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波木銅、初のルポルタージュ!「人生は夜間飛行」第1回

 2021年、『万事快調〈オール・グリーンズ〉』で松本清張賞を受賞。
 京極夏彦、辻村深月、中島京子、東山彰良、森絵都——選考委員各氏の心を摑み、破格のデビュー作と評されてからもうすぐ1年。〈現役大学生作家〉はこの3月、卒業式を迎えます。
 人類滅亡が予言された年に生まれたこの世代は、コロナ禍の就職活動を強いられ、いざ新社会人というタイミングで、ロシアによるウクライナ侵攻という超弩級の有事にめぐり逢う。
 この道がどこに続いているのかはわかりません。
 それでも、僅かな月明かりを頼りにただ一人で夜空に飛び立とうとするとき、そこに見える世界はどんなものか。このルポルタージュには、その景色が写し取られているはずです。

第1回 精神のゲーム、ボウリング
波木銅


 いいか、依子。ボウルを投げた瞬間に結果は決まっている。手を放すタイミングに角度、スピード。物理の法則だ。それでもわたしたちは期待する。何本倒れるだろうかと。

呉勝浩『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』

 アプローチに立つ。助走をつけ、手からボールを放す。それは上手い具合に真っ直ぐレーンを転がり、ピンにぶつかったように見える。しかし、回転かスピードか、なにかが足りなかった。三角形を構築する十本のピンのうち、最奥の左右二本が残る。スコア表にはマルのついた「⑧」と記録される。
 スプリットだ。このピンの残り方は、ボウリング用語で「セブン・テン」や「スネークアイ」、日本語では横にふたつ並んだ見た目から「門松」とも呼ばれる。ここからスペアを取るのは熟練したプロ選手でも非常に難しいという。達成できるのは確率にして一パーセント以下。最高スコアの三百点を出してパーフェクト・ゲームを決めるより難しいらしい。
 だからここは冷静に、一本を確実に倒すべきだ。ゆっくりと、狙いを定めて、左端のピンをめがけ……。

我ながらおぼつかない投球フォームである

 ガコン、と、ボールはガターへとむなしく落下した。一投目に残したピンを二投目で倒せなかった場合、スコアは「ミス」となり、「−」と記録される。
 この「⑧」と「−」が並んだスコアは俺という人間のメタファーか? いつも詰めが甘く、肝心なところでしくじる。そして、そのミスの尻拭いさえロクにできない! 
 だがゲームはまだ続く。次、自分の番が回ってきたら、今度こそ、すべてのピンを薙ぎ倒してみせる……。そう決心して、ふたたびボールの穴に指をハメる。

◆なぜボウリングに惹かれるのか?

 いつか、ボウリングについて書きたいと思っていた。
 茨城の寂れた地方に住んでいた十代の頃、「殺風景」そのもののような土地にかろうじてあった数少ないエンタメのひとつがボウリングだった。私が生まれるよりずっと前にあったというブームのと残滓ざんしして鎮座する、薄暗いボウリング場で闇雲に球を転がしていたことを覚えている。当時はレーンに並んだピンをそのとき抱えていた「退屈さ」の象徴とみなし、それを蹴散らすことを爽快に感じていたのかもしれない。

 上京し、成人してからは、コーエン兄弟の映画『ビッグ・リボウスキ』みたいに仲間内でアルコールを味わいながら投げるという楽しみ方もできるようになって、より入れ込むようになった。今も、久しぶりに会った友人と遊ぶときにしろデートのときにしろ、とりあえずボウリングに行けばいいと思っている節がある。今のところそれで失敗したことはない(はずだ)。
 私はシンプルな娯楽としてボウリングを享受してきたが、もっと深いところまで触れてみたくなった。れっきとした競技として、本格的に打ち込んでいる人々もいるわけだから。「競技」、ないし「文化」としてのボウリングについてクローズアップしてみたい、と思い立つ。

 編集部にも協力を仰ぎ、実際に二名のボウラーに話を聞いてみることにした。
 一人目は、スポーツ誌『Number』編集部の朴鐘泰パクチョンテ氏。彼は矢島純一やじまじゅんいち選手に師事する現役のプレイヤーだ。矢島選手は、実に四十一回という公認トーナメント優勝経験を持つ日本ボウリング界のレジェンドで、この記録は国内最多だという。おまけに日米通算公認パーフェクトを三十回達成。七十六歳にして現役のプロボウラーでもある。
 同誌でボウリング特集を組んだことをきっかけに、本格的に競技シーンに参加するようになったという。彼のホームである中野サンプラザボウルに案内していただいた。
 フロントに入ると、場内に響く賑やかな音が耳に入る。投げられたボールがレーンを転がり、小気味良くピンを薙ぎ倒す音。グループ客の楽しげな声。これもボウリングに行く醍醐味だよね……とかしみじみ思っていると、そこからひとつ下の階層に案内される。階段を下りると、ボウラーたちが練習や試合に用いるための、もうひとつのレーンがあった。
 上階を私たちのような一般客が見様見真似で球を転がしてはしゃぐ用のフロアだとすると、下階はマイボウラーたちが真剣にボウリングと向き合うフロアだ。試合や練習に使用される、コンディションの整ったレーンで投げさせてもらいながら、朴氏に競技としてのボウリングの真髄を尋ねる。

手本を見せてくれる朴氏
マイボールの世界は実に奥が深い

「ボウリングの上達に必要なのは三つ、『再現性』、『継続性』、そして『客観性』だと思います」 
 朴氏はそう解説してくれた。
『再現性』とは、同じ動きを正確に何度も繰り返すこと、『継続性』は、再現性を高めるために練習する機会を少しでも増やすこと、『客観性』は、自分のフォームや投球結果を冷静に省みることをそれぞれ指す。
 戻ってきたボールは投げる前よりツヤがかって見えることから分かるように、表面にオイルがべったりと付着する。つまり、その分レーンからオイルがこそげ取られているということだ。オイルが塗られたレーンのコンディションは、ボールの軌道の行方を大きく左右する。ハイスコアを記録するには、刻々と変わるレーンの状況を読み、毎回ベストな投球を行う必要がある。
 一見シンプルな繰り返しにみえるストロークの中に、緻密な計算が求められていることを知った。

投げ終わった後のボール。表面にオイルが付いているのがよく分かる

 その日、地下のフロアで投げていた人の多くは高齢のプレイヤーだった。「マイボールの重さは15ポンドが主流ですね」
 朴氏は言う。ということは、彼らはあの年齢で6.8キロの塊を、軽やかに扱っていることになる。私は彼らより下手すりゃ半世紀くらい若いだろうが、片手でボールを持つだけでもなんだかおぼつかない。
「ボウリングに筋力とかのフィジカル面はそこまで重要じゃないんですよ」
 たしかに、競技者たちはことさら屈強な、スポーツマン然とした体格には見えなかった。
「ボウリングをやるのに、なにも鍛えてムキムキになる必要はなくて。世間一般でいう、パワーとかスピードとかの、いわゆる運動能力はさほど要らないんです。それより何より、ものを言うのはメンタルです」
 精神のスポーツ。
 どうやら、それがボウリングの面白みにつながっているようだ。

 その日、朴氏には、プロボウラーになるためには非常に狭い門を突破する必要があること(それぞれ四日にわたる一次・二次の実技試験と筆記試験……という超難関のプロテストがあり、受けるだけでも十万円、会場を転々とするための交通費や宿泊費もかかるほか、二名のプロからの推薦がいる)から、ここではちょっと書きづらいようなプロ協会の不都合な真実……まで、興味深い話をしていただいた。
 朴氏自身はプロを目指すのではなく、あくまで趣味の一環としてボウリングに励んでいるという。とは言いつつ、彼はこれまで通算三十六個のマイボールを手に入れ、年間千ゲーム以上を中野でプレイしているというから、一年で多くて二万回くらいボールを投げていることになる。彼や多くのボウラーを惹きつける吸引力が、この競技にはあるはずだ。
 ちなみに、レーンの裏側をちょっと見学することもできた。倒されたピンを立て直し、ボールをアプローチまで戻す機械のシステムも面白い。

 インタビューを終えて解散しようとしたとき、朴氏と顔見知りだという若いスタッフの方と出会った。彼は現役のプレイヤーでもあるらしい。突出した実力を持ち、朴氏も「彼がプロテストを受けたら、一発合格間違いなし」と評価する。
 喜ばしいことに、彼に後日話を伺えることになった。

◆プロという選択肢を前に考えたこと

 彼が二人目のボウラー、古畑ふるはた和輝かずき氏だ。今年大学を卒業予定の二十二歳。奇しくも私と同い年だった。若い世代の競技にかける想いも、ぜひ耳にしておきたい。
 古畑氏は二十代を対象とした全国大会の優勝経験もある、現時点でトップクラスのアマチュアプレイヤーだ。ボウリングは高校の部活をきっかけにはじめたとのこと。両腕を使う、両手投げダブルハンドのスタイルを用いる。
 若いうちから選手としてボウリングに取り組んでいる、彼の生き様や進路にも興味が湧く。
 私は彼に、おそらくすでに何回も訊かれたことがあるであろうオーソドックスな質問で恐縮に思いつつ、「(競技として)ボウリングをプレイすることの……それならではの魅力とは?」と尋ねる。

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