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イナダシュンスケ|「美食家」は死語になる

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第11回 「美食家」は死語になる


 先日、少し面白い言葉の使い方を耳にしました。とある女性から聞いた、ご夫婦の話です。
 彼女はある時、ダンナ氏にこんなことを話しました。自分は食材ごとの好き嫌いは全くと言っていいほど無いけど、コンビニとかスーパーで売ってるお惣菜やお弁当の味はあまり好きではない。そしてその時々の気分で明確に食べたいものとそうでないものがある、と。
 それを聞いたダンナ氏はこんなふうに返しました。
 「君は偏食だね」
 この会話はそれで終わるのですが、その後、彼女はふと疑問に思うのです。
 「その『偏食』って言葉の使い方、合ってるのかな?」

 確かにここで「偏食」という言葉を使うのは、少なくとも常用外です。普通は偏食と言えば、ピーマンが嫌いとか魚が嫌いとか、あるいは脂っこいものが嫌い、といった食材や料理ごとの好き嫌いを言います。言うなれば、地図みたいな平面上の色分けと言えるでしょう。しかし彼女が話題にしたのはそれではありません。「どこで売られている惣菜か」「今の気分はどうか」といった、言うなればその地図の上に縦に重ねられたレイヤーの話です。
 ダンナ氏がそこに対してもやっぱり「偏食」という言葉を使ったことが、僕にはなかなか面白く思われた、というのがこの話です。
 何がいったい面白かったのか。
 普通であればここで使われるべきは「美食家」という言葉だったのかもしれません。スーパーの惣菜なんかよりもっとおいしいものが食べたい、その時一番食べたいものを食べたい、それは美食家、あるいはグルメ、といった言葉がふさわしいようにも思えます。しかしダンナ氏はあえてこの言葉を避けました。これはなかなか繊細な言葉選びだったのではないかと思うのです。
「美食家」という言葉は、かつて無条件で人を称賛する言葉だったはずです。「グルメ」だってそうです。しかし今やその言葉は、少々取り扱いに注意が必要です。「君は美食家だね」「グルメだね」と言うと、ややもすれば、そこには揶揄やゆのニュアンスも漂います。君は少々面倒臭い人間だね、と言われているようにも取れるのではないでしょうか。
 なので僕は、早晩この「美食家」という言葉は衰退していくのではないかと思っています。「グルメ」はもう少し生き延びるかもしれません。なぜならグルメという言葉は、元々の意味を離れ、もう少し広く食全般を指す文脈でも使われるようになっているから。例えば「ネットのグルメ記事」みたいな使われ方ですね。そこからは本来の「美食家」の言い換えというニュアンスはだいぶ脱臭されています。

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