
大前粟生「チワワ・シンドローム」#005
MAIZUと笑うキズさんの突然の和解から数日後、
リリ部屋へ向かった琴美はリリと観月さんの口論を耳にする。
そしてその日MAIZUが公開した動画に映っていたのは——
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琴美は急いでYouTubeアプリを開き、MAIZUのチャンネルを表示した。数分前にアップロードされた最新の動画のサムネイルには、MAIZUとリリと、琴美が映っていた。「MAIZU新章第一弾!」というタイトルが付けられ、概要欄には「弱さに寄り添う配信で若者世代に大人気のリリさんとコラボ! お友達も来てくれました」と記されている。
慌てて動画を再生すると、琴美とリリがソファに腰掛け、MAIZU相手に、にこやかに喋っていた。
服装から察するに、MAIZUの家を訪れた時に撮影されたものだろう。
「これ、隠し撮りだ」
リリの言葉に、琴美は肝を冷やした。
あの日琴美とリリが話した言葉が編集されて好き勝手に繫げられていた。
「まずおふたりのことを知ろうということで」とMAIZUが切り出し、「好きな食べ物はなんですか?」「好きな男性のタイプは?」といった質問が、動画の中でもなされた。あの時は険悪な雰囲気で、私もリリも質問にはろくに答えなかったはずだ。それなのに自分たちは、「ひとりでよくラーメン行ったりしますよ」「琴美ラーメンばっかりだもんね」「やっぱり、安心感を与えてくれる人ですかね」「私はけっこうぐいぐい来てくれる人かも」などと答えているのだった。
そんなこと、言った覚えはない。
偽造された音声だった。リリの声は、普段のリリのそれより甲高く、微妙に機械音声っぽく聞こえた。
けれどそれは、微妙な違和感に過ぎない。動画で初めて私たちの声を知る人たちは気づかないだろう。
MAIZUは、リリとのコラボを熱烈に望んでいた。
こんなことをしてまで、その願いを叶えたいのか。
一体、なんのために? 琴美は、気味の悪さにめまいがする思いだった。
リリはかなり頭に来ているらしく、「ふっっざけんな。琴美を巻き込むなよ」と呟いた。
琴美は腹を括り「しょうがないか」と言う。
「リリ、MAIZUと連絡取れる?」
琴美はリリに、ある提案をした。
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MAIZUがTwitterで「緊急告知」を出したのは、その日の正午のことだった。
〈本日の二二時からリリさんのチャンネルでもコラボ配信をします。あの〝リリ部屋〟から生配信! お見逃しなくっ!〉
MAIZUのツイートを会社近くの中華料理店で見ながら、琴美は複雑な思いがしていた。
本当にこれで良かったのかな。
このめまぐるしさの中で唯一良かったとはっきり言えるのは、琴美がしつこく説得したおかげで、リリが火傷を診せに病院に向かったことだった。
会社に戻ると、MAIZUとの関係について、関から質問攻めにあった。琴美は今日の夜のことを考えると憂鬱で、お茶を濁すような返事しかできなかった。
無理を言って早上がりさせてもらい、会社近くの図書館へと赴き、昔の新聞の縮刷版に目を通した。
調べ物が済むとリリ部屋へ徒歩で向かったが、近づくほどに気が塞いでいくのだった。
部屋に着くと、リリが優雅に紅茶を飲んでいた。
「じたばたしてもしょうがないよ」
「MAIZUは? 予定変更とかないよね」
「そこは大丈夫」
「わかった」
「調べ物はどうだった?」
「あたり」
「浮かない顔してるね」
「そりゃ、そうだよ。ねえ、病院はどうだった? 火傷、どんな感じ?」
「塗り薬もらっただけ。お医者さんが言うには、大したことはないって。でも、なんでかな、昨日より爛れて、グロくなってる」
リリは、琴美を気遣うように笑ってくれた。