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#別冊小説

【直木賞ノミネート!】麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』第1話無料公開 ~意識の高い慶應ビジコンサークル篇~

〈タワマン文学〉の旗手・麻布競馬場待望の第2作『令和元年の人生ゲーム』。発売直後から「他人ごととは思えない!」と悲鳴のような反響が続々と…… 4月、やる気に満ちた新入生の皆さまの応援企画として、第1話〈意識の高い慶應ビジコンサークル篇〉を期間限定で全文無料公開いたします! これを読めば5月病も怖くない……はずです。 『令和元年の人生ゲーム』 第1話 平成28年  2016年の春。徳島の公立高校を卒業し、上京して慶応義塾大学商学部に通い始めた僕は、ビジコン運営サークル「イ

伊岡瞬「追跡」#007(最終回)

24 火災二日目 アオイ(承前)『中央自動車道』小淵沢IC出口まで五百メートルの標識を過ぎた。いよいよだ。 〈いたらどうする〉  ハンドルを握るリョウが、片手で短く訊いた。  どうする、とは「〝やつら〟が出口で待ち伏せしていたら」という意味だ。〝やつら〟が数人の精鋭部隊なのか、一個大隊なのか、そこまでわからない。少なくとも、樋口と間抜けな刑事の三人組のほかに、もう一グループ加わったことはわかっている。  ほんの十五分ほど前に『組合』に、大金——難度の高い〝仕事〟一回分のギャラ

一穂ミチ「アフター・ユー」#007

「ほな、あの花束は……」  沙都子が言葉の続きを引き取った。 「浦さんが、ご自分のお父さまに手向けたもの、だと考えるのが自然でしょうね」  翌日、翌々日と新聞をめくり、念のため一週間先まで記事をチェックしたが、続報は見当たらなかった。 「事件性がなかったとすると、事故か自殺……まあ、遺書でもなければ本当のことはわかりませんよね」  沙都子のつぶやきは、今の自分たちにも当てはまる。そうだ、なぜ今まで考えなかったのだろう。多実も波留彦も、何か苦悩を抱えていて、その苦しみによって繫

門井慶喜「天下の値段 享保のデリバティブ」#007

第4章(承前) 垓太が神妙な顔になり、 「今度は、逃げへんで」  小声で言うと、久右衛門はうなずいて、 「中川、川口、久保田のお3人さんは、もう再来月には堂島近くに新たな御用会所をかまえて、いろいろお指図を始めはるでしょう。ご公儀もこれほどの人を差し向けるからには、よほどお覚悟が強いのでしょうし、あっさり引き上げもしないでしょう。あたしたちには正念場です。これは最後の戦いになる」 「戦い」  垓太はぎょっとして久右衛門を見た。久右衛門はなお静かな口調のまま、 「われら大坂の商

背筋|オシャレ大好き【ホラー短篇】

オシャレ大好き  コンクリートのふちに足をかける。下から吹き上げる風が心地好い。この気持ちはアドレナリンのせいなのか。怖いと感じない私はおかしいのだろうか。下を見つめる。サラリーマン風の男が足早に歩いている。私はやっと解放される。こんな世界から。 「さようなら」  そう話したあと、宙に身を躍らせた。風の音が耳に響く。歩道の地面が猛スピードで迫る。身体の奥から木の枝をまとめて折ったようなバキッという音が響いた気がした。 ※※※※※ 「これ、素材はなにを使ってるの?」  磨

¥250〜
割引あり

寺地はるな「リボンちゃん」#004

第四話 「乾杯!」の掛け声とともに、隣に立っていた知らない男性のコップがありえない角度に傾き、あ、と思うまもなくわたしのシャツの肩は濡れていた。こぼれたビールはじわじわと染みて胸元まで到達しようとしている。 「わ、こりゃ大変だ。ごめんね、だいじょうぶ?」 「気にしないでください、洗えば落ちますから」  わたしはハンカチでシャツを押さえながら立ち上がった。数メートル先のバーベキューコンロで焼いている肉の匂いが鼻孔をくすぐり、お腹がぐうと鳴る。  よかった。バーベキューをやる、と

鈴木忠平・新連載スタート!「ビハインド・ゲーム」#001

プロローグ 開場の日は朝から雲ひとつなかった。生えそろったばかりの天然芝と真っさらなアンツーカーが北の大地の柔らかな陽の光を浴びている。球場のコンコースでひとり、その静謐な光景を飽くことなく眺め続けている男は球団のフロントマンである。濃紺のスーツにチームのシンボルカラーであるスカイブルーのネクタイを締めた彼の胸の裡にはひとつの感慨が宿っている。その感慨がいつまでも彼をその場に立たせていたのだった。  やがてそんな想いを知るよしもないファンたちが、フロントマンの脇を抜け、我先に

太田愛・新連載スタート!『ヨハネたちの冠』 #001

第一章 夏至の夜に始まった六月二十一日 午後八時四十分 「最速で行ってきてよ!」  姉の青明が、リビングからのけぞるように廊下へ顔だけ出して叫んだ。両手はムーニーのお尻拭きで理久の尻を拭いているのだ。階段下の物入れの戸が大きく開け放たれているのは、買い置きの紙おむつが切れているのを発見した際の衝撃をものがたっている。 「わかってるよ!」  紺野透矢は運動靴をつっかけて玄関を出ると、一家に一台きりのママチャリにまたがり、紙おむつを買うために立ち漕ぎでドラッグストアへと急いだ。

門井慶喜「天下の値段 享保のデリバティブ」#006

第3章(承前) 翌日、紀伊国屋は、早朝から大工たちを呼び入れた。  彼らに木の箱状のものを作らせて、土間に置くことで、もう1つ帳場を増やそうとしたのである。 「報酬ははずむ。すぐ作ってくれ」  そう言ったのが効いたのか、大工たちはいったん出て行って、おなじ日の午後にはもう完成したものを運んで来た。  既存の店框の横へ置いてみると、高さがぴったり揃っている。ここに帳場格子と机を置き、奉公人を座らせて、3つめの帳場が稼働を開始したときには、しかしもう土間はしんとしていた。  ほと

一穂ミチ「アフター・ユー」#006

『もしもし』  多実の声だった。すこし掠れているが、間違いない。青吾は、自分でも意外なほど平静だった。 『あ、スガワラさんですか? 調査報告書ありがとうございます。きょう受け取りました。すみません、無理言って郵送していただきまして……』 「多実」  ざ、さ、と砂を踏みしめるようなノイズが混じる。呼びかけに対する応えはなかった。 『はい、だいぶよくなりました。残りのお金はあした振り込みますので、よろしくお願いいたします』  通話が切られ、テレカが吐き出される。「42」に減った度

一穂ミチ「アフター・ユー」#005

 涙の筋で、頰の一部分だけ突っ張る感じがした。先に口を開いたのは沙都子だった。 「とりあえず、上がってください。お茶でも淹れます」 「はい」  子どものように答え、洗面所で手を洗うついでに顔も洗った。鏡を見ると涙は止まっていたが、充血した眼球がまだ全体的に潤んでいる。頭全体が妙に腫れぼったい感じで鈍く痛み、明瞭な思考ができそうにない。ダイニングでは、沙都子が何事もなかったような顔で湯を沸かしていた。 「ハーブティでいいですか?」 「はい」  何を考えているのかわからなくて怖い

大木亜希子「マイ・ディア・キッチン」最終話 料理監修:今井真実

最終話 いつものように布団を畳み、身なりを整え自室の扉を開けると、リビングにパンツ一丁の天堂さんが立っていた。部屋の中央に姿見を置き、何やら鏡の中をまじまじと覗いている。  那津さんが半裸の状態で室内を彷徨くのは日常茶飯事だ。しかし、天堂さんがここまで無防備な姿でいるのは珍しい。と言うか、私がこの家に来てから初めての出来事である。 「……おはようございます」  おそるおそる声をかけると、彼はこちらを振り向いて言った。 「ひゃっ! 白石さん! こんな格好でごめんなさい!」  彼

寺地はるな「リボンちゃん」#003

第三話 左手の爪すべてを玉虫色に塗り終えた時、スマートフォンが鳴り出した。わたしは一年三百六十五日、爪のケアを欠かしたことがない。爪という身体のパーツが愛しくてたまらない。いろんな色を塗りたくれるし、いざという時には武器にもなる。  小さな刷毛をつかって色を乗せる作業も好きだ。神経が研ぎ澄まされ、刷毛を持つ指は震える。息を殺し、目を凝らす。ムラなく塗り終えた時の、なんとも言えぬ高揚感と解放感。  木曜日の午前十時に電話をかけてきて、「いっしょに昼飯でもどうだ」と誘う父は、いち

伊岡瞬「追跡」#006

15 火災二日目 アオイ 油断がなかったといえば噓になる。  あの『B倉庫』で初めて樋口と手合わせしたとき、アオイがあっさりと一本取った。  樋口が手加減しているようには見えなかった。あの男にも華やかな時はあったのかもしれないが、この仕事の〝現場〟に出るにはそろそろピークを過ぎているし、順当な実力の差だと理解した。だから、再び対峙することがあったとしても、そして向こうに多少の〝得物〟のアドバンテージがあったとしても、充分制圧できるだろうと踏んでいた。  その油断がこんな結果を