門井慶喜「天下の値段 享保のデリバティブ」#004
第3章
1年後、江戸。
享保10年(1725)秋。府下は黄色い霞に覆われていた。上州方面よりの乾燥した風、いわゆるからっ風が強く吹き、それが砂ぼこりを巻き上げたのである。
からっ風は、ふつう冬に吹くものである。それがこの年に限ってはどういうわけか一足も二足も先に来たので、人々は、
「こりゃあ何かね、天変地異の前ぶれかね」
とか、
「この夏は夕立が多かったから、こんどは水が涸れる番さね」
とか、
「火の用心。火の用心」
などと言い言いした。うっかり竈の火種を外風にさらしでもしたら、たちまち大惨事になるというのは、江戸の人々のほとんど強迫観念になっているのだ。江戸幕府南町奉行・大岡忠相が、その数寄屋橋門内の役宅へ紀伊国屋源兵衛、野村屋甚兵衛、大坂屋利右衛門の3人を呼んだのも、そんな強い風の日だった。
3人は例の、日本橋界隈の米問屋である。前回はだいぶん待たせてしまって、話を始めたのが深夜になったため、大岡は今回は用心した。呼び出しの時刻こそ七ツ時(午後4時ころ)と前回同様にしたけれども、用人の市川義平太が、
「来ました」
と言うや否や、
「そうか」
筆を置き、立ちあがった。
背後の書架へ手をのばし、一冊の薄い書付を取って、ふところに入れた。
着物は、着流しである。廊下へ出て少し歩き、いきなり表座敷の障子戸をあけた。座敷のなかでは、すでに3人が横一列にならんで正座している。
3人とも、こんなに早く来るとは思っていなかったらしい。みな足をくずしぎみにして、おたがいの妻や子供の話をしていたので、大岡に気づくや、
「あ」
口をつぐみ、いずまいを正したのが、かえって大岡にはばつが悪かった。
もっとも、大岡から見ていちばん手前、大坂屋だけは気づくのが遅れた。大岡に背を向けるかたちで先輩商人たちと話をしていたからだろう。おまけに大坂屋はひとり話をつづけながら、左腕を前へのばし、二の腕あたりを右腕で払うしぐさをしている。大岡は、
「おい」
大坂屋がやっと振り返り、まっ青になって、
「あっ。申し訳ございません」
べたっと平伏した。ふだんの剽軽さに似合わない恐縮ぶりだけれども、これは当然のことだった。何しろ彼が今したのは、ここに来るまでに浴びた黄色い風塵を払い落としたということであり、たかだか一商人の分際で武家の表座敷を汚したということである。
本来ならば打首もの、とまでは行かないにしても、失礼が度を超えているのは確かである。どうして玄関でしっかり落として来なかったのか。ふだんは何かと大坂屋に対して小言を言いたがる野村屋までが、隈の垂れた目をしばたたいて、
「いや、大岡様、これは悪意からではなく」
などと早口でとりなそうとする。大岡は苦笑いして、
「よい、よい。寝小便したわけではない」
と相変わらず不器用な冗談を言ってから、室内へ入り、床柱の前に座って、
「おぬしらを呼び立てるのは、1年半ぶりかな」
「ええ」
「はい」
「あのとき沙汰やみにした件を、沙汰する時が来た」
と大岡が言うと、野村屋が腰を浮かして、
「えっ。では」
「いかにも」
大岡はあごを引き、お白州で罪人に判決を言い渡すような角立った口調で、
「そのほうらに命ず。ただちに旅装をととのえて大坂へ参れ」
「いよいよですな」
と、野村屋は目を輝かせ、両手を胸の前でこすりあわせて、
「この日をどれほど待ったことか。いよいよあやつらの不実の商いのありさまを満天下にさらし、その理非を明らかにして、もって六十余州を清らかに……」
「茶を」
と大岡は小姓に命じてから、
「そう急くな、野村屋。まずは現今のご公儀の立場を申して聞かせる」
説明した。幕府はここまで米価の動向を注視するにあたり、従来と変わらず1石あたり60匁を目安にしているけれども、米価はそれに近づくどころか離れるいっぽうで、最近はもっぱら53匁台後半をうろうろしている。
いくら何でも下がりすぎである。そうして米以外の諸色の価格はおおむね安定しているため、米に対して高直になり、全国の武士には二重の打撃になってしまった。金銭収入は減少し、しかし支出は減らないのである。
「恥ずかしながら、わが大岡家でも、来年の年始に家臣に配る年玉は扇をやめて餅にしようと考えている。餅なら米同様に安いのでな」
と、そこで大岡がちょっと息を吐いて、
(つまらぬ、話を)
自嘲したら、野村屋が挑むような目つきになり、
「米価の不振につきましては、むろん手前どもも承知しておりました。むしろ恐れ多いことながら、しばしば首をひねったものでございます。なぜご公儀は手を打たれぬのか、なぜ便々と大坂を野放しにしておられるのかと」
「それは、上様のお考えでな」
「ああ、紀州」
野村屋がぽんと手を打ち、わかったという顔をしたのは、将軍・吉宗はもともと大坂に近い紀伊和歌山の出身だから心情的に味方したいのだと、そう言いたいのにちがいなかった。実際、1年半前、野村屋たちの大坂ゆきを中止としたのは吉宗みずからの判断だったと聞いている。大岡は眉をひそめて、
「ことばをつつしめ、野村屋。上様はそういう下世話な心持ちでものごとを見るお方ではない。例によって御用取次を通してうかがったところでは、ものには順番があるであろうと」
「順番?」
「江戸商人が大坂へ行って御用会所を設立し、相場に介入するというのは、いわば武士が弓を取って合戦をしかけるようなもの。最後の手段である。その前にじゅうぶん事の底を吟味せよと、かように申し付けられたとか」
「事の底を、吟味……」
「要するに、理由をさがせとおっしゃったのだ。そうして上様は、実際に、みずから各地へひそかに御庭番を差し遣わされたそうな」
御庭番とは、将軍直属の密偵である。全国の大名領などへ派遣され、大名の動静や民情その他の探索にあたることを任務のひとつとする。
出発および帰還のさいには人目につかぬよう城に出入りするというから秘密主義が徹底しているが、かといって職そのものは吉宗自身の創設にかかる公然たる幕府機構の一部であり、下級の御家人や旗本があてられる。密偵よりも調査局員と呼ぶほうが適切かもしれない。
「むろん上様はそのほかにも、この大岡や、あるいは御老中・松平乗邑様などにも意見を徴された。それらを糾合した上で出されたのじゃ、この結論をな」
と、大岡はそこで口を閉じると、ふところに手を入れ、例の薄い冊子を出して、
「読め」
大岡から見て左はし、3人の商人の首領というべき紀伊国屋のほうへ突き出した。
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