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今村翔吾「海を破る者」#022

「海を破って行け。全てが終われば、いつか必ず――」
元の再襲来が近づく中、六郎は令那たちと約束を交わした。

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「今、申した通りだ。我らの勝ち目は薄い」
「違う」
 首を小さく横に振り、れいは震える声で言葉を重ねた。
「何故……そこまで……」
 してくれるのか。と、令那は問うた。
「解るだろう?」
 ろくろうはそっと頰を緩める。
 始まりは少年の時分の夢であった。海の向こう。遥か遠く。未だ見ぬ国々があり、未だ見ぬ多くの人々が暮らしているのかと思い浮かべた。
 それを多くの者は馬鹿にした。六郎は何処かおかしいのではないかと心配する者すらいた。だが、たしかにあったのだ。雲を貫くほど高き山、海の如き大きな川、見渡す限りの草原、果てがないと思わされるほどの砂漠。そこに暮らす人々は、己たちとさして変わらぬ相貌の人もいれば、髪や肌、目の色まで異なる人もいる。日ノ本とは異なる言葉を話し、見たことも聞いたこともないものを食している。
 ただ、変わらぬこともある。楽しければ声を上げて笑い、非道には身を震わせて怒り、不幸があれば涙を流して哀しむ。故郷を想って同胞の無事を祈り、誰かに恋をして、共に生きることを望む。己たちと何一つ変わらぬ。それを教えてくれた人を死なせたくはない。願いを叶えてやりたい。いのりにも似た想いを込め、六郎は静かに言った。
「お主らは生きろ」
「お主ら……」
 うなれていたはんが、敏感に反応して顔を上げる。
「女の一人旅は物騒だ」
「俺が相応ふさわしいとは思わない……それに六郎、最後までお前と戦うつもりだ」
 繁は目尻を下げたあいまいな表情で、首を横に振った。
「そう言うお前は、すでに相応しい男だ」
 当初、繁が戦おうとした理由は復讐であった。それは故郷をじゆうりんした元軍に向けたものだけではない。家族を守るためとはいえ、祖国を裏切った父に対するものでもある。今の繁の胸にそのような感情はもう無いのだろう。異国の地でかいこうした己たちと共に戦い、この地で出逢った大切な人を守る。その一念で動いていると、己はとっくに知っている。
「繁、令那を守ってくれ」
 六郎が続けると、繁は唇をぎゅっと嚙みしめる。
「辿り着けたとして……もう令那は故郷に住まうことが出来ないかもしれない」
 言いたくはなかったのだろう。それでも繁はえて口にした。
「最後まで俺と戦うと言ったな」
「ああ」
「るうしに住まえぬならば、さらに西に向かうのだ。もうの手の届かぬ地まで、どこまでも……」
 六郎はそこで一度言葉を切り、二人を交互に見てりんぜんと言い放った。
「海を破って行け。それが我らの戦いだ」
「我ら……」
「ああ」
 六郎が穏やかに微笑むと、繁は口を真一文字に結んで頷く。
「六郎も来て。全てが終わったら……。るうしを見たかったのでしょう?」
 令那の声は震えていた。
「それもよいな」
「約束」
「よし」
 三人ともそれは噓になると解っていた。しかし、その噓を希望に生きるしかない。それもまた誰もが解っていた。
「六郎は案外間抜けたところもあるから、目印を付けてやらねばならない」と繁が言い、令那もあおい瞳に涙を溜めながら目一杯の笑みを見せて同意する。皆が泣いていたが、それでもそこに笑みはあった。共に生きた幾度かの季節に思いを馳せながら。

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