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ピアニスト・藤田真央エッセイ #75〈能登・被災地でのコンサート〉

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 続いて今晩のホープ・コンサートの会場である輪島市立輪島中学校の体育館へ向かう。私たちが到着した時には、ボランティアの方々が体育館いっぱいに椅子を並べてくれていた。みどりさんと私はステージに上がらず、客席の皆さんと同じ目線で演奏することにした。これで奏者とお客さんが同じ時間を共有していることを、より強く実感できるだろう。肝心のピアノはというと、ここでもカワイ楽器の提供により、Shigeru Kawaiを静岡県から輪島市まで運んで頂いた。というのも、現在ベルリンの自宅で私はShigeru Kawaiを使って練習しているのだ。このご協力により、一切の楽器の心配なく、リハーサル時からみどりさんとバランスの調整を細かく行うことができた。

 利用できる部屋数が限られているため、リハーサルから本番までの間、私とみどりさんは同じ楽屋をシェアした。みどりさんはベートーヴェン「春」の第一音目「ラ」を何度も繰り返してはピッチの微妙な加減を調節したり、ビブラートの掛け方を研究したり(10分は優に超えていた)、バッハ《パルティータ シャコンヌ》の最初の重音を、確かめるようにゆっくりと調整していた。輝かしいキャリアの中でこれまで幾度となく弾いてこられたであろう名曲でも、万全の準備と真摯な姿勢を怠らないのだ。

 開演30分前になり、着替えをしようと私は別室に立った。机も椅子も何もない、広い物置場だ。ただ私の体力は限界に達していたのだろう、地べたに寝転がるといつの間にか寝てしまっていた。4日前までパリに、2日前までニューヨークにいたため、体内時計は壊れた時計のように、長針と短針がぐるぐると回っていた。加えて朝からめまぐるしい感情が私の中に渦巻いていたので、遂にバテてしまったようだ。やがて遠くから「藤田さーん」と呼ぶ声を微かに感じ、急いで起きると既に開演の時間を過ぎていた。未だ普段着の私は急いで衣装に着替え、猛ダッシュで舞台袖に向かう。体育館へ入るとたくさんのお客さんが私たちを待ち侘びてくださり、お待たせしてしまった申し訳なさと共に、気合を入れ直しピアノに向かった。

 ベートーヴェン《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第5番 Op.24》では4小節単位のフレーズをより細かく分析し、全ての旋律やハーモニーを異なる表現で印象付けた。私はペダルを薄く踏み、右手のヘ長調の分散和音をはっきり奏でることで、フォルテピアノ的な要素を前面に出した。私の悪い癖で、一つのことに集中し過ぎてしまうとそれしか考えられなくなり、他のものは疎かになってしまう。今回で言えば、ハーモニーやペダルを念頭に置き過ぎてしまうと、音楽の流れが悪くなってスムーズに進まなくなる。その点をみどりさんとのリハーサル時に気がつき(実際みどりさんのフレージングは驚くほど長く滑らかである)、常にフレーズの終わりを意識しつつ、要となるハーモニーを奏でる際に意識づけを行う程度の時間の使い方を学ばせて頂いた。二楽章においても雄弁に歌いつつ、メロディの向かう先を意識する。常に音楽の流れを循環させることを自分に言い聞かせた。

 フランク《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》は、主音や主調が現れない浮遊感のある一楽章から始まる。続く二楽章は技巧的なパッセージが満載の難所だ。そして美しいレチタティーヴォの三楽章、ヴァイオリンとピアノが追っかけっこするカノンの四楽章に終わる。私たちは楽譜に書いてあることを忠実に守りつつ、さまざまなニュアンスを自然に表現した。二、三楽章のドラマティックで背筋が凍るような張り詰めた空気感から、終楽章に移行した際の柔和な音色に解放された瞬間は、弾き手の私もどこか精神的な拠り所にたどり着いたような感覚を得た。

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