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今村翔吾「海を破る者」 #021

一度は元を撃退することに成功した幕府軍。
しかしこれは、長い元寇の序章に過ぎなかった。
前回の何倍もの兵力を携えて訪れた元軍を前に、六郎は――

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 げん軍を撃退して歓喜に沸いたのもつかの間、翌日には博多はかたの陣に再び重苦しい雰囲気が流れた。戦はまだ終わっていない。いや、本格的な侵攻は始まってすらいないのだ。
 対馬つしまは早々に元軍に占拠されてしまったが、山野にこもってなおも抵抗を続けている者もわずかながらいた。その中の一人が決死の覚悟で対馬を脱出し、博多に陣を張る幕府軍のもとに駆け込んで来た。
 その者の話にると、五日前、対馬に三百そうの船が新たに現れたという。この船はこれまで来たものとは形が違い、なんそうが用いていた船に酷似しているらしい。それは即ち、
 ——こうなん軍、間もなく来たる。
 と、いうことを意味する。
 元軍はとう軍と、江南軍の二つに分かれている。これはりょとなった元軍の将より裏が取れている。
 両軍は対馬で合流の後、日ノ本に攻め込むつもりだった。しかし江南軍より、予定よりも到着が遅れる旨の連絡が入った。東路軍はこれ以上時間が経つと、日ノ本の軍兵はさらに集まって守りが固くなると考え、江南軍を待たずして攻め寄せた。つまりかのしまで戦ったのは、全て東路軍であったことになる。
 果たして、江南軍は来襲するのか。幕府にとって、その最前線にいるちん西ぜいにとって、もっとも注目すべきはそのことであった。江南軍が遅れたのには何か大きな理由があり、そのまま遠征そのものが取り止めになったということも有り得るだろう。また出立の際、東路軍の敗北を知って方針が転換されたかもしれない。そのような淡い期待があったのは確かである。
 だが、江南軍は来た。三百艘の船はそのせんけんであるのは間違いない。事前に伝わっているところに拠ると、先に撃退した東路軍が九百艘であったのに対し、江南軍の軍船の数は、
 ——三千五百艘。
 である。むしろこちらが主力といえる。
「来たか……」
 鎮西東方ぎょうおおともよりやすは軍議の場で天井を見上げて細く息を吐いた。このまま元軍が諦めてくれることに、いちの望みをかけていたのだろう。
「まず、物見の船を出しましょう」
 そう言ったのは、鎮西西方奉行のしょうつねすけ
 元軍は博多湾からの上陸を第一の目標としているが、それが成らぬ時はひら方面から攻め寄せるという代案も用意していたらしい。たびはいずれか、それを確かめる必要がある。故に小型で足の速い船を出し、元軍の動向、進路を探ろうというのだ。
 六月も半ばとなると、続々と物見から注進があった。その報告に拠ると、
 ——江南軍、平戸へ。
 と、いうもの。すでに対馬には近付くことすら難しく、手前のにも江南軍のものと思しき軍船があふれているらしい。そこから南西に向かう船影を見たという。
 とはいえ、博多の警戒も解くわけにはいかない。幸いなことにろくたんだいから、つのみやさだつなを大将に六万騎の兵が九州に派されることが決まったという報告も入った。
「二手に分かれましょう」
 そう提案したのは、少弐経資であった。
「平戸と博多ですな」
 大友頼泰が答えるが、経資は首を横に振る。
「いえ、平戸と壱岐です」
「何ですと……」
「江南軍が平戸に向かうならば、壱岐に残るは痛手をこうむった東路軍のみ。しかもその半数以上は対馬に停泊しているとのこと。今こそ壱岐を奪い返すのです」
 壱岐を奪還出来れば、元軍の中継拠点は対馬のみとなる。兵糧のうんぱんにも支障が出るだろうし、何より背後を取ることで動揺を誘うことが出来る。
「とはいえ、こちらもかなりのせいが出ることになりますぞ」
 大友は不安を口にした。
「それでも尚、やるべきかと。我ら少弐一族が先方を務めます」
 経資はすでに一族には話したという。経資の父、すけよしも了承したらしい。こうして大友が兵の半数を率いて平戸へ、残る者たちは少弐一族と共に壱岐奪還を目指すことに決まった。
 たけざきすえながこう家の陣を訪ねて来たのは、その日の夕刻のことである。
「本気か」
 季長はまず、そう言った。
「ああ」
 ろくろうは答えながら、自らの右手で頭をぴしゃりと叩いた。てのひらに潰れた蚊が張り付いている。河野家では合戦が終わるまで、を着けないという掟がある。
「平然としおって」
 流石の季長も呆れ顔になった。
 六郎は志賀島の戦いで左肩に矢を受けた。今では随分と痛みも和らいだが、高熱を発して三日三晩寝込むほどの深い傷だった。
 当主がを負い、みちときが死んだ。それと引き換えに河野家は大手柄を立てた。
 故に両鎮西奉行は、河野家は博多守備にと申し出た。平戸、壱岐、どちらも激戦が予想される。河野家にこれ以上の被害が出ないように計らってくれたのだ。しかし、六郎は即座に、
 ——我らも参ります。平戸に行かせてください。
 と、訴え出た。
 その意気やよしとは認めたものの、両奉行は改めて止めた。それでも六郎ががんとして退かなかったので、そこまで言うならば、と、受け容れられたという次第である。
「手柄……という訳ではないな」
 季長はためいきこぼした。
 この男は誰よりも手柄に執着する。それ故に、六郎が己とは全く異なる理由で動いていることを、他の者よりも鋭敏に感じ取れるのだろう。
「最後まで戦わねばならない」
 六郎はふわりとした調子で言った。
「伯父御のためか」
「それもある」
 通時の死から数日が経った。今も船の上で抱きかかえた感触が手に残っている。死後、通時のの郎党たちも全て本家に合流することとなった。この地に来るまでに河野家はすでに一枚岩となっていたが、その結束はさらに強いものとなっていると感じている。
「幕府のため……いや、日ノ本のためか」
「元に抗う全ての者のためだ」
 元と、それを包括するもう帝国と、戦っているのは日ノ本だけではない。今日も何処かで自らの国を、故郷を、家族を守るために戦っている者たちがいるのだ。己たちが勝てば蒙古帝国の勢いはくじかれ、彼らも救われるかもしれない。すでにへいどんされた地の者も、再び国を取り戻そうと立ち上がるかもしれない。
 未だ見ぬ国の、未だ見ぬ人々のためにそこまで想えるのかと、多くの人はわらうかもしれない。だが、はんや、れいと出逢い、心を通わせた今、六郎はもう嗤うことは出来なくなっている。
「俺も変わっているが、お主はそれ以上だな。西で蒙古と戦っている者も、遥か東にこのような男がいるとは思いもしないだろう」
 季長は眉を開いてふっと息をらした。
「いや、世は広い。案外いるかもしれぬぞ」
「かもな」
 それ以上、季長は否定しなかった。季長は自らも奇人扱いをされてきた。その奇人が認める生粋の奇人がここにいて、こうしてふたり和やかに言葉を交わしている。日ノ本の中ですらこうなのだから、他の国にも、どのような者がいてもおかしくないということだろう。季長は続けた。
「噓ではないだろうが、それだけでは無いだろう?」
「存外、鋭いな」
 今度は六郎が口元をゆるめる番であった。
「国の外と商いをしている者を探していると聞いた」
「ああ、だがまだ見つかってはいないが」
「何の為に。教えろ。力になれるかもしれぬ」
 季長はまっすぐに六郎を見つめた。
「実は……」
 ずっと胸に秘めていたことである。生前の通時以外には、他言したことがない。通時は、それが良いだろうと賛同してくれていた。
「なるほど」
「驚かないのか?」
「いや、お主の言う通りだ。この戦、十中八九は負けるだろう」
 東路軍は何とか退けた。だが全滅どころか、多く見積もっても二、三割を損傷させたに過ぎないだろう。残る東路軍も立て直して再び攻め寄せて来る。しかも今度は江南軍と共に。志賀島の戦いの、実に五倍の四千数百艘である。その兵数は五十万にも届くのではなかろうか。
 一方、今の鎮西軍は五万余。六波羅軍の六万が駆け付けても十一万である。大半の御家人たちも勝ち目は薄いことを解っている。解っていてもなお、戦うことを決意しているだけである。
 この平戸での戦いに負ければどうなるか。元軍は続々とぜんに上陸し、瞬くまに九州をせっけんする。そして兵糧の備えが出来次第、東へ、東へと進む。やがては京を、遂には鎌倉をかんらくさせるだろう。
まつ党に伝手がある。取り次いでやろう」
 季長は言った。松浦党とは肥前に根を張る武士団である。彼らは領地が海に面していることから、河野家と同様に多くの水軍を持っている。異国との貿易にも積極的で、そこで大いに利を得ているのは公然のことであった。
「頼めるか」
 六郎はずっと伝手を探していただけに、思わず身を乗り出した。
「手柄を挙げさせてくれた礼だ」
 季長は白い歯をのぞかせた。間もなく国が滅ぶかもしれないという時でさえ、季長はやはり手柄の話をする。そのためには勝たねばならない。季長はそうやって己を奮い立たせているのかもしれない。

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