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ピアニスト・藤田真央エッセイ #74〈能登でのホープ・コンサート〉

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 2024年11月10日深夜。カーネギーホールでのリサイタルを終えた私は、大きなキャリーケースを引いて楽屋を後にした。翌朝5時に羽田空港へ到着する深夜便に飛び乗ったのは、午前10時から東京で大切なリハーサルを控えていたからだ。
 小さなピアノ庫で待っていてくださったのは、ヴァイオリニスト五嶋みどりさんだった。みどりさんは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのアジアツアーの真っ只中。そんなみどりさんのお声掛けによって、私たちは11月13日、14日に石川県・能登にて「ホープ・コンサート2024」を行うべく、ここに集まった。

 2024年元日、能登半島を大地震が襲った時、私の頭に浮かんだのは亡き祖父の顔だった。福島県に住んでいた祖父は、東日本大震災で被災した。幼少の頃、私は毎年夏休みと冬休みを祖父の家で過ごし、福島の豊かな自然を楽しんだものだ。雨後の土の香りや、朝方の鳥の声、露の滴る緑が懐かしい。だがその地域は原子力発電所事故の影響で立ち入ることができなくなり、しばらくの間祖父は私たち家族の家で一緒に暮らしていた。祖父から聞いた地震直後の現地の状況や、被災された方々の悲痛な叫びを思い出すと今でも胸が苦しくなる。

「能登で特別なプロジェクトを一緒に行いませんか?」というメールを五嶋みどりさんより頂いたのは、地震発生から1か月も経たない頃だった。幼いころから巨匠と仰ぎ見ていた存在からの突然のメールに、驚きながらも私は二つ返事で了承をした。30年以上、人々に”本物の音楽”を届ける活動を続け、日本人唯一の国連ピース・メッセンジャーでもあるみどりさんは、早速被災地の方々とコンタクトを取り、計画を進めてくださった。その後みどりさんとはZoomなどを通じて何度かやり取りさせて頂いたが、きちんとお会いできたのは、10月が初めてのこととなった。

 秋晴れがさわやかな楽都・ウィーン。みどりさんが出演されているウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に私も赴いた。楽友協会にてアンドリス・ネルソンス指揮の下、プロコフィエフ《ヴァイオリン協奏曲 第1番 Op.19》のソリストとして登場したみどりさんは、圧巻のオーラを放っていた。これほど誉れ高いホールに立ちながらも、静かな厳しさの中でひたすらに音楽と対峙している。全ての音は伸びやかでいながら、徹頭徹尾コントロールされていた。小柄なみどりさんが音楽の主導権を握り、ウィーン・フィルとネルソンスに的確に方向性を示す。完全な演奏を目の当たりにし、怖さまで感じた。

 終演後、みどりさんとの格の違いに呆然としつつも、私はリハーサル会場へ向かった。私たちが共演するのはベートーヴェン《ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第5番  Op.24》とフランク《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》の2曲。みどりさんはたった二時間前に演奏し終えたばかりだが、疲れなど微塵も見せず、先ほどステージ上で見せたのと同じ集中力でリハーサルに取り組んでいる。みどりさんはまさに一点一画おろそかにせず、常に二人で同じビジョンを持つことを大切にされていた。音楽の向かう先はどこか、フレーズのどこに照準を定めるのか、二人の音色をどのようなバランスで調和させるか、私のペダルの加減までも非常に細かく設計する。一方で、それらを考慮しながらもフレーズの息は長く、音楽の流れは滞ってはいけない。最初はこれらの両立は濡れずに水に入れというのと同じくらい困難だったが、幾度となく繰り返すと、ある瞬間から良いバランスに変化し、思わず私は笑みを浮かべた。みどりさんを見上げると「良くなってきましたね」と仰ってくれた。

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