせる。
[2] 三人区であれば投票用紙に三人の名前を書けるような選挙方式を「完全連記制」といい、こちらの方が多く見られる方式である。ただしこの選挙制度は小選挙区制に近い効果をもたらすため、現在では複数人完全連記制ではなく小選挙区制を用いる国が多い。
[3] 例えば完全比例代表制のイスラエルでは、90年代において超正統派政党シャスが第三党となってキャスティングボートを握り、かなり強い影響力を発揮した。
[4]その他の欧州の国でも、フィンランドやルクセンブルクで違憲立法審査権が導入されたのは1990年代以降と、かなり最近である。これに関しては、ヨーロッパでは、憲法は統治構造を定めるものと位置付けられており、憲法を他の法の上位に置くアメリカ的発想がなじまなかったという指摘もある。(小梁吉章「憲法裁判所と欧州司法裁判所」広島法学34巻3号234(2011)
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/31202/2014101618082037974/HLJ_34-3_234.pdf)
[5] ただしこの背景には、言語及び民族で分断された連邦制国家というベルギーの特殊事情もあり、選挙制度を変えれば問題が解決するとは限らない。松尾秀哉・著『連邦国家 ベルギー――繰り返される分裂危機』(吉田書店)は、連邦の分裂危機という点から、繰り返される長期の政治空白について議論している。
[6]各選挙区における各党の候補者を予備選挙で決めるというシステムは、選挙過多の例として本書で挙げられている。
[7]自由民主党は、キャメロン政権時には保守党との連立政権を組む地位にまで上り詰めたが、連立与党として保守党に対し繰り返し妥協を行ってこれまでの政策を曲げたことで支持を大きく失った。
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