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『aftersun/アフターサン』――父と娘を映しだし、心揺さぶる特異なショット|透明ランナー

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 2023年5月26日(金)に日本公開された1本の映画が、公開から1ヶ月以上経っても口コミで多くの観客を集め、「エモい」「刺さった」と評判になっています。『aftersun/アフターサン』(2022)はスコットランド出身の監督シャーロット・ウェルズ(1987-)の長編第1作で、彼女の半自伝的な物語でもあります。

 11歳の夏休み、トルコのリゾート地にやってきたソフィ(フランキー・コリオ)と、離れて暮らす父カラム(ポール・メスカル)。プールやビリヤードで遊んだりする中で、ふたりはビデオカメラを向け合い、親密な時間を過ごします。それから20年後、カラムと同じ歳になったソフィは、ビデオカメラに映る父の姿を振り返りながら、当時は気付かなかった父の一面を記憶の彼方に見出していきます。

 『aftersun/アフターサン』が多くの人にとって複雑な感情を呼び起こす理由は、その脚本やふたりの演技の中にだけあるわけではありません。この映画には心を揺さぶる独特なショットの数々が登場するとともに、普通よく見られるテクニックが抑制的に使われ、そのぶん際立った効果をもたらしています。


特異なショット

 『aftersun/アフターサン』にはいくつもの特異なショットがあり、それが本作を独特なものにしています。

 この映画を象徴するショットのひとつは、画面の右側でカラムがギプスを取っている一方、左側ではソフィが椅子に座って雑誌を読んでいる場面です。カラムは明かりもつけずに青黒いバスルームの中で淡々と作業し、ソフィの姿は暖色のランプに包まれています。ふたりのライティングは対照的で、なにか異様なものを感じます。

 このシーン、脚本にはこのように書き込まれています。

In a wide two-shot covering both bedroom and bathroom, Sophie
reluctantly puts down her magazine and opens up the book.
SOPHIE:What does "municipal” mean?

 ソフィの「地方自治体ってどういう意味?」という質問にカラムがどう対応したのかは本作のキーポイントですが、「In a wide two-shot covering both bedroom and bathroom」という条件もまた非常に重要なものでした。ウェルズはこの脚本が実現できるホテルを探し回り、ようやく見つけたのが本作のロケ地だったのです。

 思わぬ副産物も生まれました。劇中でストロボのシーンと同じくらい何度も反復されるイメージがパラグライダーです。これはロケ地のホテルが決まった後、その周りで飛んでいたのを映画に取り入れたものです。

 『aftersun/アフターサン』はウェルズの半自伝的物語と言われていますが、彼女の記憶にはないパラグライダーが重要な要素として作劇に取り込まれていることになります。明るいトルコの日差しの中を優雅に飛ぶパラグライダーは、見方によっては生の喜びの象徴にも、死がすぐ側にあることの隠喩にもなっています。

 この映画におけるソフィとカラムは常に対照的な存在として描かれます。特にカラムがひとりで海に入っていくシーンは、まるで人ならざるものを映すかのようです。撮影監督のグレゴリー・オークは、「カラムがビーチを歩いて海に入っていくシーンなど、彼のみが映っているときは、あえてソフィのシーンよりも非現実的かつ演劇的になるようにして、より様式化されたルックを目指しました」と話します[1]。

クック・ルック

 『aftersun/アフターサン』では20年前のテープに残るホームビデオの映像が随所に用いられます。粗い粒子で再生される映像は断片的な記憶を呼び起こし、ノスタルジックな雰囲気を醸し出します。

 ホームビデオの映像を大胆に挿入することは、一見本作の特徴のように思えます。しかしもし皆さんがこのような物語を構想した場合、この場面の画をどう作るでしょうか。普通に考えれば粗い粒子の映像にするでしょう。その選択はさほど難しいことではありません。

 この映画を決定づける要素はむしろ、ホームビデオ以外のルックなのです。1990年代後半という設定にふさわしく、ホームビデオの映像とも馴染み、かつ現代のスクリーンに耐えうる画を作る――それは並大抵のことではありません。そこで選択されたのが35mmフィルムです。

 撮影監督のグレゴリー・オークのこだわりでもあったのですが、35ミリフィルムで撮影することは本作を語る上では欠かすことのできない要素でした。デジタル撮影にはない質感が35ミリにはあり、本作が描く記憶のぼんやりとした感じ、ソフトな質感を表現するためにはフィルムが必要だったのです。デジタル撮影だとあまりにもクッキリとし過ぎてしまうのです。フィルムで撮影することで、古い写真や使い捨てカメラで撮った写真の感覚を表現できると思いましたし、フィルムのルックを用いることで観客が“あの時代”を意識せずにさかのぼれると思いました。

https://lp.p.pia.jp/article/news/274588/index.html

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