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ブックレビュー:権威主義とポピュリズム ~前篇・理論的考察~|白石直人

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 現在の世界では、各地で権威主義化やポピュリズムの波が起きており、民主主義は脆弱な状況にある。今年は世界各国で選挙が行われる選挙イヤーでもある[1]。そこでこの記事では、ポピュリズムや権威主義について、より深く理解するための本を紹介していきたい。

権威主義

 権威主義体制を知る最初の一冊には、エリカ・フランツ・著『権威主義──独裁政治の歴史と変貌』(上谷直克、今井宏平、中井遼訳、白水社)が格好の入門書である。「なぜ一部の豊かな国は権威主義なのか?」「権威主義的なリーダーは権力離脱後どうなるのか?」など、各節ごとに権威主義[2]に対する素朴な疑問を立てて、それに対してデータと事例に基づきながら答えていくという書き方をしており、初心者にも読みやすい構成である。

 本書では、権威主義体制の類型論として、権威主義のリーダーを規律する存在に着目した「軍事独裁/支配政党独裁/個人独裁」という類型[3]が紹介されている。独裁のタイプの違いは、様々な差異をもたらす。権威主義リーダーが権力を失った際、個人独裁の場合は7割近くが国外追放や収監、処刑など不幸な末路を辿るのに対し、支配政党独裁の場合に不幸な末路を辿るのは3分の1程度である(軍事独裁だと半数程度)。この事実は、個人独裁の方が指導者はより権力にしがみつきやすく、それに伴う望ましくない事態(挽回のための隣国への戦争開始など)も生じやすいことを示唆する。そして世界の権威主義国を見渡すと、他の独裁体制が減少傾向にある中で個人独裁の数は増加している。

 権威主義リーダーの交代方法は、冷戦時にはクーデターがもっとも一般的だったが、冷戦後には急減した。代わりに「「通常の」退出」と呼ばれる、辞任や任期に伴う交代が増加している。だが相変わらず2割ほどの独裁者は死ぬまで権力の座に居座る。なお、リーダーの交代と権威主義体制の変動とは区別する必要がある。反乱や民衆蜂起によるリーダー交代では、8割以上が体制変動を伴うのに対し、クーデターの場合、その半数では体制が維持される。そして独裁者の死によるリーダー交代は、ほとんどの場合体制変動には結びつかない。

 権威主義体制そのものの崩壊要因は、冷戦時には軍事クーデターが最も多かったが、冷戦後は選挙と民衆蜂起がその主たる要因である。しかし、権威主義体制の崩壊は民主化を意味しない。第二次大戦後からの通算だと半数、冷戦後だと3割の権威主義体制崩壊は、別の新たな権威主義体制の樹立(あるいは国家の崩壊)につながっただけで、民主化はもたらさなかった。そして個人独裁の場合には、体制崩壊後に新たな独裁が生じるだけで終わる可能性が最も高い。

 独裁国というと「暴力と圧政で国民を終始押さえつけている」イメージを持つ人も多いだろう。確かにそのような独裁国もあるし、独裁国はそのような牙を頻繁に剥くというのも事実だが、一方で独裁者は必ずしも圧政にのみ頼っているわけではない。独裁者もまた国民の支持を獲得しようとするし、公正ではないにせよ野党も参加可能な競争選挙を行う独裁国も少なくない。東島雅昌・著『民主主義を装う権威主義──世界化する選挙独裁とその論理』(千倉書房)は、近年特に増えている選挙権威主義について、そもそもなぜ選挙をするのか、選挙に際して独裁者はいかなる手段を用いるのか、独裁者は圧倒的に有利であるにもかかわらずなぜしばしば自身が認めた選挙で負けてしまうのか、といった問題を考察する。学術書ではあるが論旨は明快なので、学術書としては読みやすい部類に属する。

 独裁者が選挙を行う便益として、著者は三つの要素を挙げる。第一は、自身が広く国民に支持されていることを誇示する効果である。このためには、独裁者は僅差の勝利ではなく圧勝する必要がある。第二は、国民の不満を吸い上げそれに応える(例えば横暴な地方官僚が批判を集めているなら交代させる)ことで、体制の安定化を図る情報収集の効果である。第三は、選挙によって反体制派、野党を分断させる効果である。選挙が行われると、まず野党は選挙に参加するかボイコットするかの選択を迫られ、野党の足並みが乱れる。また参加する場合には、野党同士が競合して連携できなくなる場合もあり、これも独裁者にとっては好都合である。

 ただしこうした便益を得られるかどうかは、独裁者が選挙においてどのような選挙操作を行うかによる。選挙において大規模な票の不正集計や弾圧を行った場合には、選挙結果が信頼性に乏しいことは明白なので、誇示効果は乏しく、情報収集としても機能しない。野党はむしろ結束して独裁者への反対・抗議運動を行うだろう。一方、独裁者が自身の実力を過信して「過小な選挙操作」しか行わなかった場合には、独裁者は選挙に負けてしまうかもしれない[4]。

 選挙が独裁者の地位を揺るがす場合として、本書では「統治エリートによるクーデター」と「民衆の抗議運動」の二つを挙げている。前者は、独裁者が選挙操作をあまり行わず、選挙に敗北、あるいは僅差でしか勝利できなかった場合に生じやすい。この場合、統治層のエリートたち(特に軍部など)は現在の指導者の不人気に気づくので、自身の地位を守るために指導者を交代させようとする。後者は、独裁者が露骨な弾圧や選挙不正を行うことで、野党や国民が結集して独裁者への反対運動を引き起こしてしまう状況である。

 そのため、独裁者にとっては選挙操作を小さくしつつ選挙で圧勝することが最良である。これが実現できるか否かは、独裁者が経済資源、特に石油や天然ガスなどの地下資源を有しているかが重要である。潤沢な経済資源を有する独裁者は、選挙前のバラマキや支持者への資源配分などによって、国民から忠誠を金で買うことができる。一方、豊かでない独裁者は国民に対して鞭を振るうことしかできない。本書では、豊かな石油資源を持つカザフスタンのナザルバエフ政権(2000年代半ばからは露骨な選挙不正は行われなくなった)と、豊かでないキルギスのアカエフ政権(2005年のチューリップ革命で政権崩壊)とで運命がいかに分かれたかが詳述されている。

ポピュリズム

 ポピュリズムについて考えたいならば、カス・ミュデ、クリストバル・ロビラ・カルトワッセル・著『ポピュリズム──デモクラシーの友と敵』(永井大輔、髙山裕二訳、白水社)は、簡潔ながら要を得た入門書である。

 本書ではポピュリズムは、「社会は「汚れなき人民」と「腐敗したエリート」という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志の表現であるべきであるとする、中心の薄弱なイデオロギー」と定義されている。彼らの定義はポピュリズムの標準的定義の一つとして幅広く用いられている[5]。中心が薄弱であるという特徴は、ポピュリズムが他のイデオロギーと融通無碍に結合し順応することをよく説明している。ただし、ポピュリズムは「何でもあり」なわけではなく、ポピュリズムと正反対のものとして、著者らはエリート主義と多元主義の二つを挙げている。

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