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第二信「デフォーの暗号」(文・池内さん)

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    ご無沙汰しております。池内です。
 少し遅くなりましたが、バレンタインの贈り物です。
 チョコレートの代わりに、今回は『ロビンソン・クルーソー』が孕む謎についてお話ししたいと思います。甘くはありませんが、嚙んでも減らないタイプの嗜好品です。
 ご賞味頂ければ幸いです。

 物語の冒頭、ロビンソンは自身の生い立ちについて語ります。

 イングランド北東部の裕福な中産階級の家庭に育ったこと、父はドイツ生まれの商人であったこと。そして、母の出自と「ロビンソン・クルーソー」という不思議な名前の由来について。
 さらに、三男坊として自由気ままに育ち、幼い頃から「どこか遠くへ旅することばかり考えていた」ことや、軍人だった長兄がダンケルクでスペイン軍と戦って戦死し、もう一人の兄が行方知れずになったことなど。

 裕福な両親は、ただ一人残った末っ子をずっと手元に置いておきたいと願い、若いロビンソンはこれに反発します。両親が保証する安定した生活に興味が持てず、船乗りになって世界を旅したいと願うようになるのです。
 このような家庭環境が、彼の持って生まれた夢見がちな傾向をさらに加速させ、最終的に「海への憧れ」へと行き着いたのであろうと想像することができます。

 海への憧れ「DE AGOSTINI PICTURE LIBRARY/Getty Images]  

 ここで私が不思議に思ったのは、ロビンソンの生年が1632年とされていることでした。
『ロビンソン・クルーソー』の初版が出たのは1719年ですから、執筆時点でロビンソン・クルーソー「本人」は既に80代後半、むしろ90に近い大老人ということになります。
 しかし、27年と2ヶ月の無人島生活を終えて英国に帰還した時点で、彼の年齢はまだ50代後半だったはずです。つまり、帰国から手記の発表まで実に約30年もの長い沈黙期間があったことになります。
 当時の人間の平均寿命からしても、未曾有の大冒険を終えて凱旋した船乗りの手記という触れ込みからしても、この時系列にはやや不自然さを感じないでしょうか?

 本書の著者であるダニエル・デフォーは当時の英国では著名なジャーナリストであり、『ロビンソン・クルーソー』においても具体的な数値を書き連ねる定量的な表現を好んで用いています。これらの要素から私は、デフォーは数字には少々煩い人物だったと想像します。
 こうしたデフォーの属性からすると、さきに述べたような年齢設定の不自然さについて無自覚であったとは考えにくい。
 本作を執筆するにあたり、なぜ彼は冒頭から敢えてこのような不自然な設定をしたのでしょうか?

 暫くあれこれと考えた後、私は「デフォーの視点で考えてみよう」と思い立ちました。当時の英国の状況を、今ここで追体験してみようと思ったからです。
 私は、17世紀中ごろの英国の歴史を百科事典で調べ、『ロビンソン・クルーソー』の記述と照らし合わせながらノートに年表を作成していきました。

◆史実の時系列

1642年 ピューリタン革命(イングランド内戦)始まる
1649年 国王が処刑され、共和制が宣言される
 以降、イングランドは1660年まで共和制国家となる
1658年 共和国がフランスとスペインの戦争に介入(ダンケルクにおける「砂丘の戦い」)
※ロビンソンの兄はこの戦いで戦死したという設定
1658年9月 共和国の中心人物であったオリバー・クロムウェルが死去
1660年 共和制崩壊、王政復古 この年、デフォー誕生
1665年 ロンドンで疫病が大流行する
1666年 ロンドンの大火
1685年6月 モンマス公の叛乱 デフォーは叛乱軍に参加するが鎮圧される
1688年 デフォー(28歳)、商業で成功してロンドンの名士となる
1688年12月18日 「名誉革命」により国王ジェームズ2世がロンドンを退去
1689年2月 新国王(ウィリアム3世、メアリー)即位
※この頃から、デフォーは政治活動やジャーナリストとしての執筆を始める1692年 デフォー(32歳)、新事業に失敗し巨額の負債を背負う
※その後、タイル製造業で成功して事業家として復活する
1703年 デフォー(43歳)、過激なプロパガンダ文書を作成した罪で逮捕投獄される
※この事件の影響で、うまくいっていたタイル工場も破産
※この事件をきっかけに、当時の宰相にスカウトされてスパイ活動を行うようになる
1713年 デフォー(53歳)、再び筆禍事件により投獄される
1714年 デフォー(54歳)、筆禍事件により三度目の投獄
1719年 『ロビンソン・クルーソー』が出版される

◆『ロビンソン・クルーソー』作中での時系列

1632年9月30日 ロビンソン、ヨークで生まれる
1651年9月1日 両親の家を出て船に乗る
1651年9月 ヤーマス沖で船が難破する 
 放浪生活が始まる。ギニア行きの船に乗り、一度の航海で300ポンドの財産を作る
1653年頃(推定) 二度目のギニア行き航海で海賊に襲われる
 その後約2年間、海賊の捕虜となる
1654年(推定)12月19日 海賊の元からボートで脱走する
1655年1月頃(推定) 大西洋上でブラジル行きのポルトガル船に救出される
 以降約4年間、ブラジルで農園経営をする
1659年9月1日 ブラジルを出帆してギニアに向かう
1659年9月30日 船が難破し、島に漂着する
 以降、27年間余のサバイバル生活
1686年12月19日 島を去る
1687年6月11日 英国に戻る

 このように書き出してみると、『ロビンソン・クルーソー』の世界においては、9月1日が「無謀な挑戦」ないし「不吉な予兆」、9月30日が「はじまり」、12月19日が「自由」ないし「解放」を象徴する日付として何度も使い回されていることに気づきます。

 そして、自由と解放の象徴である12月19日という日付には何か見覚えがないでしょうか?
「名誉革命」に際して国王ジェームズ2世がロンドンから追放された日が12月18日であり、12月19日はその翌日。つまり、先王の支配から解放されて自由になった最初の朝こそ栄光の12月19日という訳です。この流れはしっくりとくる一方で、「名誉革命」が1688年なのに対し、ロビンソンが島を脱出したのは1686年のことですから、そこには2年のズレがあります。この点はどう説明できるでしょうか?

 少々突飛な話になりますが、私はこのズレこそ、デフォーが『ロビンソン・クルーソー』という作品に込めた暗号ではないかと感じています。

 それはどんな暗号か……少し長くなりますが、以下、この点に関する私の観測結果を書き記すことにします。

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