イナダシュンスケ|牛丼官兵衛
第20回
牛丼官兵衛
僕が初めて𠮷野家の牛丼に出会ったのは、大学生になり一人暮らしを始めてからでした。そしてその後の全生涯を通じて、大学生時代が最も頻繁に𠮷野家のお世話になった時期でもあります。お金は無いけどいつもやたらと腹が減っている、そんな貧乏学生にとって、牛丼はまさに福音。
その当時の僕の牛丼の食べ方は、今思えばずいぶん若々しいものでした。下品だったと言ってもいいかもしれません。往々にして、若々しさは未熟をも意味します。
目の前に牛丼が置かれると、僕はまず肉を奥側の3分の2ほどに寄せるのが常でした。つまり、うっすらとつゆに染まったご飯が一部あらわになる、ということです。そしてそのご飯を、縦に掘削するように食べ進めるのです。もちろん奥側に寄せた肉も時折同時につまみ上げるわけですが、その肉はなるべく少量にとどめるよう努めました。これはつまり、肉を可能な限り温存しようという営みです。これが若々しさです。
何せ腹ペコですから、手前3分の1のご飯はあっという間になくなります。ここまでで肉は2切れ、玉ねぎは1片しか消費していません。当然、この竪穴式牛丼は構造的に極めて不安定な状態になります。その不安定さを逆に利用し、丼の曲面に沿って手前側に向けて30度ほど地滑りを起こさせるのが次のターンです。僕は今、圧倒的なもどかしさを感じています。もしも僕に、かの東海林さだお御大のような画力があれば、ここにこの様子を表した丼の断面図を挿入することでしょう。
読者諸氏はなんとかそのイラストを想像して下さい。人工地震の如く地滑りを起こさせた丼を俯瞰すると、またもや手前にはご飯、奥には肉という、初手と似た風景が現出しています。少し異なるのは、プレートテクトニクス的運動の結果、肉の大部分が奥側に滑落し、その少し手前には米の山脈が連なっている点です。なのでそこをいったん地ならしします。再び平坦になった大地の奥3分の2は肉に覆われ、手前にはご飯のみの平原という、初手と完全に相似形の光景が眼前に広がることになります。そうなったらまた、縦方向の掘削を開始します。もちろん肉はなるべく温存します。
これを3回ほど繰り返すと、最終的にそこに現れるのは、最初の4分の1くらいのご飯に半分ほどしか減っていない肉が載る、言わば「超贅沢ミニ牛丼」です。ご飯と肉が1:1くらいの、すこぶるリッチなそれを、最後は無心でかき込んで宴の終了、ということになります。当時、牛丼[並盛]の価格は400円。それは概ねどんな飲食店より安上がりな食事でしたが、それでもそれはちょっとした贅沢でもありました。そこにおいて、序盤の苦難の時代を経て最終的に大逆転的なカタルシスを得るために、若き日の牛丼軍師官兵衛もとい僕が辿り着いた戦術が、この「竪穴掘削の陣形」だったのです。
「#別冊文藝春秋」まで、作品の感想・ご質問をお待ちしております!