イナダシュンスケ|蘊蓄の悲哀
第12回 蘊蓄の悲哀
あらゆる飲食店は「一目置かれたい」と考えています。なぜなら同じ料理でも、一目置かれた状態で食べ始めるか、ただ漫然と食べ始めるかで、評価は全く違ってくるから。漫然と食べられると、最悪の場合、上から目線で妙なことをネットに書かれたりもします。少なくともそれだけは全力で避けねばならない。
一目置かれたいんだったら味そのもので勝負しろよ、というのは正論です。正論ですがそれは、酷というものでもあります。
かつては世の中にあまりおいしくないものがたくさんありました。そういう時代であれば、普通においしいものを真面目に作るだけでも一目置かれることは可能でした。
25年前、僕が働いていた居酒屋は「鶏のから揚げ」が評判でした。どうってことのないから揚げです。鶏肉は地鶏とかではなく、肉屋さんに発注したら勝手に持ってきてくれるブロイラー。味付けはほぼ醬油と酒のみ。それに粉をはたいて普通に揚げるだけです。
強いて言えば、なるべく揚げすぎないよう慎重になっていたくらいでしょうか。ただそれすらも、注文が立て込んでいる時にまで常に徹底できたかと言うと、多少心許ないところもあります。
そもそもそれは、名物にしようと思って作ったわけでもなんでもなく、「居酒屋なんだから、から揚げは無いとね」くらいの、埋め草的なメニューでもありました。それでもそれは評判になりました。当時は世の中に、全然カラッとしていないから揚げや、揚げすぎてカチカチになったから揚げが、まだまだ多数存在していたからだと思います。
から揚げひとつとっても、今はそう簡単にはいきません。世の中から「マズいから揚げ」が一掃されているからです。スーパーやコンビニで揚げ置きされているから揚げだって充分においしい。冷凍食品のから揚げを家で揚げたら更においしい。冷凍から揚げは最近、揚げずに電子レンジで調理できるものも増えましたが、不思議なことにそこそこカラッとジューシーです。どうなってんだあれ。
25年前の僕のから揚げは、電子レンジから揚げとくらいなら互角に戦えるかもしれませんが、お店同士の競争なら、今は完全に埋もれてしまうでしょう。マズいから揚げが出てくる店なんて皆無だからです。
独自のインパクトある味付けと安定した品質で勝負する「から揚げ専門店」は、この数年来のブームです。そんな中で「平凡なから揚げ」は勝負すらできません。そしてそのブームも、もはや過当競争が過ぎて、今や終焉に向かおうとしています。わけがわかりません。
もしも今の世の中で「普通のから揚げ」でワンチャン一目置いてもらおうと思ったら、以下のようなことをしなければいけません。
まず肉屋さんに、ブロイラーの出所を聞きます。「だいたい愛知産じゃないすかね」と聞けば、無理矢理それをアピールすることにします。
味付けに使っている醬油のメーカーと所在地をラベルで確認して、メーカーサイトから歴史やこだわりなどの情報を拾います。そしてそれだけだとなんだか説得力が弱い気もして、他の醬油も適当に二種類ほどちょろっと混ぜることにします。ついでに「無化調」もわざわざアピールすることにします。
それを「職人がコロモを手付けし、心を込めて揚げる」ということにします。ここで、
「手じゃなくてどこの人体パーツで付けるんだよ……」
とか、
「心を込めようが込めまいが味には関係ないのだが……」
とか、冷静になってしまってはいけません。あくまで突き進むのです。
あと大事なこととして、平凡な味であることに対する言い訳も考えなくてはいけません。
かくして、ポスターが完成します。
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