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2023年11月の記事一覧

矢月秀作「桜虎の道」#004

第3章1  池田孝蔵は西新宿の高層ビルを訪れていた。五十階のワンフロアを貸し切っているのは、警備会社〈アイアンクラッド〉だ。  社内に通された孝蔵は、奥の社長室に案内された。  一面ガラスの窓からは、新宿のビル群と街が一望できる。左手には執務机があり、中央の広いスペースにゆったりとした応接セットが置かれていた。  孝蔵は腰が沈むほどのソファーに深く座り、もたれ、脚を組んだ。  対面には、目鼻立ちのはっきりした細身で長身の男がいた。少しパーマをあてた髪をラフな感じで横に流し、

ハイツ友の会・清水香奈芽、初エッセイ!〈笑けるパターン〉

笑けるパターン 日々生きていると色んな感情になるかと思います。色んな感情にはなりますが、対人関係において外に出す機会が多いのはポジティブな感情です。ネガティブな感情を出し過ぎる人はややこしいと思われるからです。実際ややこしい気がします。だからといってポジティブこそ正義みたいな雰囲気を出されるとそれはそれでややこしいです。  それは無理やろみたいなこともポジティブに持っていこうとする人がいます。あれは私が小学1年生のときでした。登校して朝の会が行われている最中、クラスメイトの

ピアニスト・藤田真央エッセイ #39〈プレトニョフの贈り物――ヴェルビエ音楽祭〉

『指先から旅をする』書籍化! 12月6日(水)発売  7月17日、マルクとの最初の公演が始まった。11時開演のため、9時には教会に到着していた。慣れ親しんできた会場とピアノで、一度鍵盤に触れれば想像していた通りの響きを確認することができる。一方、マルクは幾分緊張気味だ。それもそのはず、今回は全10曲の《ピアノとヴァイオリンのためのソナタ》が配信される。ミスや雑音が入った箇所は終演後にパッチング(修正)を行えるので、それほどナーバスにならなくても良いとスタッフたちがマルクを諭

岩井圭也「われは熊楠」:第三章〈幽谷〉――那智の深山へ

第三章 幽谷 那智山の麓、大門坂の入口近くに大阪屋という宿があった。宿のすぐ傍にそびえる鳥居をくぐり、振ヶ瀬橋を渡れば、そこから先は神域である。  大阪屋の母屋には、細い廊下でつながった離れがある。広縁付きの八畳二間の和室には、書物やブリキの衣装箱の他、蔓羊歯や藪蘇鉄、立忍などの標本が目一杯広げられていた。風通しのよい場所で乾燥させるためであり、それらはすべてこの那智山で採集された代物であった。  開け放たれた広縁に三月なかばの風が吹きこんでくる。いまだ厳冬の気配が残る風を、

ピアニスト・藤田真央エッセイ #38〈私の「ホーム」ヴェルビエーーババヤンのレッスン〉

 2023年7月15日、待ち焦がれたヴェルビエに到着した。冬季にはスイス最大規模のスキーリゾートとしてにぎわうこの地は、至る所にログハウスふうのシャレーが立ち並ぶ。「アルプスの少女ハイジ」を彷彿とさせる風景だ。  この地で毎年7月に開催される大規模な音楽フェスティバル〈ヴェルビエ音楽祭〉の歴史は、今年で30周年を迎える。アニバーサリーイヤーともあって、参加アーティストの面々は例年にも増して豪華だ。常連のミッシャ・マイスキー、エフゲニー・キーシン、レオニダス・カヴァコスやユジ

『ゴーストワールド』から見る《ティーン映画》の系譜――22年ぶりの再公開に寄せて|透明ランナー

 《ティーン映画》というジャンルがあります。「10代の生きづらさ」というテーマはいつの時代も作品の主題となり、数多くの名作が生み出され、同世代の若者が「私たちの物語」として支持してきました。その一方で、こうしたジャンルの物語は、後から振り返ってみて「あの頃はこうだったなあ」と感じることはあるものの、時代が下るにつれ「私たちの物語」として受容されることは少なくなっていきます。  《カルト映画》という言葉があります。公開時よりも公開後に熱心なファンを獲得し、長期にわたって繰り返

今井真実|オーストラリアの湖のほとりに現れた一晩限りのレストラン

第4回 オーストラリアの湖のほとりに現れた一晩限りのレストラン  オーストラリア産牛肉の魅力を伝えるアンバサダー「オージー・ビーフマイト」の日本代表に選出され、先日初めてオーストラリアに行ってきた。同じく15カ国から選ばれた、オージー・ビーフマイトの25人のシェフたちとともに、牛がどのような環境で育てられ出荷までの道を辿るのかということを学び、調理の技術を身につける10日間の旅。クイーンズランド州の牧場や加工場をまわり、料理をし、それはそれは、エネルギッシュな旅だった。

伊岡瞬「追跡」#002

3 火災一年前 因幡将明が書斎で朝食前の読書をしていると、スマートフォンに着信があった。  午前六時五分前だ。将明は読みかけの本を机に伏せ、スピーカーモードで繫いだ。 「何か」  昨夜から宿直当番だった、筆頭秘書の井出が報告する。 〈お忙しいところ申し訳ありません。福村様からお電話が入っております〉  福村といえば、三人いる内閣官房副長官のひとりだ。官房長官の田代でないということは、その程度の案件ということだろう。しかしその一方で、どうでもいい話でかけてくるにはまだ少し時刻が

結城真一郎最新ミステリ!「大代行時代」をお届けします

わが銀行に入行した〝モンスター新人〟は、業務に関わる質問を誰にもしてこない。彼はどうやって仕事を回しているのだろう――? 2022年刊行の『#真相をお話しします』が累計20万部を超える大ヒットとなった結城真一郎さんの最新ミステリ短篇をお届けします。 大代行時代 いつの間にやら「近頃の若いやつは……」と言われる側から言う側に回っている。普段から殊更に意識しているわけではないけれど、季節が廻り、年度始まりの四月を迎えるたびに、そこはかとない焦燥感がせり上がってくる。仕事のこと

「野暮でいこう」種村季弘が教えてくれたこと――ゲームさんぽ・いいだの愛読書

「ゲームさんぽ」というYouTubeの動画をご存じだろうか。さまざまな分野の専門家と一緒にゲームで遊びながら対話していく“教養系”の番組で、私は一連の動画の企画・制作をしている編集者だ。新卒の社会人としては美術の教科書編集者になったが、その後ウェブ記事の編集者を経て、動画の制作をするようになった。今回は私の愛読書ということで「編集者として持つべき基本姿勢を教えてくれた一冊」をご紹介したい。 編集者という肩書き  ところで、編集者というのは便利な肩書きだ。なんとなくのイメー

イナダシュンスケ|千切りキャベツの成長譚

第18回 千切りキャベツの成長譚 僕が小学生の頃「放送教育」というものがありました。これはNHK教育テレビでやっていた小学生向けの学科の番組を授業中にみんなで観るというもの。例えば週に一回の「道徳」の時間には、15分ほどの道徳の番組を観る、という感じです。もちろんすごく面白いというわけではないのですが、一応ドラマ仕立てで、普段の退屈な授業よりは幾分マシでした。そして僕はこの「道徳」のドラマに、なぜかじわじわとハマっていったのです。  自分たちと同じ小学生を主人公とするそれは、

ブックガイド——中央ユーラシアから見る歴史|白石直人

 従来の歴史記述の多くは、ヨーロッパ諸国や中国の歴代王朝の視点から書かれたものが多い。そうした視点の記述では、大陸の中央部を広く占める中央ユーラシアは見過ごされるか、「野蛮な敵」として貶められるかがほとんどである。しかし近年は、見過ごされてきた中央ユーラシアの視点から歴史を記述し直す試みが活発に行われている。今回の記事では、そうした中央ユーラシアを主人公として描かれる歴史の本を紹介したいと思う。 ◆騎馬遊牧民の視点 ヨーロッパ諸国や中国の歴代王朝の視点の記述では「未開で野蛮