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大前粟生「チワワ・シンドローム」#004

新太の行方と“チワワテロ”の謎を追うなかで、
鍵を握るインフルエンサー「MAIZU」に接触した琴美とリリ。
しかし新太については何もわからないままだった。
諦められない琴美はリリに内緒でMAIZUに連絡を取り続け――

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「なんだったんだろうね、最後の」
 琴美とリリは駅へと向かうタクシーの中で困惑していた。
 あの後MAIZUは、「好きな男性のタイプは?」「タイムカプセルに入れるならなに?」などと脈絡のない質問を矢継ぎ早に投げてきたり、かと思うと、自分は被害者なんだ、と繰り返したりした。MAIZUの口調は柔らかいものだったが、まるでこちらを試すように、仮面からほの見える目は据わっていて、有無を言わせない雰囲気を漂わせていた。
「疲れちゃったな」リリが琴美の肩に寄りかかってくる。琴美はリリのあたたかさを感じながら窓の外を眺めたが、代わり映えのない田舎の景色にも飽きてスマホを弄った。なんの気なしにSNSを巡回していると、充電が残り十パーセントだという注意が表示され、観月さんに通話を繫いでいたことを思い出した。「ありがとうね。もう大丈夫そうだから通話切るね」と慌てて伝えた。

 リリとは東京駅で別れた。琴美はリリが電車に乗るのを見送った後、MAIZUに電話をかけた。
「MAIZUさん、他の交換条件考えてくれました?」
「いや、もうちょい待ってくれる?」
 それだけのやりとりで、向こうから電話が切られた。
 MAIZUの家にいる間に、リリには気づかれないように電話番号を聞いておいたのだ。これ以上、リリを巻き込みたくなかった。
 確信は得られなかったが、MAIZUと新太にはなんらかの繫がりがあると直感した。きっと、配信者とファンという以上の関係が。
 それにしても、現金なもんだな、と思う。
 また会えるかもしれないという可能性が浮かんだ途端に、やっぱり今でも新太さんのことが好きなんだ、と心が訴えてきた。
 見た目のわりに少し高い声も、息遣いも、たまに困ったようにこっちを見るあの目も、やけに綺麗だった肌も、全部思い出せる。思い出すと、まだ自分たちはあの時間の中にいるような気がした。彼がいなくなってなんていない、あの時間に。
「来年は、花火いっしょに見れるかなあ」
 乗るはずの電車が来たけれど、見送ってしまった。

 リスナーを優しさで包み込むリリの配信はここに来てさらに人気になっていた。定期的に開催している〝あい会〟を生配信したことが一役買っているようだった。受講生からのお悩み相談をメインとする回だった。切り抜き動画がいくつも出回り、再生回数は数十万、数百万と膨らんでいった。琴美もチェックしたが、中でも印象に残る受け答えがあった。
「自分は、つい誰かを傷つけたり、傷つけられたりしちゃうんじゃないかと考え込んでしまって、学校でもバイト先でもうまくコミュニケーションが取れないんですけど、どうしたら良いと思いますか?」
 十代の受講生による質問に対し、リリはこう答えた。
「そのままで良いと思うよ。その繊細さって、君の長所だから。君みたいな人は、他の人の〝傷〟も受け止めてあげられる。これって、すごいことじゃない? そして君が、誰かの〝傷〟を認めてあげたら、その人は君から離れられなくなると思うんだよね」
 カメラが切り替わって、感極まったような笑みを浮かべる受講生たちの顔が映し出された。彼らは一様に頷いていたが、琴美は「君から離れられなくなる」というリリの言葉に、言いようのない不安を覚えた。
「ちょっと、自分語りしても良いかな。十代の頃はね、私すっごい生意気だった。みんなのこと馬鹿だって見下すことでアイデンティティを保ってた。だからね、高校生の時とかクラスメイトからうとまれてたんだ。ある日、そんな私にひとりの女の子が声をかけてきた。彼女の失恋の悩みを聞いてね、そしたらその子『リリといると落ち着く。安心する』って言ってくれたんだよね。私、びっくりしちゃった。それはそのまま、その子の弱さだと思ったから。それにさ、私といると落ち着くってことは、私が彼女を突き放して不安にさせることもできるってことでしょ?」
 ——その女の子って、私のことだ。
「でも、気づけば、その子のことがすごく大事になってた。彼女が私を必要としてくれる限り、私は孤独じゃなかった。一緒に過ごすうちに私も気づいたんだ。自分の〝傷〟を見せられる人って、すごいなあ、可愛いなあって。はは、だから〝あい会〟なんか始めたのかな。今日みたいにみんなが自分の〝傷〟を言葉にしてくれること、私はうれしいんだよ」
 リリの回答を聞いて、琴美はあたたかい気持ちになりながらも、胸にざらつくものを感じていた。かつて新太に面接で会った学生たちの話をしたことを思い出していた。
 ——彼らは〝傷〟を言葉に、声にしたかったのかもしれません。
 たしか新太はそう言っていたのだった。
 質問はさらに続いた。今度は、派遣社員を長年続けているという四十代の女性からだった。
「友人との付き合い方に困っています。その子は、自分がやるべきことでも私に頼ったり、すぐ愚痴に付き合わせたりするんです。彼女、過去にいろいろと大変な目に遭ってきたみたいで、そうした事情も聞かせてくれるんですけれど……」
「まあ、こういう時代だし、しょうがないよね。今時、成功体験なんか持ってる人の方が少ないでしょう? どうしても、過去の失敗だったり、つらい出来事がどころになっちゃうんだろうね」
「やっぱり、彼女の話をもっと聞いてあげた方がいいんでしょうか。最近はいい加減にしてって思うことも多いんですけど、『あなたは強いからいいよね』とか言われると、放っておくのも難しくって」
「私ね、自分の〝傷〟を利用する人は嫌いなの。〝傷〟を素直に見せられる人って可愛いけど、〝傷〟を誇示して、相手を動かそうとするのは違うと思う。もしそういう人との付き合いにしんどくなっちゃったら、思い切って縁を切るレベルで離れてもいいんじゃないかな。それより、あなたはあなた自身のことをもっと愛してほしい」
 そう言い終わると、リリはカメラに向かって「大好き。大好き。大好き」と歌うように呟いた。

 リリの人気はインターネット上にとどまらなかった。地上波テレビで新しく始まる若者世代を中心とした討論番組の隔週レギュラーに選ばれたのだ。最近は番組の初回スペシャルの収録があったり、アイドルフェスのゲストリポーターを務めたりなどと忙しいようだ。MAIZUの家を訪れてから七日の間、琴美はリリに会わなかった。
 ふたりで調査を始めて以来毎日のように会っていたから、たった七日であっても、生活の一部が抜け落ちたような感覚だった。リリと居ないと寂しかった。リリの言葉は居心地が良すぎるから距離を置いておきたい——二か月ほど前まではそんなふうに考えていたのに、その気持ちをもう思い出せなかった。

 ちょうど新卒採用の業務も一段落ついたこともあり、琴美にとっては手持ち無沙汰な一週間だった。二、三日かけて、念入りに家の掃除をした後は、映画を観に行ったり、ひとりで新しくバーを開拓したりしたけれど、リリと共にいないことの寂しさは膨らむばかりだし、じれったい気分は晴れなかった。
 週末になっても、MAIZUから「交換条件」は届かなかった。こちらから催促するとMAIZUに優位に立たれるような気がするから、待つしかなかった。もしMAIZUの線で新太さんを追えない場合、どうするべきなのか。別の方法を模索する必要があると腹を括り、通販で注文したホワイトシートを壁に貼りつけた。
 これまでスマホに残してきたメモを見返しながら、シートに慎重に書き込んでいく。
 八月七日。この日、新太さんのズボンにチワワのピンバッジが取り付けられていた。
 八月八日にチワワテロ。
 八月一六日の花火大会で、新太さんから「会わないようにしよう」と連絡が来る。
 リリと再会して、新太さんの行方を探り始めたのはこの後だ。新太さんの仕事相手だったがわさんにも協力してもらった。わかったのは三年前にも新太さんは音信不通になり、当時の人間関係を絶っているということ。
 九月六日から七日の未明にかけて、チワワテロの記事を書いたのが観月さんだとわかって三人で飲み、閉じ込め事件に遭遇。
 九月二三日、インコテロ。
 九月三十日、笑うキズさんの声明。一連の事件がMAIZUとその周辺を狙ったものだということがわかる。
「MAIZU」から「新太さん」まで矢印を伸ばして、接点? と書き込む。それから八月七日のところに、なぜ新太さんだけ先に? とつけ加えた。
 それから琴美は、笑うキズさんの声明動画を再生した。
 やっぱり、なにかひっかかる気がした。何度も見返したけれど、その正体までは考えつかない。
 ふと、カーテンからにじみ出したように部屋に陽が入っているのに気づいた。いつの間にか朝になっていた。琴美はホワイトシートに書いた時系列や相関図を見渡し、ため息を吐く。
 風呂に入って目玉焼きとスープだけの朝食を摂り、なんの気なしにテレビを点けた。
「え?」
 琴美の目は、テレビ画面に釘付けになった。

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