【全文無料】イナダシュンスケ│小生、蕎麦を語る
第7回 小生、蕎麦を語る
蕎麦の良さがわからぬ、と言う人は少なからず存在します。僕もかつてそうでした。東京や長野などの蕎麦文化圏で幼少時から蕎麦に慣れ親しんできた人には理解しにくい嘆きかもしれません。
そんな人々に、今の僕から何かアドバイスできるとしたらこうです。
蕎麦は、「ただの麺じゃねえかこんなもん」という気持ちで食べましょう。
蕎麦はとかく特別な食べ物として語られがちです。すなわち、香りを楽しむ繊細で高尚な文化である、と。もちろん喉越しや汁の味などにも細かく言及されがちではありますが、蕎麦そのものの香りに関してはひときわ特別です。
なので、グルメサイトなんかで蕎麦屋さんの口コミを物色していると、
「喉越しは悪くないが香りは物足りない」
という批評がやたらと目につきます。そうか、この店はイマイチなのか、と判断して別の店をあたると、そこにも
「いかにも江戸前の辛汁は小生の好みだが、蕎麦の香りの乏しさはいただけない」
と書いてあります。
そんないかにも蕎麦に造詣の深そうな小生氏のアカウントページから他の店のレビューもあたると、結局どこの店に行っても「香りが弱い」とシカツメラシク解説しています。それでもめげずに延々2メートルくらい下にスクロールしていくと、ようやく、「香りも悪くない」と書いてある店が出現します。しかしそこには「天ぷらは素人レベル」とも書かれています。
どうやら小生氏(男性・50代後半・レビュー数723)は、一生食べ物では幸せになれないタイプの人のようです。僕はため息をついて、結局最初に物色した店に出かけます。結局そこの蕎麦は、ひんやりして細くて長くていい匂いがしておいしいです。汁からも鰹のいい匂いがして、甘じょっぱくておいしいです。
斯様に、蕎麦における「香り」は呪縛です。蕎麦文化圏外から来た人間は、こういったレビューすら真に受けてしまいます。世に数多ある、蕎麦に関してシカツメラシク書かれたテキストも全て真に受けます。結果、「蕎麦は香りを楽しまねばならぬ」という強烈な思想が刷り込まれます。ついでに、蕎麦を汁につける割合や、ネギやワサビの取り扱いに関する注意事項から立ち居振る舞いに至るまで、様々なしきたりに怯えもします。
しかし同時に、そのようなしきたりさえ遵守すれば、そこでは粋でいなせで鮮烈で野趣溢れた香りの洪水が待ち受けているのであろう、と期待を高めます。
意を決して蕎麦屋に出かけます。確かにおいしいです。もちろんいい匂いもします。しかし、香りの洪水というほどではありません。
「おいしかったけど香りはもうひとつなのかな?」
と思ってしまいます。
場合によっては迂闊にそれをどこかに書き散らしてしまいます。
新たな「小生」の誕生です。
当たり前すぎてあまり誰も気づいていないかもしれませんが、うどんって案外、香りの強い食べ物です。おいしい讃岐うどんなんかは、独特の香ばしさみたいなものもあって、どうして小麦粉を練って伸ばして切って茹でただけのものからこんな匂いがするのか不思議になります。
特別なうどんと言わず、スーパーで袋に入っている茹で麺だって、ずいぶん豊かな香りがあります。噓だと思うなら、うどんつゆをこしらえて、まずはそれだけを味見してみてください。それからそこに麺を入れて軽く煮立て、それからそのつゆをもう一度味見してみてください。つゆの味も香りも激変していることに気づくはずです。
そうめんは、うどんよりさらに香りの強い麺です。これは熟成の作用なのでしょうか。ただの細くて白いだけの軟弱な食べ物ではないのです。これにはもう少し多くの人が気づいているような気もします。なんとなれば、そうめんは値段もピンキリですが、少なからぬ人々が、ちょっと無理をしてでも高いやつを買うからです。おおむね高いやつの方が香りも強いです。ほんと日本人はグルメです。
スパゲッティもなかなかです。小麦粉を練って細くしたという意味ではうどんやそうめんとそう変わらないはずなのに、やっぱり明らかに違う、華やかな匂いがします。昔から不思議に思っているのですが、トルコ産の激安スパゲッティの方がイタリア産の有名ブランドより香りが強い、というか独特な香りがすることがあります。どこかシナモンを思わせるようなスパイシーな香り。さらに不思議なことに「手造り・オーガニック」などと書かれている意識高い感じの高級品にも、よくこのスパイシーな独特の香りがあります。理由は分かりません。
ラーメンの匂いは、粉というよりカンスイの匂いが支配的なので少し特別ですが、ラーメンのラーメンらしさはやっぱり匂いに負う部分が大きそうです。
小麦粉から離れると、ビーフンもまたビーフンにしか無い匂いがあります。木箱や樽を思わせるその香りには、なぜかそうめんに似たニュアンスもあります。
なんだか麺の匂い限定のソムリエみたいになってきましたが、要は、おいしい麺はおしなべて良い匂いがするものであり、蕎麦もその中のひとつである、ということです。「ただの麺じゃねえかこんなもん」とは、そういう意味です。
少し真面目な話をすると(って、ここまでも僕は大真面目なのですが)、蕎麦の食感(蕎麦用語で言うところの喉越し?)にはランクめいたものも確かにあるような気はします。いい蕎麦屋>自分で茹でる乾麺>立ち食い蕎麦 みたいな感じでしょうか。もっともそれとて好みの問題ですし、立ち食い蕎麦も店やタイミングによってぐっと上に浮上したりします。
香りにもランクや好みはきっとあるのでしょう。でも少なくともそれは単純な「強い/弱い」ではないのではないか、ということには薄々気づいています。皆さんも(小生氏も)そのことに気付いた方が幸せを逃さないと思います。香りが強かろうが弱かろうが、いい匂いであることには変わりありませんし、それがあるから蕎麦はおいしい麺なのです。
だから汁をどっぷり付けたところで蕎麦はマズくはなりません。ネギやワサビも入れたきゃ入れればいいじゃん。邪道と言われがちなカレー南蛮も、最近巷でたまに見かける牛肉ラー油蕎麦なんていうニューカマーも、それが好きな人にはたまらないでしょう。そこまでしたって蕎麦の香りがおいそれとは消失しないことは、誰もが実は気付いているはずです。
僕はかつて「自分は蕎麦音痴である」という内容の謙虚な小文をしたためたことがあります。ところがものの数年でこのていたらく。こうやって、蕎麦に関する無駄に面倒臭いテキストをまたひとつ世の中に増やしてしまいました。蕎麦というものは、とかく小生をして何事かを語らせずにはいられない、魔力の如きものを有しているのでありましょう。
第7回・了
[次回: 2022年9月下旬に更新します]
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!