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荒木あかね最新ミステリー!「おむこさんは殺人鬼」〈前篇〉をお届けします

江戸川乱歩賞を最年少で受賞。
『此の世の果ての殺人』で鮮烈デビューを果たした荒木あかねさんの新作短篇が到着! 主人公は結婚を決めたばかりの麦野加奈、30歳。
彼女の心をいま占めているのは…
[後篇:8/4(金)公開予定]

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おむこさんは殺人鬼
〈前篇〉

 では、あたくしは夢のお話をいたしましょう。あたくしは、ひとりぼっちでどこかの森をとおって、やっとのことでどこかのうちへつきました。家のなかには、人間と名のつくものはただの一人もいませんでしたが、壁にかかってる籠のなかに一羽の鳥がいて、その鳥が、
「かえんなよ、かえんなよ、わかよめご、おまえは人ごろしのうちにいる」
って、なきましたの。それからね、もう一ぺんおんなじことを申しましたの。ねえ、あなた、あたくし、夢をみたばかりなのよ。

「強盗のおむこさん」
『完訳 グリム童話集2』(岩波文庫、金田鬼一・訳)

 秋晴れの空はどこまでも高く澄み渡っていた。鮮やかに色づいた木々を背景に、二人のシルエットがくっきりと浮かび上がる。
 ライトグレーのタキシードを着た、ちようの男性が手を差し出すと、傍らの女性が微笑んでその手を取った。彼女は純白のウエディングドレスをまとっていた。身体にぴったりとフィットした細身のラインのドレスで、きゅっと締め付けられたウエストに自然と目がいく。
 フォーマルウェアに身を包んだ、彼女らの家族、友人、親戚、職場の仲間であろう人たちが列を成し、主役の二人に温かい視線を注いでいた。祭壇に見立てたガーデンアーチの下で、二人は永遠の愛を誓おうとしている。
 エスプレッソカップの小さな取っ手を指でなぞりながら、わたしは見知らぬ新郎新婦をぼんやりと眺めていた。
 高い吹き抜けのロビーに位置するこのカフェには大きなガラス窓があって、ホテルの広い庭を見渡すことができる。カフェの客はみんな、幸せをお裾分けしてもらったとでも言いたげな表情で窓の外のガーデンチャペルを見つめているが、わたしは穏やかな気持ちではいられなかった。
むぎちゃんは式挙げないの?」
 話しかけられ、意識をテーブルへと戻す。正面に座るちゃんは、両頰にえくぼを作ってわたしを見ていた。
「彼が忙しいからやめとこうってなった。無理にスケジュール調整するより、お金貯める方がいいよねって」
「最近はみんなそんな感じだよねぇ。あたしも結局、結婚式はしなかったもんな」
「うん。でもウエディングフォトは撮ることにしたよ」
「そうね。写真は絶対撮っておいた方がいい」
 注文していた季節のスイーツが運ばれてきた。早紀ちゃんのは渋皮栗のティラミスパフェ、わたしは紫芋のモンブランタルトだった。
「いつ籍入れるんだっけ?」
「今度、お互いの両親をこっちに呼んで食事会するんだ。それが終わってからかな」
 食事会は結納代わりの顔合わせみたいなもので、再来週の日曜日、横浜のホテルで行う予定だった。パフェのてっぺんに鎮座していた栗をスプーンですくい上げ、早紀ちゃんは頰に手を当てる。
「ドキドキだねぇ。何か心配なことはない?」
 胸の内に巣食う不安を数えだしたら、きっと両手の指でも足りない。でも早紀ちゃんには話せない。左手の薬指に嵌まったプラチナの婚約指輪に目を落とし、「大丈夫だよ」と笑ってみせた。
 窓から差し込んだ陽の光を受けて、エメラルドカットのダイヤモンドは眩しくきらめいている。約一ヵ月前、彼にプロポーズされたときから、婚約指輪はなるべく身に着けるようにしていた。
 年が明けたら三十一歳になる。早紀ちゃんも含めた高校時代からの仲良しグループの中では、わたしの結婚が一番遅い。二子玉川駅に程近いショッピングセンター内の大手シネコンで、アシスタントマネージャーとして働くわたしは、先行きにずっと不安を覚えていた。立派な肩書を持っているが、しがない契約社員だ。四つ上の彼からプロポーズされたときは正直、喜びよりも安堵の気持ちの方が勝った。
「やっとわたしもゴールインできたよ」
 タルトの端っこを呑み下しながらそう呟くと、早紀ちゃんはカラカラと笑う。
「別に結婚が人生のゴールってわけではないでしょ」
「そうかな」
「麦野ちゃん、身構えすぎだよ。結婚なんて人生の中で起きるたくさんのイベントのうちの一つ、くらいの認識でいいんじゃない?」
 総合法律事務所でパラリーガルとして働いていた早紀ちゃんは三年前に職場の弁護士と結婚して、自身も一昨年司法試験に合格し、今年の一月から弁護士としてのキャリアをスタートさせていた。
 ——仕事も恋愛も、何もかもそつなくこなしてきた早紀ちゃんからしてみれば、そりゃ結婚なんて通過点に過ぎないよね。
 頭に浮かんだ嫌味な言葉を打ち消すように、軽く頭を振った。
「そのタルト、ハズレだった?」
 唐突に尋ねられ、「えっ」とおおに声を上げる。
「いや、さっきから進んでないからさ」
「美味しいよ。ただちょっと考え事してて」
「なに? 何かあった?」
 迷った末、「……友だちの話なんだけどね」と切り出す。噓の前置きとしてわかりやすすぎるような気もしたが、怪しまれてはいないようだった。
「この前友だちが、生活圏外の街で偶然彼氏の姿を見かけたんだって。それで後日何気なく『あの日はどこで何してたの?』って尋ねてみたら、『一日中仕事で会社にいたよ』って言われたって。こういう受け答え、早紀ちゃんは怪しいと思う?」
「百パーセント黒じゃん! 絶対浮気してるって、それ」
 浮気なら最悪許すよ、と心の中で応えた。来年の一月で有期雇用契約が満了する。わたしは結婚を機に、年内で退職する予定だった。だから浮気くらい許さなきゃならない。些細な不安は呑み込まなきゃいけない。
「麦野ちゃん、その友だちに忠告してあげた方がいいよ。浮気男は早めに切らなきゃ駄目だって。仕事柄、浮気とか不倫とか色々見てきたけどさ、浮気性の奴が直ったところ見たことないから」
 そのとき、窓の外で歓声が上がった。誓いのキスを終えた新郎新婦がアーチに背を向け、ゆっくりとを進めていた。色とりどりの花びらと拍手が二人に降り注ぐ。カフェの客も早紀ちゃんも、みんなガーデンウエディングに釘付けになっていた。
 わたしは膝の上でこっそりスマホを起動し、ネットニュースを表示させる。新聞社のデジタル記事には、『東京都大田区で女性の変死体発見』との見出しが躍っていた。
 今日——十月十五日の早朝、東京都大田区のまつやま公園にて、犬を散歩中の近隣住民が変死体を見つけた。死後一、二週間が経過した女性の遺体だ。林の中に埋められていたようだが、前日の夜に降った雨のおかげで遺体の足が土から突き出ていたため、発見に至ったらしい。
 わたしは自分の肩を抱いた。震えているのは、空調の効きが悪いせいではなかった。
 ——わたしの婚約者は殺人鬼かもしれない。

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