鈴木忠平・新連載スタート!「ビハインド・ゲーム」#001
プロローグ
開場の日は朝から雲ひとつなかった。生えそろったばかりの天然芝と真っさらなアンツーカーが北の大地の柔らかな陽の光を浴びている。球場のコンコースでひとり、その静謐な光景を飽くことなく眺め続けている男は球団のフロントマンである。濃紺のスーツにチームのシンボルカラーであるスカイブルーのネクタイを締めた彼の胸の裡にはひとつの感慨が宿っている。その感慨がいつまでも彼をその場に立たせていたのだった。
やがてそんな想いを知るよしもないファンたちが、フロントマンの脇を抜け、我先に自席へと駆けていった。それらは二人組の青年であったり、球団のジャンパーを羽織った老夫婦であったりした。おそらく駅から走って来たのだろう、息を切らした高校生らしき女の子がリュックから青と白のユニホームを取り出すと、足を止めることなくそれを羽織って内野席へと降りていく。
球春がやって来ても北国の春はまだ遠く、外気温は十度にも満たない。それでも人々は長蛇の列を作って開門を待っていた。三万席を超える客席が埋まるのに時間はほとんどかからなかった。まだガラガラのスタンドに酔客の野次が響き渡っていた時代からこの球団で働いてきたフロントマンには、コンコースに響く人々の足音と浮き立つ声が、まるで新スタジアムの産声のように聞こえていた。
ひとりの少年がフロントマンの横で立ち止まる。
「あれはなに?」
少年は父親を見上げて訊いた。指さした先にはセンター後方へと抜ける通路があり、その壁にひとりの老紳士が描かれている。画の中の紳士は恰幅の良い身体をダブルのスーツに包み、子供たちとともにボールを追いかけている。スポーツ選手でも芸能人でもなかった。
答えに窮している父親を見て、フロントマンは居ても立っても居られなくなった。
「あの人は、この球団をつくった人だよ」
少年と同じ目線にしゃがむと、父親の代わりに答えた。まだ十歳になるかならないかの少年はきょとんとした目でフロントマンを見つめた。知らない大人が突然話しかけてきたことに驚いたのか、あるいは「球団」を「つくる」ということの本当の意味がよく分からないからなのか。
「人にも物にも歴史があって繫がっているんだ。つまり、その……プロ野球チームをつくっているのはユニホームを着た人たちだけじゃないんだ」
少年は分かったとも分からなかったともつかない顔をしている。次の瞬間、あ、と声をあげると空を見た。
ブルーインパルスが雲を曳いていた。デルタフォーメーションと呼ばれる六機の編隊飛行で新スタジアムの上空を旋回していく。まるで大空を舞う鳥のようである。青年も、老夫婦も、ユニホームを羽織った高校生らしき女の子も、スタジアムにいる誰もが上を見ている。
この球団が翼を手にしたのはいつだろう。これほど眩しい光の中を自由に翔べるようになったのはいつからだろう。初めて自分たちのスタジアムを手にした。かつては想像もできなかった特別な日だからだろうか、澄んだ空を見上げるフロントマンの胸には「あの頃」が去来している。
始まりは今から二十年前だった。少年に語って聞かせるにはおよそ長過ぎる話である。そして、おそらくこれから先も世に知られることはないのかもしれない。しかしそれは、この球団にとっても、フロントマンにとってもかけがえが無く、決して忘れることのできない日々だった。
第一章 飛べない鳥
1
カーステレオからラジオの野球中継が流れていた。張りを欠いた実況アナウンサーの試合経過によれば、チームはこの夜も負けていた。予想していたことではあるが、それでも微かな落胆が押し寄せる。中杜洋次郎は運転手にステレオのスイッチを切るように言うと、後部座席のシートにもたれた。
横浜市内のホテルを出て、首都高速湾岸線を西へ向かう車窓からは闇に光る東京湾が見えた。中杜は無音になった車内で今しがた会った人物について考えていた。はたして、このチームを変えることのできる男か、否か——。
数時間の会談の中でその根拠になりそうな何かを見出せたわけではなかった。初対面の人物を履歴書とわずかな会話だけで判断することには慣れていたが、それにしても今日会った人物はこちらに材料を与えなかった。無口で表情もほとんど変えない男だった。それでも球団職員の「いかがですか?」という問いに頷いたのは、もう目の前のカードを手にする他に選択肢がなかったからかもしれない。
車は一時間ほどで鎌倉の邸宅に着いた。中杜はがらんとした玄関で革靴を脱ぐと、螺旋状の階段を上がった。二階のリビングに妻の姿が見えたが、帰宅を告げる以外に言葉は交わさず、そのまま三階の書斎に入った。ジャケットを脱ぐより先に小型ラジオのスイッチを入れる。試合はこれから九回裏が始まるところだった。車内では六点だった差が、十点にまで広がっていた。再び微かな消沈に襲われる。
自分が不思議だった。父が他界するまでは夜にラジオの野球中継を聞いたことなどなかった。日本ファインミー食品という巨大企業の後継者として生きていた頃の中杜は、父が愛した野球というスポーツも、父がつくったウイングスという球団もどこか遠ざけてきた。本業では決して敗北を許さなかった父が、こと野球に関しては、なぜ万年Bクラスの球団をあれほど愛し、許したのか。その理由が分からず、不満すら抱いていたからだ。
書斎の壁には肖像画が掛けられていた。部屋とは不釣り合いに巨大なその画はかつて本社の大ホールにあったものだ。額装された画の下部に金色のプレートが光っている。
『日本ファインミー食品創業者 中杜和義』
亡父は恰幅の良い身体をダブルのスーツに包み、記憶にあるそのままの笑みをたたえて、中杜を見下ろしていた。「近代日本の食卓を変えた男」と呼ばれた父のことは結局、最後まで分からなかった。なぜ、あらゆる能力を備えた兄ではなく、次男である自分を後継者としたのか。自分に何を望んでいたのか。そして、なぜウイングスを愛したのか。病に伏した最後の一年は鎌倉のこの家でともに暮らしたが、ついに問うことはできなかった。
午後九時を告げる柱時計の音が階下のリビングから聞こえた。それと、ほとんど同時に書斎のドアがノックされた。
妻の純子の声がした。
「本社の畠山さんからお電話です」
夜の電話。それだけで胸がざわつく。中杜はラジオを机の引き出しにしまうと、椅子から動かずに言った。
「この時間の電話は取り次ぐなと言ってあるだろう」
わずかな間を置いて、妻は言った。
「畠山さんはそれを承知でかけてきています」
声に意志を感じた。
中杜は目を閉じると、気持ちが落ち着くのを待ってから立ち上がった。
「——中杜です」
リビングの電話を手にすると、粘り気のある声が耳に絡んできた。
「これはオーナー、夜分に失礼いたします」
畠山和彦とは二十代の頃に、豚肉加工事業本部の先輩後輩という間柄で仕事をしたことがあった。当時から営業力と事務処理能力を兼ね備えたエリート肌だったが、人間関係に粘着質なところがあった。そして、中杜に代わって社長の座についてからはさらに湿り気が増していた。
入社は二年、結婚と取締役昇任は一年、いずれも中杜が早かった。仕事もプライベートも並走するように生きてきた。そんな畠山が、三年前のあの日から中杜がどんな思いで生きてきたか、なぜ夜中の電話を避けるのか、知らぬはずはなかった。やはり畠山はあえてこの時刻にコールしてきたのだ。
「何か急な用件がありましたか?」
中杜は感情を封じ込めて訊いた。
畠山はゆったりと切り出した。
「かねて考えていた社是の改定なのですが、次の取締役会で議題にすることにしました。中杜さんにはまずお伝えしておかなければと思いまして」
相談ではなく、通達であった。些細な言い回しのひとつひとつに、かつてとは立場が逆転していることを思い知らされる。
日本ファインミー食品の社是は「中杜の四訓」と呼ばれ、創業当時に父が書いたものをずっと守ってきた。だが、それもついに失われる。畠山が議題にするということはすでに根回しが終わっているということだ。肖像画と同様に、またひとつ創業家の痕跡がこの企業から消えるのだ。
「ところで、今日の試合はご覧になりましたか?」
畠山は話題を変えた。
「……いえ、見てませんが」
「残念ですが、最下位が決まりました」
畠山はわざとらしく声のトーンを落とすと、それから急に突き放すような口調になった。
「本社としてはあまり悲観しておりませんが、これ以上の赤字とグループのイメージダウンは避けていただきたいものです。そのために、中杜さんにオーナーをお願いしたわけですから」
誰がこの企業のトップであるか。創業家が今、どういう立場にあるか。畠山は言外に伝えることを忘れなかった。一言、一言が中杜の心を挫く。陰湿さの裏返しでもあるその強かさと用心深さは、彼を社長の座に押し上げたものの一つに違いなく、あの頃の中杜に欠けていたものかもしれなかった。
中杜は無力感に襲われたまま、返答した。
「……分かっています」
それを聞くと、畠山は満足そうに語気を和らげた。
「ああ、そういえば、来シーズンに向けてフロントマンを一人、補強したとか」
球団オーナーである中杜がわずか数時間前に会って契約を決めた人物のことを畠山がもう知っている。ひとつの顔が浮かんだ。小塚鎮夫。本社の専務取締役であり、二年前にウイングスの球団社長となった。本社内で畠山の腹心として知られる小塚は明らかにオーナーである中杜より畠山の方を向き、それを悪びれる様子もなかった。無理もない。今の中杜が抜け殻であることは畠山や小塚のみならず、本社の人間なら誰もが知っていることだった。
「それでは来シーズンを楽しみにしています。オーナー」
畠山はそう言うと電話を切った。最後の言葉につけられた妙なイントネーションが耳に残った。
夜のリビングには柱時計が秒を刻む音だけが響いていた。
「畠山さん、なんでした?」
背後で純子の声がした。言葉に微かな憤りが込められている。それは畠山だけではなく、自分にも向けられていることが中杜には分かった。電話を取り次いだのがその証だった。
午後九時以降の電話には出ない。あの日を境にそう決めた。夕食の後は逃げるように書斎に閉じこもるようになった。そんな夫に対して妻は、もういい加減に立ち上がれと、そう言っているのだ。
社長の座を追われることになった事件の発覚から三年が経っていた。だが今もとめどない後悔が押し寄せる。自分の中のどこを探しても、あの夜から這い出して、一生終わることのない贖罪と向き合うだけの力は見当たらなかった。だから、妻のメッセージにも応えることはできなかった。
「なんでもない……」
純子にそう答えると、中杜は目を合わせることなく、再び書斎に上がった。ドアを閉め、机の引き出しから再び小型ラジオを取り出す。試合は続いていた。実況アナウンサーの声の後ろに微かな歓声が聞こえる。九回裏ツーアウト、勝敗にほとんど影響することのないソロホームランに対するものだった。厳密に言えば、まだウイングスの最下位は決まっていなかった。だが、電話での畠山の言葉に噓はなかった。確かに決着はついているのだ。
そういえば——。ふと過った。野球に関心がないはずの畠山が自らウイングスの話題を口にしたことがこれまでにあっただろうか。中杜の耳をいたぶるのが狙いなら、他にいくらでも方法はあるはずだった。なぜ……。
だが、答えの出ない疑問について考えることはすぐに諦めた。専務に降格した後、中杜に与えられたのは球団オーナーという立場だった。どんな思惑があるにせよ、畠山の人事に救われたのは事実だった。不祥事の後はどこにいても突き刺さるような視線を感じていた。そんな中杜にとって本社業務とは切り離されたオーナー職はただ一つの逃げ場だった。
椅子の背にもたれ、深く息をつく。書斎の窓からは遠くに灯りが見えた。父はこの春に逝った。晩年はよくこの窓からスタジアムの方角を眺めていた。最期の瞬間までウイングスを気にかけていた。オーナーとしての中杜を動かしていたのはそんな父の思いと、この球団が父と自分を繫ぐ最後の場所であるという事実だった。
最後のバッターが浅いフライを打ち上げたところで中杜はラジオのスイッチを切った。最下位が決まった。創設以来一度も優勝したことがない球団は、その名とは裏腹に「飛べない鳥」と揶揄されたままだった。
2
敗戦後のロッカールームはいつも乾いている。惨敗で最下位が決まったとなれば、なおさらだった。仲田幸広はスパイクの紐を解くと、まずバットを、それからグラブを布で磨いた。ゲーム後のルーティンと、室内に満ちた汗と皮革の匂いだけは勝っても負けても変わらなかった。
ウイングスの本拠地シティドームのロッカールームは中央に共用のソファが置かれ、それを囲むように各選手のスペースが仕切られて並んでいる。三十人ほどの男たちがひしめくその空間で、仲田はただひとり、二人分のロッカーを与えられていた。最も広いシャワーブースは仲田が使うまで誰も足を踏み入れず、洗面台には仲田専用のタオルが掛けられていた。チームメートも仲田自身もそれを当然のこととして受け入れていた。
試合直後のロッカールームには慌ただしく人が出入りしていた。選手はもちろん、トレーナーやスコアラーなどチームスタッフの姿もある。そこへ球団職員用のジャンパーを着た広報が顔を覗かせた。申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。それだけで何を求められているのか分かった。メディアの前に立ち、惨敗の理由を問う記者たちの質問に答え、テレビカメラの前で最下位という結果を謝罪してもらいたい——広報はそう言っているのだ。勝ちゲームの後はヒーローがフラッシュを浴びればよかった。だが、特定の個人が負うことのできない大きな敗北の後、報道陣の前に立つのは仲田をおいて他にはいなかった。それでメディアもファンも納得する。仲田はこのチームにおいてそういう存在だった。
リーグ最下位が決まったこの日のゲーム、仲田は十点をリードされた九回裏に代打で打席に立った。消沈していたスタンドがその瞬間だけ熱を取り戻すのが分かった。得点差や勝敗に関係なく、仲田はいつも誰より大きな歓声を浴びた。その後、三番の大和田綋士がソロホームランを放ったが、仲田の打席ほどには沸かなかった。三振しても拍手をもらえる選手はこのチームにおいて仲田ひとりだった。そして、いつもライトスタンドの横断幕には唐紅色に染め抜かれた文字が揺れていた。
「ミスター・ウイングス」
仲田は七年前のある試合を境に、そう呼ばれるようになった。
一九九六年シーズン、ウイングスは優勝争いから脱落することなく春を過ごし、夏を乗り切ると、痺れるような秋を迎えた。十月十日のシーズン最終戦、〇・五ゲーム差で首位を走る福岡フェニックスとの直接対決にたどり着いた。勝てば球団史上初のリーグ優勝、引き分け以下なら夢は幻と消える。そのビッグゲームで、仲田は九回裏に同点ホームランを放った。さらに得点できなければ規定により引き分けとなる延長十二回裏にはツーアウトから走者として本塁へ突入した。そして、そのクロスプレーで全治一年の怪我を負った。
万年Bクラスの球団が初めて優勝に片手をかけた試合はファンの間で語り草となり、悲劇の主人公としてゲームに殉じた仲田は以後、「ミスター」の称号で呼ばれるようになった。
最下位という結果を糾弾する空気は薄く、メディア対応は思いのほか早く終わった。仲田が戻ってきた頃には、ロッカールームは日常の落ち着きを取り戻していた。昂りも消沈も霧散し、談笑が飛び交うようになっていた。ただ、その中に一人だけ、まだユニホーム姿のまま呆然としている選手がいた。この日の先発マウンドに立った宮田一翔。三回途中までに六点を失ってベンチに下げられた二十一歳は、ゲームを壊した責任を一身に背負っているようだった。甲子園優勝投手として鳴り物入りで入団して三年、その期待に応えているとは言えず、そんな状況の宮田を「戦犯」として記者たちの前に立たせることはできない。広報が仲田に頭を下げたのにはそうした理由もあった。
致命的なエラーを犯したにせよ、無惨にノックアウトされたにせよ、項垂れている者には声を掛けないのがこの世界の暗黙のルールだった。宮田の後ろを通り過ぎていく選手たちのほとんどは無言で通り過ぎるか、慰めの意味で背中を軽く叩くだけだった。そんな中で、失意の投手を見下ろしながら言葉を投げつけた男がいた。
「お前、何度、言ったら分かる?」
その低くしゃがれた声に宮田が顔を上げる。他の選手たちも着替えの手を止める。
「相手が狙ってるところにまっすぐばっかり投げやがって……。まだ甲子園のマウンドにいるつもりか?」
二年前にトレードでやってきた高沢晃市は五球団を渡り歩いてきたベテラン捕手だった。チームでただ一人、優勝経験を持っているが、四十を前にした肩の衰えからウイングスでは控えに甘んじていた。そして誰に対しても剝き出しの言葉を吐くため、度々コーチングスタッフやチームメートと衝突するトラブルメーカーでもあった。
「なんとか言え」
高沢はなおも言葉を投げつけた。俯いたまま黙っている宮田に代わって、立ち上がったのは正捕手の桂有一郎だった。一九〇センチ、一〇〇キロはあろうかという巨漢で高沢の前に立ちはだかる。
「落ち込んでる奴にそんな言い方ないでしょう」
「他に誰も言わねえから俺が言ってやってるんだろうが。毎回、同じようにやられてるバッテリーにな」
高沢は刃物で切り裂いたような細い眼を年下の正捕手に向けた。桂も引かなかった。
「俺たちだって考えなしにやってるわけじゃないですよ。自分が出られないからって、腹いせに後輩に当たるのやめてください」
その一言に高沢の顔色が変わる。
「なんだと?」
ともに重量級の高沢と桂が距離を詰めていく。同じポジションを争う二人のライバル関係も相まってロッカールームに緊張が走った。
仲田が立ち上がったのはそのタイミングだった。内心、嘆息しながら二人の間に割って入ると、まず高沢の肩を抱いた。
「タカさん、気持ちは分かります。でも、もういい。こいつらだって必死にやってるんですから」
チーム最年長のベテランを往なせる選手は仲田をおいて他にはいなかった。高沢の歯痒い気持ちも理解できないではなかったが、自分のいるロッカールームで秩序を乱すような真似を看過することはできなかった。何より、数え切れない敗北をいちいち論うことにうんざりしていた。
「俺にはそうは見えねえけどな」
ミスター・ウイングスを前に矛を収めるしかないと思ったのか、高沢はそう吐き捨てると、ロッカーの奥へと去っていった。桂は仲田に頭を下げ、他の選手たちも着替えに戻った。仲田が腰を上げてからわずか数秒で緊張状態は解かれた。はからずも、誰がこのチームの玉座にいるのかを象徴する場面になった。
それから仲田は着替えを済ませると、高級ブランドのバッグを肩に担いだ。
「お先」
いつからか、その台詞の常連になっていた。誰よりも早くロッカールームを後にする。かつてなら考えられないことだった。怪我をする前の仲田はゲームが終わればバットを担いで、そのままベンチ裏の打撃練習場に向かった。ロッカーに戻ってシャワーを浴びる頃にはチームメートはほとんど誰もいなくなっていた。コーチが止めに来るまで打っていたこともあった。だが、今は身体がそれを許さない。一九九六年シーズンのあのゲームで仲田は左膝の靭帯を損傷し、右アキレス腱を断裂した。その後、左膝にメスを入れてからは月に一度、たまった水を注射器で抜いてもらいにいかなければならなかった。不機嫌な爆弾はいつ暴れ出すか分からず、ここ数年はフルシーズン戦えない状態が続いていた。そして、アキレス腱断裂はあらゆる感覚を仲田から奪い去った。かつてならフェンスを越えていた放物線が外野手のグラブに収まるようになり、ツーベースにできた打球がシングル止まりになる。パワーもスピードもかつてとは比べようもなく、まるで別人になったようだった。ウイングス史上最大とも言えるあのゲームで得たものと失ったもの、仲田幸広というプレーヤーはその光と影で形成されていた。
ベンチ裏の通路を駐車場へ向かう。すれ違う誰もがミスター・ウイングスに頭を下げていく。通路の床を踏むたび左膝が疼いたが、表には出さなかった。仲田はいつ誰に対しても同じ顔を見せた。グラウンドでの出番は減ったが、チームには仲田でしか解決できないことが数多くあった。このチームの象徴たらんとすることが、今の自分を支えていた。
薄暗い駐車場に出て愛車のドアに手をかけたとき、ふと忘れ物をしたような感覚になった。そういえばロッカールームを出るとき、入口のベンダースペースに見知らぬ顔があった。スーツ姿のフロントマンらしき男が無表情で立っていたのだ。チームメートや球団スタッフはもちろん、メディア関係者からドームの職員まで、この球団に関わる人間で仲田の知らぬ顔はないはずだった。
あれは誰だ……。一瞬、頭をよぎったその疑問は、車に乗り込んでエンジンキーをまわした時にはもう消えていた。
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