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ピアニスト・藤田真央エッセイ#20〈Toi toi toi!――NYカーネギーホール・デビューの日〉

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 2023年1月25日(水)、ニューヨーク・カーネギーホールでのリサイタル・デビューを飾った藤田真央さん。
 音楽家なら誰もが夢見るクラシックの殿堂、カーネギーホール。今回のリサイタルは、世界でも限られたトップアーティストのみが起用される同ホールの主催公演として行われました。

 そこに至るまでの想いや、その日藤田さんが感じておられたことをロングエッセイとして綴っていただきました。


 Toi toi toi!
 私たち演奏家は舞台袖からステージへ一歩踏み出す際、この言葉で鼓舞される。ステージマネージャーや調律師からのこの言葉を合図にステージへのドアが開き、拍手を浴びながら歩き出すのだ。この光景は、音楽家であったら誰もが憧れ一度はその舞台で演奏したいと熱望するであろうカーネギーホールでも同じだった。
 
 Toi toi toi……この言葉の意味を正確には理解していないが、おそらく「楽しんで」「頑張って」のような意味なのだろう。人様の目に触れるこのような連載において、ちゃんと意味を調べてから書き上げた方が良いと自分でも感じるが、いかんせん現在私が居るのはニューヨークから日本へ向かう飛行機内なので、インターネットが使えない。そのため言葉の本来の意味を伝えられず申し訳ない。

 昨晩行われたニューヨークのカーネギーホールでのデビューリサイタルの思い出を、早速ここに書きとめてみたいと思う。

 ニューヨークに降り立つと、意外にも予想していたような厳しい寒さには見舞われず、4〜5℃という過ごしやすい気候だった。喜ばしいことにニューヨーク入りしてからの3日間、私は毎日カーネギーホールで練習することができた。どのリハーサル室にもニューヨーク・スタインウェイが備わっていて、用意して頂いた練習環境はこれ以上ないほど素晴らしいものだった。館内のいたるところに偉大な芸術家たちの肖像画やコンサートのポスターが飾られてあり、それを見るだけで一音楽ファンとして気持ちの昂りが抑えきれず、練習に向かうその足取りは自然と軽くなった。
 
 そこで迎えた当日。
 前夜はしっかり7時間の睡眠をとることが出来た。しかし時差が悪戯をして前夜の21時に眠り翌朝の4時に起きたので、これでは20時の開演まで体力が持たない。朝4時から再び寝ようと試みても、身体や脳は「ちゃんと7時間睡眠しているではないか」と抗って、眠りに落ちさせてくれない。仕方なく長い時間をかけシャワーを浴び、歯を磨き、7時の朝食の時間になるのを辛抱強く待った。この日は11時からピアノ選びがあり、それまでにはもう一眠りしたいと思っていたのだが、朝食を終えても一向に眠りにつけなかった。
 
 11時になりカーネギーホールに向かうと、白く美しい舞台上には二つのピアノが置かれていた。一つはスタインウェイ創業の地、ニューヨークで作られたニューヨーク・スタインウェイ、もう一つがドイツ・ハンブルクの工場で生産されたハンブルク・スタインウェイだ。初めてのホール、初めて触れるピアノに私の音楽はどのように調和するのだろうか。

ピアノを選定中

 最初に試したのはニューヨーク・スタインウェイ。2800席をゆうに超えるその空間に届かせるには申し分ない音の飛び方であり、各々の音の独立性は顕著であったが、しかしメカニカルで繊細さに欠ける音でもあった。すぐにもう一方のハンブルク・スタインウェイに触れる。今度はその響きや音質の美しさに恍惚すると同時に安心感を覚えた。というのも私が現在住んでいるベルリンを始めとしたヨーロッパはもとより、日本においてもスタインウェイのピアノはハンブルク製のものがほとんどだからだ。そして私が9歳の頃、母親が全ての財を投げ出して私に買い与えてくれたスタインウェイのC型グランドピアノもまたハンブルクのものだった。幼少期からそのハンブルク・スタインウェイの音の出し方や機能を体に染み込ませている私にとって、やはりハンブルク製には特別な思い入れがある。

 ニューヨーク製とハンブルク製のスタインウェイの違いを一言で表すと、より華やかなのがニューヨーク製で、音にまとまりがあるのがハンブルク製といったところだろうか。ニューヨーク製は一つ一つの音が煌びやかに輝くのだが、どうも音の重なりを意識した際に各々が主張し合って、ハーモニーとして捉えきれない瞬間がある。ハンブルク製はミルフィーユのように音を重ねていくと、音同士が調和し、ハーモニーとして容易に感覚できるのだ。あくまで私の主観に過ぎないが、音を出し終えた後の響きの伸びもハンブルク製の方が秀でている気がする。
 
 1853年に誕生して以来、スタインウェイのピアノには一台ずつ製造番号が記されている。現在最も新しいピアノは、60万台番のものだ。カーネギーホールのピアノを確かめると、ニューヨーク・スタインウェイは60万を超えている一方、ハンブルク・スタインウェイはたったの264番だった。スタインウェイ黎明期に作られたピアノが今もなおその美しい響きを維持している……。これには驚きと感動を覚えた。
 しかしこの“幻のスタインウェイ”には後日談がある。日本でいつもお世話になっている調律師さんにこの話を興奮気味にしたところ、ニューヨークのコンサートホールでは日本のような備え付けのピアノが珍しく、代わりにピアノをレンタルしているホールが多いという。すなわちカーネギーホールで私が出会ったあのスタインウェイの輝かしい3桁の番号も、実は単なる貸し出し番号であると判明したのだ。唖然……。
 
 このような経緯で、ハンブルク・スタインウェイを選びリハーサルを行っていたのだが、やはりピアノはもとよりホールも美しい響きだ。ピアノ・ホール・ピアニストは三位一体のようにお互いが助け合わなければ決して至高の音楽は生まれない。このステージではあらゆる表現――デリケートなモーツァルトのタッチから、重厚な密度のあるブラームスのハーモニー、そして荒れ狂うシューマンのパッセージまで――まさにここは演奏者冥利に尽きる舞台だと思った。
 
 しかしそうやって最高の環境でリハーサルを進めるも、やはり早起きした分、体力が衰えていき、徐々に眠くなっていった。そこで15時から18時まで3時間睡眠をとり、再び1時間のステージでの最終調整を経て、楽屋に戻った。楽屋はマエストロ・スイートという名前で、その名の通り部屋にはアルトゥール・トスカニーニ、レナード・バーンスタイン、ゲオルグ・ショルティ、レオポルド・ストコフスキーといった名だたる音楽家の肖像画が飾られている。

楽屋前で(Maestro Suite)

 日本の公演で私は常に楽屋の温度を高く設定し、手指が凍えないよう注意しているが、それは今回も同様で、カーネギーホールの方々の温かいホスピタリティのおかげで私の楽屋はまさにサウナのようになった。公演前に私を心配し励ましに来てくれた方々は口々に「まるでハワイに来たみたいだ」と笑い、更には「部屋に飾られているマエストロの肖像たちも、この暑さにはびっくりだと言わんばかりの表情をしているぞ」とからかった。そんなちょっとしたジョークのおかげで私はリラックスすることができ、穏やかな心持ちで開演の時間を待つことができた。

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