見出し画像

荒木あかね最新ミステリー「おむこさんは殺人鬼」〈後篇〉

「わたしの彼は殺人鬼かもしれない…」
疑念を晴らすため婚約者の跡をつけた加奈は、
知らないアパートに入っていく彼の姿を目撃する。
見つからないように駆け込んだ隣家の住人「徳田さん」はなぜか、
彼の素性を探るのにノリノリで……

前篇へ / TOPページへ

おむこさんは殺人鬼
<後篇>

 わたしはまず、今日のデート終わりに彼を尾行したときのことを徳田さんに報告した。彼が横浜駅周辺で購入した怪しげな品々について、徳田さんは大いに関心を持ったようだった。
「レジャーシートにノコギリにスコップねぇ。一見すると遺体を解体して埋めるための道具だけど、どこかちぐはぐな印象を受ける」
「一応、彼が花屋から出てきたところの写真もスマホで撮ってるんです」
 カメラロールを開くと、徳田さんは「いい判断だね」と破顔した。
「写真や録音データなんかで記録を残すのは、捜査の基本のキだからね。証拠を摑んだら離さないようにしておくんだよ」
「捜査だなんて、そんな大袈裟な」
 徳田さんは老眼鏡をかけたり外したりしながら、花屋の外を歩く彼の画像を最大まで拡大する。彼が右手に提げたビニール袋の中に入っている、除草剤のボトルに注目しているようだ。目を細めて見れば、ラベルには「グリホサート」と印字されていた。
「今から十五年ほど前、スーパーで購入したペットボトルの中に除草剤が混入していたという事件があった。死人は出なかったけどね。その除草剤がグリホサートだったと記憶している」
「じゃあやっぱり、殺人の道具ってことですか?」
 徳田さんは腕を組んで、「そうは思わない」と唸るように言った。
「他の毒物と比較すると除草剤の致死量は多すぎるんだよ。大抵、味の変化に気づかれて吐き出されるから殺人には向かない。それに、レジャーシートやノコギリ、つまり死体処理の道具を同じ店で一気に揃えるというのも不自然だと思うよ。もし彼が本当に殺人犯だったとして、その殺人の痕跡を辿られたくないのなら、別々の場所で時間をかけて集めるだろうからね」
「でも、どう見ても人を殺すための品々じゃないですか」
 わたしの見立てはこうだ。
 普段の彼は善良な警察官だが、実のところ殺人衝動を抱えており、恐らく既に何度か罪を犯している。県警の独身寮ではできない後ろ暗いことをやるために、横浜から離れたこの鵜の木駅に部屋を借りているのだ。二週間前、彼は目の前のアパートで和田雪那さんを殺害し、遺体をすぐ近くの鵜の木松山公園に埋めた。しかしそれでもまだ飽き足らず、未だに殺人の道具を買い集めている。つまり、殺しを繰り返そうとしているのだ——。
 徳田さんは「一度落ち着きなさいよ」と笑った。
「彼はSNSはやってる?」
 脈絡のない質問だ。わたしは首を傾げる。
「いえ。以前インスタをやってるかどうか尋ねたとき、そういうのは煩わしいから何もやってないって言ってました」
「本当にやってないかどうか、調べてみようか」
 徳田さんから、彼についていくつか質問された。本名、出身高校、出身大学、仲の良い同僚や友人の名前、最近彼の身の回りで起こった出来事、デートで一緒に行ったレストランの名前。
 徳田さんはスラックスのポケットから自分のスマホを取り出すと、十五分くらいそれを弄っていた。ちらっと目に入った画面にはインスタやツイッターの検索画面が映っていたので、徳田さんっておばあちゃんなのにSNS使う方なんだ、なんて感心していたら、突然そのスマホを目の前に突きつけられた。
「はいこれ。麦ちゃんの彼氏。インスタとツイッターでアカウント作ってるよ」
 驚きのあまり、一瞬視界が揺れた。スマホを受け取り画面を覗いてみれば、そこにはツイッターのプロフィールが表示されていた。アカウント名は彼の名前から連想できるようなものではないのに、プロフィール画像に設定されている写真の風景に見覚えがあった。
「どうしてわかったんですか。彼、本名使ってないのに」
「SNSを日記みたいに頻繁に更新しているタイプなら、行動履歴から簡単に割り出せる」
「ええ……?」
「まず、検索画面に彼と親しい人の名前を適当に打ち込んで、本名でSNSをやってる友人のアカウントを見つけた。次に、そいつと会話している複数のアカウントの中でいくつか目星をつける。仕上げに、麦ちゃんとのデートで遊びに行った場所やレストランの名を検索画面に入力して、ヒットしたのを絞り込んでいった。——年齢で判断されちゃ困るね」
 いたずらっぽくウインクする徳田さん。曰く、ツイッターを特定したら芋蔓式にインスタのアカウントも判明したらしい。まるで刑事か名探偵か、はたまたSNSの扱いに慣れきった若者のような手並みだ。徳田さんを侮っていたことを心の中でこっそり反省した。
「わたしこれ、知りませんでした」
「彼女に言えないSNSアカウントがあったんだね。しかも趣味用のアカウントでもなさそうだよ。これはやましいことをやってる可能性大だ」
 人に指摘されると反発したくなって、「鍵垢じゃないんだから、そんなに怪しいわけでもないでしょう」などとつい彼を庇ってしまう。
 実際、彼の投稿に怪しい点はなかった。投稿頻度もそれほど高くはなく、たまに出先の写真を載せたり、友人からリプライをもらって少し会話している程度。昔の同級生たちと繫がるためにやってるSNSという印象だった。プロフィール画像に設定されている風景の写真が、恐らくわたしとデートしているときに撮影したものであろうことにも安心感を覚える。
 画面をスクロールして投稿を遡っていた徳田さんは手の動きを止め、目を見開いた。「ほら、これ見てごらん」
 一つの投稿をタップすると、スマホごとわたしにパスする。少し前に、彼はこう呟いていた。
『想像以上に堪える。悲しい』
 妙に悲愴感の漂う文面。明らかに異質なツイートだった。前後の文章を確認してみると、どうやら飼育していたインコが死んでしまったようだ。
『ペットって家族だもんな。安らかに眠ってほしい』
 日付を見てはっとした。十月八日——ちょうど彼と会った日の朝に投稿されている。彼の爪が土で汚れていた日だ。
「先々週の日曜日、彼は休みだったんでしょう。その日の朝、彼は飼ってたインコを埋めてやるために手で土を掘ってやったんだろうね。それから麦ちゃんの家に向かったから、爪の間に土が残ってた」
 拍子抜けするほど単純な答えだった。体から一気に力が抜けていくのがわかった。
 飼っていたインコを埋葬してやっていたのを人間の死体遺棄と勘違いするなんて、我ながら自分の想像力の逞しさに呆れる。
「よかったぁ、これで一つ謎が解決しましたね。ツイートも別に怪しくなかったし」
「そりゃオープンなアカウントで殺人衝動について赤裸々に語ったりしないでしょう。安心するのはまだ早いよ。投稿の内容自体は怪しくないけど、フォロワー欄に怪しい鍵垢があったからね」
「怪しいって、どんなふうに?」
「十中八九女の子のアカウント。浮気してるのかもね」
 徳田さんはフォロワー欄をタップし、あるアカウントのプロフィール画面を表示させた。アカウント名は『ひめ』。鍵垢なのでツイートはチェックできないが、確かに女性っぽい名前とプロフィールだった。しかも彼と相互フォローだ。
「浮気相手と鍵垢でやり取りするのは定番だよ。もしかしたら彼も鍵垢を持ってるかもしれない」
 おでこの皺を擦りつつ、なんだか険しい表情を浮かべる徳田さん。
「警察の単身公舎では、基本的にペットは禁止されてる。金魚や小動物は許されることもあるけれど、鳥は鳴くでしょう。うるさいのは普通嫌われる。インコを飼ってたのは十中八九浮気相手の女だね」
 そういえば、インコを飼っていたなんて、彼の口から一度も聞いたことがなかった。あの日も彼は普段通りで、わたしの前でペットを失った悲しみについて吐露することもなかった。でも——。
「待ってください。浮気相手のペットとは限らないんじゃないですか。実家で飼ってたのかもしれませんよ」
「彼のご実家はどこ?」
「鹿児島ですけど」
「いくらペットは家族って言ったって、鹿児島までわざわざ埋めに行ってやるとは思えないね。絶対に浮気。しかも相手の家のインコに情が湧くくらい、相当な時間を一緒に過ごしていたんだ」
「……まあこの際、人殺しじゃなければ何でもいいです」
「人殺しじゃないとも言ってない。今は爪の間の土についてわかっただけだよ。あらゆる可能性を視野に入れなきゃ」
 すっかりされてしまったわたしは、徳田さんが次々にスクリーンショットを撮って彼の情報を保存していくのを黙って見つめていた。作業をあらかた終えると、徳田さんはこちらに視線を寄越す。
「明日は休み?」
「はい」
「じゃあここに泊まりなさい」
「え、流石にそれはちょっと」
 わたしは慌ててタクシーを呼ぼうとしたが、徳田さんは聞く耳を持たない。それどころか強引に腕を引かれ、二階へと連れて行かれる。二階の角の部屋は寝室のようだった。
 徳田さんは真っ暗な中明かりも点けず、窓辺に向かって歩いていく。窓の正面には例のアパートがあり、彼が入っていった部屋がまだ光を放っているのがはっきりと見えた。
「どうして電気を点けないんですか」
「向こうから見えちゃうでしょ。交替で睡眠を取りながら、彼の部屋を見張るよ。彼が出てきたら尾行する」
 そう言うとベッドの下から革のトランクケースを引っ張り出し、蓋を開ける。ケースの中には様々な機器が整然と詰め込まれていた。一眼レフカメラやコンパクトなデジカメ、ボイスレコーダー、ビデオカメラ。暗視ゴーグルらしきものまである。
 三脚を窓際に立ててカメラをセットすると、徳田さんは何とも楽しそうに笑った。「赤外線暗視カメラ。一応録画もしておくよ」
 あっけにとられているうちに、徳田さんはさらに暗視ゴーグルまで頭に装着して、彼の部屋を見張りはじめる。
「徳田さんって、一体何者なんですか」
「探偵だったんだよ」
「探偵って、つまり興信所で働いてたってことですか?」
「こう見えて、ほんの数年前までは探偵事務所の所長をやってたんだよ。うちの事務所には浮気と不倫の調査専門チームを設置していてね、こういうのには慣れてるんだ」
 ようやく合点がいった。優れた洞察力やSNSまで駆使した捜査技術は、探偵時代に培われたものだったのか。徳田さんは向かいのアパートに目を据えたまま、囁くように言った。
「一に映像、二に音声、三四がなくて五に写真。覚えやすいでしょ」
「何の呪文ですか」
「映像と音声の証拠性は高いから、録画や録音で記録を残すのがベストなんだ。要するに証拠集めは大事って話だよ。依頼人を泣き寝入りさせないためには、とにかく形ある証拠を摑まなきゃならない」
 ふいと緊張の糸が解けて、わたしは忍び笑いを洩らした。元探偵で、しかも現役を退いた今も暗視ゴーグルや高性能カメラを常備しているだなんて、徳田さんは明らかに変わっている。けれど今はこの上なく頼もしかった。
 徳田さんの背中に問う。
「どうしてわたしに協力してくれるんですか」
 だってわたしは依頼人ではないし、徳田さんだってもう探偵じゃないのに。しかし徳田さんはあっけらかんと言ってのけた。
「血が騒ぐってのもあるけどね。若い子がしょぼくれてるのは見てられないんだよ」

ここから先は

18,299字

《読んで楽しむ、つながる》小説好きのためのコミュニティ! 月額800円で、人気作家の作品&インタビューや対談、エッセイが読み放題。作家の素…

「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!