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鈴木忠平「ビハインド・ゲーム」#002

新GMによる型破りなチーム改革はどこへ向かうのか? 
その視線の先には、チーム期待の甲子園優勝投手があった

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第二章  甲子園の英雄

「結局、甲子園がピークだったってことだろうな」
「よくいますよね。高校時代は輝いてたのに、プロに入って急に色褪せる選手って」
 後方から訳知り声が聞こえてきた。
 おそらくバックネット裏中段に陣取っている関係者だろう。声を潜めてはいたが、ネット裏前列にいるやまがたそうの耳にははっきりと聞こえていた。部外者が勝手なことを、と内心憤りを覚えたが、反論の言葉は見当たらなかった。山縣はもどかしさとともにグラウンドを見つめた。マウンドではみやかずが苦悶の表情を浮かべていた。
 プロ野球のキャンプが実戦形式へ入っていく二月末、沖縄本島の最北端、国頭村営球場では日本ファインミー・ウイングスと福岡キングハウス・フェニックスのオープン戦開幕ゲームが行われていた。チームにとって二〇〇四年の初戦となるこの試合で宮田は先発マウンドを任せられていた。それはプロ四年目になる二十一歳の右腕に対する期待の表れだったが、彼は初回からランナー二、三塁のピンチを背負っていた。
「なんか、以前はもっと空振りを取れていた気がするんですよね。球速は変わっていないのにキレがなくなったっていうか……」
「だから、もうピーク過ぎちゃってんだよ。もともとの器がこんなもんだったんだって。甲子園で優勝してあれだけ騒がれて、二球団しか一位指名しなかったんだぞ。おかしいと思わないか? うちだってハナから指名しない方針だったんだから」
 声色と会話の内容から声の主は推定できた。ウイングスと同じく東京を本拠地とする人気球団、東都ミリオンズのスコアラーと、おそらくは東都スポーツの記者だろう。球界の盟主としての尊大さが言葉の端々にうかがえた。各球団のスコアラーたちは対戦相手のデータや傾向を集める諜報的な動きをするため通称「007」と呼ばれ、キャンプが始まると他球団の偵察に向かう。プロの眼で戦力分析を行うのが彼らの仕事だから何を思おうと勝手だが、それにしても宮田にもう伸びしろがないかのような言い方は神経に障った。彼の停滞はここ数年のチーム強化本部にとって抜けない棘だったからだ。
 四年前のドラフトでウイングスは宮田を一位指名した。二分の一という確率の抽選ではあったが、強化本部長のいのうえたもつが「交渉権確定」と記された紙片を掲げた瞬間は、現場はもちろん、球団オフィスでテレビ中継を見守っていた職員たちも沸いた。東京で生まれ、東京の高校で全国制覇を成し遂げたエースがウイングスにやってくる。球団史上初めて甲子園優勝投手が入団する。宮田が放つ輝きは敗北に慣れてしまった者たちに、何かが変わるかもしれないという希望を抱かせた。
 ルーキーイヤーの開幕から一軍のマウンドに上がり、夏前までに五勝を挙げたときには、やはり救世主なのだと確信した。甲子園で全国区の知名度を得ていた宮田は連日、新聞の一面を飾り、スポーツニュースで取り上げられた。宮田の投げる日は不思議と打線も好調で大量得点で援護した。運に恵まれているという声もあったが、それが逆に宮田の神話性に拍車をかけ、ウイングスという球団のイメージまでも向上させた。
 だが、振り返ってみれば、それは一瞬の出来事だった。宮田はプロ一年目の夏から突然、勝てなくなった。そこから一勝もできないまま二年半が過ぎていた。今とあの頃とで、一見すると、宮田という投手は何ひとつ変わっていなかった。きれいな糸を引くストレートは一五〇キロに迫り、スライダーの切れ味も色褪せていない。勝てない理由が分からなかった。だから余計に、他球団のスコアラーの言い分がもっともらしく聞こえてしまう。
 彼のポテンシャルはここまでだったのか。自分たちは甲子園優勝投手という肩書きに浮かれ、彼を見誤っていたのか。山縣だけでなく、強化本部の誰もがはんもんしていた。
 マウンドに内野陣が集まっていた。さらにフォアボールを出して満塁と傷口を広げた宮田がその真ん中で汗を拭っている。二月とは思えない強い陽射しに照らされた一七〇センチそこそこの身体がひと際小さく見えた。マウンドの輪が解ける。宮田は捕手のサインに頷くと、モーションに入った。初球のストレートはバックスクリーンの表示で一四五キロを計測した。だが、相手バッターは待ち構えていたかのようにそれを外野へ弾き返した。打球がセンターとレフトの間を割っていく。クッションボールの処理と中継プレーのミスもあって、ランナーがことごとく生還する。こぢんまりとした村営球場のスタンドを埋めた観衆からは早くもため息が漏れた。
「なんか幸先悪いですね」
 後ろで声がした。振り返ると、広報部員のよしかおりがスコアブックを片手に立っていた。球団スタッフ用のジャンパーを羽織った吉田は山縣の隣に腰を下ろすと、アヒル口を尖らせた。
「こんなにお客さんが入るの、キャンプ中でこの日だけなんです。今日だけは水増し発表しなくてもいい日なのに……」
 待ちに待った祭りの日が雨で台無しになった子供のような顔をしていた。
 キャンプ期間中の広報の仕事の一つに、その日の来場者数を報道陣に発表するというものがある。天候や気温と同じようにキャンプ地の空気を伝えるための雑記要素だが、ウイングスでは代々これを水増ししてきた。どう見ても百人に満たないだろうという日でも、発表される数字は三桁を割ることはなく、ファンに夢を与えるプロ球団としての体裁を守るためならやむなしという大義名分がまかり通ってきた。吉田はその慣習に呵責を覚えていた。人気がないのを隠すのでなく、人気が出るようにすればいいではないかと正論を吐いて上司を困らせていた。だが、そんな吉田も今年は正論を吞み込まざるを得なかった。チームの顔だったなかゆきひろを放出した影響からか、キャンプはいつにも増して閑散としていた。その中で唯一、国頭村営球場が大入りになるのが宮田の実戦登板日であった。宮田の持つ甲子園優勝投手という看板はいまだチームで誰よりも客を集める力があった。
「今年はあまり記事にもなっていなかったから今日だけは一面って思ってたのに。囲み取材用に会議室までおさえているんですよ」
 吉田のぼやきは止まらなかった。小学生の頃からシティドームに通い、十八歳の秋に一九九六年シーズン最終戦を外野スタンドから目撃した。優勝まであと一歩に迫ったチームと仲田の姿を見て、ウイングスの職員になると決めたのだという。だからだろうか、吉田はいつもウイングスの「今」に怒っていた。万年Bクラスの球団にいれば、誰しも諦観とマンネリが仕事に滲み出るものだが、決してチームへの期待値を下げない。山縣はそんな姿を見るたび、こういうスタッフがいるうちに、この球団をなんとかしなければならないという思いに駆られるのだった。

 オープン戦は一方的な展開になった。宮田は初回に三失点すると、その後も毎回のようにランナーを背負っては失点を重ねた。そして〇対六と大きくリードされた五回、再び南国の空に快音が響いた。外野へ伸びていく打球を宮田が呆然と見送る。ダメ押しのランナーが返ってくると、観衆も半ばになったのか、沖縄特有の指笛がいたるところで鳴らされた。その中をピッチングコーチがマウンドへ向かい、入れ替わるように頭を垂れた宮田がベンチへ下がった。新シーズンへの希望が打ち砕かれるような光景だった。
「ちょっとブルペンに行ってくる」
 山縣は腰を上げた。降板した宮田がそのままベンチ裏へと姿を消したからだ。こういう場合、投手はその日の修正をすべく追加の投球練習を行うものだ。山縣はオープン戦の行方よりも、宮田の状態のほうが気になった。
「私も行くことになりそうです」
 吉田がスタンド後方を見ながら立ち上がった。視線の先では新聞記者たちが移動を始めていた。メディアの目当てもやはり宮田であるらしかった。
 ウイングスのキャンプ地はメイン球場の他に陸上競技場や室内練習場なども併設された複合施設になっている。山縣は吉田とともにスタンドを降りると、バックスクリーンの向こう側にあるブルペンへ向かった。球場周辺に設置された球団グッズなどを販売するテントには何人かのファンが列をつくっていて、そのほとんどが背番号1とプリントされた宮田のレプリカユニホームを羽織っていた。自分たちと同様に、ファンもまた宮田に対する期待値を下げていない。今年こそは、と待っている。だからこそ、なぜ彼が勝てなくなったのか、その理由を探る必要があった。
 ブルペンには案の定、宮田の姿があった。六つのマウンドの一番端で汗に濡れたユニホーム姿のまま投げる彼は、一球ごと俯きがちにロジンバッグを叩いていた。
 山縣は吉田とともに、記者やスコアラーが陣取るブルペン脇の関係者席に腰を下ろした。二人の眼前を宮田の投じるストレートが通り過ぎていく。高速で回転した硬球が空気を切り裂く音が聞こえた。ブルペンキャッチャーのミットが鳴り「ナイスボール!」という掛け声が響く。ときにはミットの中の綿を抜いてまで乾いた音を出し、投手を乗せていくのが彼らの仕事だが、それを差し引いてもあまりある球威だった。とても簡単にKOされる投手の球ではなかった。そして、いつ見ても宮田の投球フォームは美しかった。グラブを頭上に振りかぶらず、胸の前に収めるノーワインドアップのモーションから僅かに右肩を下げ、ゆったりと投げる。投球は力ではないというお手本のようなフォームだった。その力感のなさとは対照的に指にかかったボールは空気抵抗がないかのように伸びていく。投手にせよ打者にせよ、プロに入るとアマチュアの頃のフォームを変化させる選手が多いが、宮田は甲子園の頃からずっと同じ投げ方をしていた。
「今日投げ合った相手のピッチャーよりよっぽど宮田くんの方が見栄えがするのに……なんで打たれるんですか」
 吉田は強化本部の誰もが疑問に思っていることを口にした。山縣はその問いに明確な返答ができなかった。甲子園で優勝し、プロで快調なスタートを切った頃と何ひとつ変わらないのにどうして勝てないのか。自問しながら、ひとつだけ宮田の変化と言えるものを思い浮かべていた。
 そういえばこの日、彼はなぜ胸の御守りを握らなかったのだろうか。
 ピンチになると目を閉じて右手でユニホームの胸を握りしめる。夏の甲子園で何度も見せた仕草だった。胸には女手ひとつで育ててくれた母の御守りが下げてあり、それに祈りを込めている。大会中にそんなエピソードが新聞で報じられると、宮田の存在は甲子園での快投とその童顔と相まって社会現象となった。全国の母親が求める息子像としてテレビのワイドショーで取り上げられた。プロに入っても勝負どころでは胸の御守りを握っていた。だが、青年の純粋さの象徴であるようなその仕草はこの日、見られなかった。ピンチを背負ってはことごとく打たれる宮田を見ていて、山縣はそのことに気づいた。それでも、そんな迷信じみたことが高度な技術集団であるプロの世界において、勝てなくなったことの理由になるかといえば、とてもそうは思えなかった。球速表示にも投球フォームにも現れない何かがあるのだろうか。
 そこまで考えて山縣はやましんの言葉を思い出した。
 あれは、明け方の球団オフィスでのことだった。羽山は全球団全選手の膨大なデータを搭載した「BOSS」と名付けたオペレーション・システムを見つめながらこう言ったのだ。
〈このシステムでも評価しきれない選手が稀にいます。そういう場合は自分の目と耳で直接、確かめるしかありません〉
 あれは宮田のことではないだろうか。
 山縣はブルペンを見渡した。マウンドやホームベースの後方、関係者席のどこにも羽山の姿はなかった。
「今日、GMを見なかった?」
 吉田に問うと、女性広報員は露骨に顔をしかめた。
「ああ、あの人なら朝、球場のまわりを歩いているところを見かけましたけど、それっきり見てません」
 仲田放出の一件以来、吉田は羽山を「あの人」と呼び、目を合わせようともしなかった。吉田だけではない。球団内には羽山に対する嫌悪を隠さない人間が数多くいた。羽山の方でもそういう人間に対して説明や釈明をしようとはしなかった。球団内に生まれた亀裂は年をまたいでも口を開けたままだった。
 十球ほど投げた頃だろうか、ブルペン後方の扉が開いた。山縣は反射的に視線を向けたが、姿を現したのは羽山ではなくキャッチャー防具をつけたたかざわこういちだった。チーム最年長のベテランはピッチングコーチに目で合図すると、ブルペンキャッチャーを退けてホームベースの後ろに構えた。投手がピッチングするのと同様にこの時期、捕手も実戦に向けて生きた球を捕っておく必要がある。不遜な態度でどっかりと構えた高沢にすれば、投球練習の音が聞こえたから試し捕りにやってきたに過ぎないのだろう。だが、宮田は明らかに表情を強張らせた。誰かれ構わず辛辣な言葉を投げつける高沢は、どの投手にとっても避けて通りたい相手なのだ。
 宮田は高沢の準備が整うのを待ってからモーションに入った。先ほどと同じようにストレートを投げる。高沢は無造作にそれを捕ると、鼻で笑って返球した。
「試合見てたけど、お前、何も変わってねえな」
 宮田は俯いたままだった。無言で次のモーションに入る。高沢はほとんどミットを上下させることなく最小限の動きでそれを捕る。ブルペン捕手のように良い音を立てて投手を盛り立てようという気遣いはまったく感じられず、それでいてボールとともに小言を返す。
「まだ甲子園のマウンドにいるつもりかって、あれ、俺がどういう意味で言ったのか分かってるのか?」
 ブルペンの空気が尖っていく。宮田は黙って耐えていた。ピッチングコーチと他のスタッフは、また始まったという白け顔をつくっていた。
「だからみんなに嫌われるんですよ」
 吉田が小声で呟いた。
「なんで仲田さんとは契約せず、あの人とは契約したんですか。おかしいでしょう」
 山縣は吉田の感情的な言葉にはなるべく反応しないようにしていたが、たしかに羽山の球団編成における矛盾点として、そこを指摘する声はあった。前年シーズンの終わり、羽山は最初の編成会議で人員整理を断行した。年齢も年俸も高く、その割に打席数や登板回数の少ない選手を「在庫」と呼んで、契約を結ばない方針を決めた。チーム生え抜きのスターである仲田幸広でさえ例外ではなかった。だが、なぜかその条件に当てはまるはずの高沢はリストに入っていなかった。捕手は他のポジションに比べて特殊性が高いため、控えは確かに重要だが、高沢より若い二番手捕手候補が他にいないわけではなかった。仲田を切って高沢を切らない理由はどう考えても見当たらなかったのだ。
 吉田の鋭い視線を浴びながら、山縣はGM補佐としてこの数カ月のあいだ、最も羽山の近くにいたにもかかわらず、ほとんどGMの考えを理解していないことに気付いた。
 その時だった。ブルペンの反対側の窓越しに白いポロシャツ姿が見えた。羽山だった。ピッチングを続ける宮田を外からじっと見ている。そして、ほどなく窓枠から消えた。
 山縣はとつに腰を上げた。「マスコミ対応よろしく」と吉田に言い残してブルペンを飛び出した。白のポロシャツを捜す。百メートルほど先に背中が見えた。羽山は球場脇の道を進んでいた。道の右手には東シナ海が広がっていて、太陽に照らされた海面が光っていた。海風にシャツを揺らしながら後を追う。羽山は球場の外壁沿いにレフトとサードの中間付近までくると、そこにある関係者用通路に入っていった。通路の奥は整備用のトラクターやピッチングマシンなどの練習器具の保管スペースになっていて、さらに奥に抜ければグラウンドへと通じている。球場のどこからも目につかず、球団の人間もほとんど立ち入ることがない通路の端から羽山は終盤に入ったオープン戦を見ていた。
 そういえばキャンプ中、羽山は練習中のグラウンドには立ち入らなかった。そうかと言って球団ブースにいるわけでもなく、球場内から姿を消すことが頻繁にあった。どこへ消えたのかと捜すと、その度に警備員や整備スタッフがこう言っていた。
〈GMなら内野と外野の間にいましたよ〉
 それがここだったのだ。小さな謎が解けた。確かにここは内外野の間であり、グラウンドとスタンドの間でもあった。しかし、そんなところから何を見ているというのか。
「あの、GM……」
 山縣は軽く息を切らしながら呼びかけた。羽山はさして驚いた様子もなく振り向いた。
「なんで、こんなところから見てるんですか?」
「変ですか?」
「あ、いえ、変というか……あまり誰も立ち入らない場所なんで」
「ここからはよく見えるんです。チーム全体がどう動いているか。上手くまわっているか」
 羽山は試合を見ながら続けた。
「私たちはコーチのようにグラウンドに立って技術を教えることはできません。そうかといってファンの人たちのように声援で選手を後押しするわけでもない。グラウンドと観客席の間で、できることをやるしかない。そこでできることなら何でもやるんです」
 真意は測りかねた。だが、山縣は同じフロントマンとして、グラウンドと客席の間に立つという気持ちはどこか分かる気がした。選手でも、監督やコーチでもない。背広を着て戦う自分たちの仕事とは何か、自分たちのポジションはどこなのか、この組織の一員になってからずっと自問してきたことだった。
 呼吸を整えて、用意していた問いを投げた。
「きょうの試合、いや、宮田くんのピッチングをご覧になりましたか?」
「ビジター球団ブースでもんばやしさんと見ていました」
「門林さんと……」
 球界に関係する者で門林みのるの名を知らぬ者はいなかった。一九九〇年代に福岡フェニックスの編成本部長に就任すると、それまで低迷していた球団を常勝チームにつくり変えた。フェニックスが二〇〇〇年代になってもリーグの覇権を握り続けているのはこの男の存在があるからだと言われていた。球団の編成権を握る者同士、何か話すべきことがあったのだろうか。
「トレードの話をしていました。あるいは進むかもしれません」
 想定していないフレーズだった。球団数も保有選手数もアメリカに比べて少ない日本でトレードが成立するのは稀で、とくに大型トレードはチーム内部への影響が大きいため敬遠する球団もあった。ただ何より、山縣が気になったのは会話の流れからその対象が宮田であるかのように聞こえたことだった。
「あの、それって、まさか……」
 羽山はそこで会話を打ち切るように歩き出した。
「もうすぐ試合が終わります。フェニックスへ挨拶にいきましょう」
 山縣はその場を動けなかった。シーズンオフに大量解雇を断行したばかりの羽山は再び、血の入れ替えを考えていた。そして、その対象がまさかウイングスの希望である甲子園優勝投手だというのだろうか。
 遠ざかっていくGMの背中を見つめながら、山縣は新たな胸騒ぎを覚えていた。

 楕円形の長テーブルには会長と社長以下の取締役と、さらには監査役や執行役員も顔を揃えていた。序列通り並んだ総勢三十名のなかでなかもりようろうはその中ほどに座していた。革張りの椅子がいつになく心地悪かった。
 朝からみぞれ混じりの雨が降る二〇〇四年三月一日、季節が逆戻りしたようなその寒い日に日本ファインミー食品本社ビルでは月に一度の取締役会が開かれていた。楕円の頂点で代表取締役社長のはたけやまかずひこが声を張った。
「——採決に移りたいと思います。なお、本日は議案が議案のため、取締役以外の出席者にもご参加いただくこととします」
 畠山は言葉と言葉のわずかな間に一瞬だが、中杜を見た。
「それでは社是の刷新に賛同の方は挙手をお願いします」
 中杜は目を閉じた。企業人として、専務取締役としてどう振る舞うべきかは分かっていた。この組織が新しく変わっていかなければならないことも理解していた。
 だが、受け入れることはできなかった。手を挙げるということは創業者を、亡き父を否定することに等しかったからだ。
 会議室に静寂が流れる。中杜はゆっくりと目を開けた。他の出席者たちの視線が自分に注がれていた。挙手していないのは中杜ひとりだった。冷ややかな視線に耐えながら中杜は前だけを見ていた。
〈取締役会の決議は全会一致を原則とする〉
 創業者が定めたルールだった。会社法に照らせば、取締役過半数の賛同があれば決議となるが、四国の小さな豚肉加工工場から大きくなってきた自分たちは一塊になって進んでいくのだという父の意志が込められていた。だが、この日ばかりはその理念が恨めしかった。
 会議室に長い沈黙が流れた後で畠山が口を開いた。
「皆さん、一度なおっていただけますでしょうか」
 そう言うと会議室を見渡した。
「従来の社是は創業者である中杜かずよしさんによって創られ、長らく我々のみちしるべだったものであります。そうした経緯から、この議案に対して創業家である中杜さんの心中は察するにあまりある。そこで今回だけはもう一度、別のやり方で採決をさせていただきたいと思います」
 中杜と入れ替わる形で社長の座についた男はあらかじめ計算していたかのように言った。
「では、あらためまして、この議案に反対の方は挙手をお願いします——」
 中杜は思わずテーブルの下で拳を握った。敗北感が胸の内を巡る。畠山に救われ、同時になぶられている。手を挙げる者は誰もいなかった。先ほどよりも屈辱的な沈黙のなかで中杜は動くことができなかった。
 勝ち誇ったような畠山の声が響く。
「それでは全会一致をもって決議とします。我が社は新年度より社是を改め、新たな二つの企業理念と五つの経営理念を遵守し、進んでいくことになります」
 トップの高らかな宣言に出席者たちが拍手をする。中杜はその中でひとり無表情のまま静止していた。それが自分にできる唯一の抵抗だった。
 その後、各部署の執行役員から報告事項がいくつかあり、取締役会は午前十一時過ぎにようやく終わった。中杜は真っ先に会議室を出ると、一つ下の階にある役員用の自室にこもった。一人になりたかった。
 取締役会がある時以外はほとんど使っていない執務室のワーキングチェアにもたれると、内ポケットから古びた手帳を取り出した。
『ファインミー手帳』
 社員からはそう呼ばれていた。手のひらサイズながら革表紙のしっかりしたつくりで、駆け出しの頃から使ってきた。
 手帳を開くと、最初の見開きに四カ条が記されている。

一つ 我々は何事も揺るぎない信念でやり通す。
一つ 我々は時代を見通すビジョンを持ち、創意工夫を忘れない。
一つ 我々は常に自らをけんさんし、人に対して真摯に接する。
一つ 我々は失敗を恐れず、ビハインドの状況にこそ挑んでいく。

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27,860字

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