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今村翔吾「海を破る者」

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日本を揺るがした文明の衝突がかつてあった――その時人々は何を目撃したのか? 人間に絶望した二人の男たちの魂の彷徨を、新直木賞作家が壮大なスケールで描く歴史巨篇
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#別冊文藝春秋2020年9月号

今村翔吾「海を破る者」 はじまりのことば

 世界の長い歴史において最も大きな版図を築いた国はどこか。面積ならば第1位は大英帝国で、その国土は3370万㎢に及ぶ。だが当時の世界における人口比率で考えると20%で、大英帝国は首位から陥落する。  では人口比率から考えた第1位はどこの国か。それが本作の一つの核となるモンゴル帝国である。その領土はあまりにも広大で西は東ヨーロッパから、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断している。そして当時の世界人口の25・6%、実に4人に1人がモンゴル帝国の勢力圏で暮らしていたこと

今村翔吾「海を破る者」 #010

 弘安三年も間もなく暮れようとしている。正月といえば一年のうちで最も大きな祝い事の日で、年が終わるまでに様々な支度に追われることとなる。  庶民でもそれなりに支度をせねばならないのだ。名門御家人の河野家ともなれば、伝統だ、外聞だなどと何事も大掛かりとなってくる。屋敷の中では身分、男女の区別もなく皆で支度に奔走していた。  しかし六郎はというと、  ——特段やることがない。  のだ。何一つである。  毎年、この季節になると、何故だろうかと六郎は考える。  まず考えられるのは当主

今村翔吾「海を破る者」 #011

 道中、近隣の村から見物に出ている者もいた。彼らは皆、己に向けて手を合わせて拝む。  己を拝むことで、祈りを仮託する意味合いもある。つまり己が民の分まで代参するのだ。領主であるが、この時ばかりは、神官としての性質も孕んでいる。  当主に支度を手伝わせないのは、初詣の前に休みを取らせるためではないかと繁は言ったが、実際は代参者としての神聖さを保つためではないか。確証はないし、もっともそうだとしても、それで神聖さを保てる道理が解らないのだが。世の中一見無意味に思えるものにも、何か