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結城真一郎最新ミステリ!「大代行時代」をお届けします

わが銀行に入行した〝モンスター新人〟は、業務に関わる質問を誰にもしてこない。彼はどうやって仕事を回しているのだろう――?

2022年刊行の『#真相をお話しします』が累計20万部を超える大ヒットとなった結城真一郎さんの最新ミステリ短篇をお届けします。

こちらの作品は、文春文庫から2023年12月刊行のミステリ・アンソロジー『禁断の罠』に収録されます。

禁断の罠文春文庫刊
2023年12月6日(水)発売決定!
米澤穂信、新川帆立、結城真一郎、斜線堂有紀、中山七里、有栖川有栖というミステリの最前線で活躍するスター作家6人の新作がいきなり文庫で勢ぞろい!
ミステリの名手が仕掛ける6つのナゾに2度読み必至の豪華アンソロジー。

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大代行時代

 いつの間にやら「近頃の若いやつは……」と言われる側から言う側に回っている。普段から殊更ことさらに意識しているわけではないけれど、季節がめぐり、年度始まりの四月を迎えるたびに、そこはかとない焦燥感がせり上がってくる。仕事のこと、結婚や出産のこと、ひいては人生設計そのものについて。社会人八年目、齢三十。二〇一六年に新卒でいなほ銀行の一般職として入行し、ここ武蔵浦和支店が三か店目。気持ちだけはいつまでも若輩者のつもりでいたけれど、これはもう正真正銘の中堅だ。事実、いまはいくらか役職も上がり、新人の指導員を任されるまでになってしまった。
 今年、うちの支店に配属された新人は二名。一般職の内海うちうみさんと、総合職の猪俣いのまたくん。私は後者の指導担当で、お客さま対応のいろはから日々の雑務の類いまで、教えるべきことは枚挙にいとまがない。
 支店での二人の立ち振る舞いは、まるきり正反対だった。ちゃきちゃきしていて、いつも愛想がよくて、わからないことがあればすぐになんでも訊いてくれて、なにかと気が利く内海さんは誰からも愛される期待の新人なのに対し、猪俣くんはというと、どことなく覇気がなくて、言われたことしかやらなくて、なんなら言われたことすらままならないこともあって、そのくせ定時になるといの一番に席を立ち、蚊のなくような声で「お疲れ様です」と呟きながら姿を消してしまう。
 ——Z世代ってやつだな。
 配属から数日が経った頃、支店長室で猪俣くんのこうした〝生態〟を報告すると、支店長は他人事みたいにゲラゲラ笑っていた。いや、笑い事じゃないんですけど、とんだ貧乏籤びんぼうくじじゃないですか……と内心不平を漏らしつつ、そういうものなのかな、とも思ってしまう。出世よりも自分らしい生活が第一で、定時には帰宅し、有給休暇はフルで取得。他人の生き方をとやかく言うつもりはないけれど、少なくとも七年前の自分はそうじゃなかったと断言できる。できるだけ高い評価を会社から得たいと思っていたし、自分から進んでやるべき仕事を探していたし、なんの戦力にもなっていない自分が真っ先に帰っていいのだろうか、しれっと休暇を申請してもいいのだろうかと常々気にしていた。それが新人としての、いや、社会人としてのあるべき姿だと思っていたし、その考えはいまも変わっていない。
 もちろん、猪俣くんにとって少々窮屈な環境だというのは認める。スタッフさん、警備員さんを含め二十人にも満たない小規模な支店ながら、九割以上が女性職員という完全なる女社会で、しかも圧倒的な末席。悪目立ちしないよう縮こまり、本来の持ち味が発揮できなくても、ある程度は仕方ないと思う。でも、有名大卒のいわゆる〝エリート〟なわけだし、総合職は一般職の私たちとは比べものにならない——なんなら八年目の私と同額かそれ以上の給料をもらっているんだから、もっとしっかりしてよ、という思いも払拭できない。
 ——まあ、いろいろ難しいと思うけど、引き続き頼むよ。
 内海さんと違い、総合職の猪俣くんは一年もしたらどこかの法人営業部に異動することになる。その意味では、ほんの短い間の付き合いだ。正直、彼がどんな社会人になろうが知ったこっちゃないのだけど、仮にも指導員を仰せつかった以上、やっぱり気にかけないわけにはいかない。そんなんじゃこの先やっていけないぞ。少しは配属同期の内海さんを見習いなさいよ。そう活を入れたくなってしまう。
 ——このたび、内海さんが退職することとなりました。
 課長からこの一報がもたらされたのは、つい先週のこと。
 新人がなんの前触れもなく辞めてしまうのは、別に珍しいことではない。中でもゴールデンウィーク明けは最初の山場で、入社以来張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れ、そのまま退職を願い出るのはままあること。御多分に漏れず、内海さんもゴールデンウィーク明けから突如出勤しなくなり、たぶんそうなるだろうな、と薄ら予感はしていたのだけど、なにより驚いたのは彼女が退職代行を利用したという事実だった。
 ——まったく、近頃の若いやつは。
 なにかの折に、支店長が自席で漏らしているのを耳にした。
 そして、これに関しては私もまったくの同感だった。
 退職代行というのは、読んで字のごとく、労働者本人に代わって弁護士や代行業者が会社に退職の意思を伝え、まつわるいっさいの手続きを引き受けてくれるサービスである。上司に自ら申し出る必要がなく、会社とのやりとりも丸投げできるので、一定のニーズがあることは理解できる。ただ、そのいっぽうで「それは人としてどうなの?」と思ってしまう自分もいる。もちろん、中にはパワハラやセクハラを受け、もう二度と上司の顔を見たくない、という事情を抱えている人もいるのだろうけど、内海さんがそれに該当していたとは思えない。仁義を切らず、単に横着したように見える。これだから近頃の若いやつは……と感じてしまう私は、やはりもう古い人間なのだろうか。
 それはさておき、内海さんの退職によって私の日々には一つの変化があった。
 朝九時の開店から午後三時の閉店までの間、気付けば背後に人の気配がするようになったのだ。じりじりと焦がれるような視線をうなじのあたりに感じつつ、五秒、十秒と無視を決め込んでも状況はいっこうに変わらず、やがて根負けした私は毎回こう言って背後を振り返るのだ。
「どうしたの、なにか質問?」
 予想通り、今日も立っていたのは猪俣くんだった。律儀に七三に分けられた頭髪、いささかシンプル過ぎる野暮ったい黒無地のスーツ、胸元につけられた名札、そのどれもがまだ板についていない。唯一「研修中」と書かれた蛍光色のバッジだけが燦(さん)然(ぜん)とその存在を誇示している。
「え、あ、はい……」
 一命を取り留めたかのようにホッと眉を下げ、猪俣くんはおずおずと手元の用紙を差し出してくる。
「印章変更の手続きなのですが、印鑑を紛失してしまっていて、しかも住所も変更があるみたいで……」
「ああ」
 たしかに煩雑な手続きであることは認める。住所変更と喪失改印——一つひとつはどうってことない作業だけど、それが同時発生となると、まだ窓口に出たての新人くんにはいささか荷が重いと思う。
「記入してもらった?」
「はい、いちおう」
「見せて」
 申請用紙を受け取り、検証すべき箇所に目を走らせつつ、どんよりと濁った溜め息をつきたくなる。まったく、どうして自分から声をかけられないのだろう。あのまま私が振り返らなければ、いつまでもああして突っ立っているつもりだったのだろうか。
「ここに、チェックマークを入れてもらって」
「あ、そうか」
 慌てた様子で猪俣くんはスーツの胸ポケットからボールペンを取り出す。
「ダメ。いちおう、お客さんの直筆で」
「あ、そうですよね」
 一般職と総合職とでは、支店配属の時期が微妙に異なっている。新人研修の長さが違うからで、一般職は四月中旬、総合職は四月下旬になるのが通例だ。それを踏まえ、だいたいどの支店でも一般職のほうが早く窓口に出るのだけど、うちの支店は内海さんが早々に辞めてしまったため、通常よりも前倒しで猪俣くんが窓口業務を任されるようになったのだ。
 そして明らかになったのが、この新たなる〝生態〟である。
 自ら質問しない。
 こちらから水を向けるまで延々と背後に佇むだけ。
 初めは「なんなの? 質問があるなら早く訊いてよ」とイライラしっぱなしだった。社会人としてそれはマズいんじゃないの、という親心が半分、忙しいんだから余計な手間をかけさせないでよ、という憤りが半分。
 そんなわけで、少し前にあえて無視を貫いたことがある。背後に佇んでいることを承知していながら、ただただ自分の作業に没頭していたことが。別に、意地悪をしたいわけではない。いや、その気が微塵みじんもなかったかと問われるとやや怪しいのだけど、少なくとも指導の一環のつもりではあった。そして結果的に、延々と待たされ続けたお客さんが業を煮やし、窓口で激怒する事態に発展してしまったのだ。
 これには「マジかよ……」と怒りを通り越して呆れるしかなかった。こうなることは予想できたでしょ。そうなる前になんで質問して来なかったのよ。仮に「そんなこといちいち訊いてこないで」って叱られたとしても——まあ、私はその程度のことで𠮟ったりはしないけど、もしそうなったとしても、窓口のお客さんを第一に考えるべきでしょ。というか、こういう事態になるほうが比較にならないくらい怒られるでしょうに。
 以来、私は不承不承振り向き、手取り足取り教えるようにしている。
 新人の成長を見守るのも大切かもしれないけれど、やはり最優先すべきはお客さまだ。
「ありがとうございます」
 ぼそぼそと礼を口にし、背中を丸めて窓口へと戻っていく猪俣くん——その後ろ姿を見送る私の胸には、もやもやとした疑念が立ち込めている。別に大した話ではないと言ってしまえばそれまでなのだけど、一度気付いてしまったが最後、それはしぶとい油汚れのように拭っても拭いきれないのだ。
 なぜ窓口が開いている間だけなんだろう。
 それ以外のときはどうしているんだろう。
 新人なら毎日、それこそ毎分毎秒のように疑問と直面するはずなのに、この支店には誰一人として彼から質問を受けた人間がいないのである。唯一の例外が指導員であるこの私なのだけど、それだって九時から三時までの営業時間中限定——しかも、いまみたいにこちらから促すことでやっとこさ、という具合だ。
 もちろん、なんでもかんでも訊かれるまで教えないわけではない。キャビネットの施解錠の順番だとか、防犯カメラの起動ボタンの位置だとか、警備会社への現金引き渡し手順だとか、ATMに不具合が生じた際の対処法だとか、営業端末の操作方法だとか、新人がやるべきこと、体得しておくべきスキル等はむしろ積極的に教えている。とはいえ時間には限りがあるし、当然そのすべてを伝えきれてはいない。そうして網の目から零れ落ちた些細な疑問は、営業時間中か否かを問わず、いくらだって湧いてくるはずなのだ。
 それなのに、猪俣くんはまったく質問をしてこない。
 むろん、人の手を借りずとも解決できるならそれに越したことはないし、ある意味では手がかからないと言えるのかもしれない。
 でも、あの猪俣くんが?
 ありえない。なんで? どうして?
 小首を傾げつつ、今日も今日とて、私は窓口から回ってくる書類の山に忙殺されていくのであった。

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