イナダシュンスケ|ホルモン奉行、卒業。
第8回 ホルモン奉行、卒業。
人が何かを好きになる時。それは、気が付けば自然とそれを好きになっているだけではなく、好きになりたいと思ったものを好きになる、そんなことが結構あるのではないかと思っています。
僕は20代の頃、焼肉屋のいわゆる「ホルモン」を、好きになりたいと思っていました。そしてそれを実際に好きになっていたと思います。
当時「食通」の人々は、こんなことをよく言っていました。
「焼肉は、結局『ホルモン』に行き着くんだよ」
その世界観においてカルビやロースは、ビギナー向けないしは子供っぽい食べ物と見做されていました。
「カルビやロースなんて味としては単調極まりない。特に『上』が付くやつなんて結局、脂の味だろう? それに対してホルモンは、味わいも食感も多彩で、実に奥の深い食べ物なんだ」
これはかなり完璧な理論武装です。若き日の僕はすっかり感化されてしまったのです。
「最初はネギ塩タンでその店の実力を推し量る。その後はひたすらホルモンだね。どうしても赤い肉を食べたければ、カルビやロースじゃなくてハラミ一択」
言われるがままにその通りにしました。
「多彩な味わい」のホルモンを「ひたすら」食べんがため、ホルモンの品揃えがたくさんある店を選んで訪問しました。1年間だけ大阪に住んでいた時期は、何度となく、焼肉の聖地とも言われる鶴橋を訪れました。正直当時は、それが牛のホルモンなのか豚のホルモンなのかの区別すらついていませんでしたが、煙立ち込める小汚い店で「コブクロ」「ウルテ」「ノドブエ」といった、見たこともない部位を見かけると興奮しました。それはまるで、インディーズのレコードを買い漁っていた中学生の頃のよう。
「クラスでこんなの聴いてるの俺だけだよね、フッ」
みたいな、いわゆる「中二病」です。
世の中二病の常として、知識だけは雪だるま式に増えていきます。
鶴橋ではない街中の小綺麗な焼肉屋で友人たちと網を囲む時も、
「この『ギアラ』って何やろな?」
「えーなにー、初めて見たー」
みたいな初々しい会話にもついつい割って入ってしまい、
「ギアラは『赤セン』とも言って、牛の第4胃な。ちなみに1から3がミノ・ ハチノス・センマイなんだけど、それらは正確には胃じゃなくて食道」
みたいな、全く求められていない知識までご開陳してしまいます。
「で、結局それうまいん?」
という本質的な質問で僕のオタクトークを遮ってくれた、場の読める友人の優しい気遣いにも気付かず、やっぱりそれにも全力で答えてしまいます。
「ギアラはクセがなくって脂も程々、ブリッとした食感で俺は結構好きやな」
そうなると場の流れ的には当然、ほなそれも頼んどこか、ということになります。
しばらく経って、店員さんが運んできたギアラを受け取った僕は、それを全部一気に網の上にぶちまけます。それはつまり、焼肉通から聞き齧った
「ホルモンは一切れずつちまちま焼いて食うもんじゃない。一皿いっぺんに焼いて、焦げる前にワシワシかっ喰らうのが正しい」
という託宣を実践したまでのことですが、その場のメンバーは当然引いています。
その時の友人たちには、本当に申し訳なかったと謝りたい。というか、穴があったら入りたい。本当にごめんなさい。黒歴史です。
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