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二宮敦人「サマーレスキュー ポリゴンを駆け抜けろ!」#008

オンラインゲーム「ランドクラフト」内で、
ずっと千香のあとをつけてくる狼男。
このアナーキーな世界で、彼は何を求めているのだろうか…

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 ふと気が付くと、狼男は千香に向かってチャットを送り続けてきた。
〈たまたまお互いの都合がいいってことを、友達って言うんじゃねえのかな〉
 じっくり聞かせろよ、などと言った割には、自分の言いたいことを延々と送ってくるばかりだ。
〈つまり、大事なのは自分の都合だけだ〉
 千香は下唇を嚙んだ。
〈友達だけじゃねえ。親も兄弟も、恋人だって何だってそうじゃねえか。迷惑ばっかりかける親戚なんていらねえだろ? 今の恋人より綺麗で性格のいい相手が見つかったら乗り換えるだろうが。それが現実だ。馬鹿正直な奴だけが、置いて行かれて損をする〉
 狼男の執拗な言い様に、心がきりきりと痛んだ。
〈結局捨てられて、独りぼっちになるんだよ。そんなら友達なんて作らず、こっちから捨てちまった方がずっといい。なあそうだろ、おまぬけ人間〉
 送られてくる文章を読めば読むほど、千香は目の奥がじんと熱くなっていくのを感じた。自分の古傷をえぐられるせいなのか。それとも、狼男が泣いているように思えたからだろうか。

 パーティの翌々日の月曜日。
 校舎の二階、端から二番目の扉。四年二組の教室の前で、千香は中に入る勇気が出ないまま俯いていた。
 おひさま王国のアニバーサリーパーティには、結局ただの一人も来なかった。
 月曜日は大好きな図工の時間もあるし、いつもだったらまた友達に会える、と元気よく登校する日だ。でも今日は、みんなと顔を合わせるのが怖かった。背中のランドセルに入った教科書やノートが、ずっしりと重い。
「おはよ、千香」
 ぽんとランドセルを叩かれる。隣の席の子が、さっと扉を開いて教室に入っていった。普段と変わらない様子だった。千香もびくびくしながら後に続いたが、クラスは拍子抜けするほどいつも通りだった。たわいのない話でふざけ合い、笑い合っている。
 誰も、惨めだった土曜日をするようなことはしない。いや、土曜日にパーティがあったことを誰も覚えていない様子だった。千香は複雑な気持ちで、みんなの話に耳を傾けていた。
 扉が開き、巧己が教室に姿を現わした。その途端、教室がどよめいた。
「ヒーロー登場だ!」
「おい、聞いたぞ。昨日の試合でファインプレー連発して、六小に勝ったんだってな」
「次のエースナンバー、お前だって監督に言われたんだろ」
 あっという間に巧己の周りに人だかりができる。
 巧己は白い歯を見せて笑っている。
「はい、はい。朝の会始めるよ」
 やがて先生が入ってきた。目ざとい児童が、先生が持っているものを見つけて叫ぶ。
「先生、何その賞状?」
「これから説明するから」
「凄いぞ。読書感想文コンクール、金賞って書いてある」
「誰、誰」
「祥一だ。おい祥一、どんなの書いたんだよ」
 今度は祥一の周りに輪ができた。
 へえっ? と変な声を上げて祥一は本から顔を上げた。みんなに詰め寄られて、しどろもどろになりながら話した。
「いや、あれは。僕はただ、調べていたことをまとめただけ。遊牧民の歴史の本が凄く、その、奥深かったから。コンクールには、先生が出してくれて。それより今はアッピア街道が」
 千香は輪の外から、祥一や巧己を見つめていた。
 自分の活躍に堂々と胸を張る巧己も、困ったような顔を浮かべている祥一も、輝いて見えた。
 ちょっと前まで、クラスの中心にいたのは自分だったのに。
 潮が一斉に引いていくような気配と共に、ふいに理解した。
 これまでが特別だったのだ。
 自分が好きなものを、他人も好きになるのは当たり前だと思っていた。そしていつかはみんながランドクラフトを好きになると思っていた。クラスメイトも、お母さんも、お父さんも、みんなも。千香の王国は、どこまでも大きくなっていくのだと信じていた。
 でも、そうとは限らないのだ。
 みんなの関心は、少しずつ移り変わっていく。ランドクラフト博士として努力しようがしまいが、ランドクラフト博士そのものに価値がなくなっていく。みんなからあんな風に取り囲まれる喜びは、自分には二度と訪れない——。
 机の中に詰まっている「おひさま王国、建国計画」のノートたちが悲しくて、千香は教科書で挟んでランドセルに隠した。

 千香は目元を拭ってから、キーボードにそっと手を置いた。そしてゆっくりと、狼男に向かって文章を打ち込んだ。
〈何となくわかるよ。ずっと昔、私も友達にひどい裏切りをされたから〉
 狼男は黙ってこちらを見ている。
〈信じて待っていたのに、私にとって大切な日だったのに、誰も来てくれなかった。ショックだったよ。何より傷ついたのは、誰も悪気がなかったこと〉
 狼男は動かない。
〈友達だと言っても、さんざん私をランドクラフト博士だなんてもてはやしていても、そんなに簡単に忘れてしまうんだって。そんなに軽いものなんだって……悲しかった〉
〈そうだろ〉
 ぽつりとそれだけ返事が来た。さっきまでのまくし立てるような勢いは消えていた。
〈だから友達なんていらねえんだよな〉
〈ねえ、あなたはどうして3Tにいるの?〉
〈あ?〉
〈友達がいらないなら、マルチプレイじゃなくて、一人でゲームをすればいいのに。オフラインで〉
〈そりゃ、お前〉
 狼男はしばらく言葉に詰まったようだった。かすかにその視線が揺れている。マウスが震えているのだろう。千香を笑っていただろう時とはまた違う、不規則で間隔の長い震え。千香はキーボードを打たずにじっと待った。
〈だって仕方ねえだろ〉
 二回に分けて、狼男は答えた。
〈つい来ちまうんだよ。パソコンに向かうと、何だか今日はあいつがいるような気がして。バカやってた頃みたいにさ、また元通り……わかってんだ。誰もいない。ずっと雪の中でぼーっとしてても、通りかかる奴すらいない。それはわかってるのに、俺、今日もまた……〉
 ゲーム越しなのに、悲しみが伝わってきた。今度は千香のマウスが震えた。下唇を嚙んで、震える指で文字を綴った。
〈私、気づいたことがあるんだ〉
 静かな部屋に、パチパチとキーボードを叩く音が響く。音は断続的に続いてはしばらく止まり、また続いては止まる。息を吸っては吐くように。
〈さっきの本を書いた友達、歴史が大好きなのね。おかげでこの頃は話もできなくて、どんどん気持ちが離れていくようだった。でも、彼は今ランドクラフトにいる。ランドクラフトの歴史に魅了されている。何だかまた、距離が近づいたような気がしたんだ〉
 書きながら、千香は自分で何度も頷いていた。
〈彼は別に、私と仲直りするためにエンパイア大戦を調べてるわけじゃない。ただ、やりたいようにしているだけ。そういう意味では自由なんだけど、でもそんな彼が、私は嬉しかった〉
 そう。そうだよ。そういうことだよ。
〈あなたの言う通り、私たちは同じバスに乗り合わせただけかもしれない。でも、バスを降りても今度は地下鉄とか、歩道とか、思わぬところでまた一緒になるんだよ。全然違う道を通ってきたから、お互い面白い話ができるはず。そしてまた、いつかは別れる……でも、また会えたらいいねって。その時はまた話そうねって。そういうことを繰り返す、それが友達なんじゃないのかな〉
〈偉そうに〉
〈ごめん〉
〈俺とあいつのことなんか、何も知らねえくせに……〉
〈そうだよね。たぶんあなたじゃなくて、昔の自分に言いたかったのかもしれない〉
〈むかつく。自分に酔ってんな、お前〉
 しばらく何の音もしなかった。
 いつの間にか、天井の向こうで続いていた爆発音は途絶えている。
〈おい〉
 狼男が言った。
〈何〉
〈本気でそう思ったのか?〉
〈うん。だって、私はあの本を読むまで、彼とはもう一生仲良く話せないのかも、と思っていたくらいだもの〉
〈お前の話は聞いてねえよ! その後だ〉
〈どういうこと〉
〈だから。別れちまった友達と、もう一度巡り会えると思うか?〉
 狼男が身を乗り出す。インターネットの向こうで、誰かが真剣な瞳をしている。
〈そう信じるよ〉
〈その友達に、何つうか。考えられる中で最悪のことをして。ひどいことを言って、傷つけて。そのまま別れてしまった場合でも、そう思うか〉
 千香も、真剣な表情でディスプレイを見つめた。狼男の姿の向こう側、プレイヤーに届くよう、声を出しながら打ち込んだ。
〈相手が生きている限りは〉
〈でもよ、怒ってるんじゃねえかな〉
〈ちゃんと謝れば、大丈夫〉
〈そうか〉
〈謝れるうちに、謝るべきだよ〉
 狼男はもう一度、〈そうか〉とだけ返した。

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